103話 掃除が大変
高校生活が始まって、なんだかんだで毎日が忙しい。
クラスにも少しずつ馴染めてきて、自己紹介でウケ狙いをしたおかげか、最初から話しかけてくれるやつもいた。
澪とはクラスが別になった。
最初は少し残念だったけど、正直、カップルで同じクラスっていろいろ面倒だし。
ちょうどよかったのかもしれない。
学校では学校、家では家。それくらいの距離感の方が、俺たちにはちょうどいい。
……なんて思っていたけど、現実は甘くなかった。
放課後、俺が校門を出たときには――もう澪は駅に向かって歩いていた。
こっちはのんびりとBook offで立ち読みをしたり、コンビニで肉まんを買っていたりするのに、澪はその足でホテルへ向かっていたのだ。
「……マジで、やってんだな」
週に3日、ホテルでバイトしている。
平日はレストランの裏方で皿洗い。土曜日は、客室の清掃とベッドメイキング。
制服のまま電車に乗って、40分かけてホテルまで通っている。バイトが終わって家に着くのは、21時を過ぎることもあるらしい。
「高校入ったばっかで、そこまで頑張るかね……」
いや、頑張ってくれるのは嬉しいんだけど。
なんか俺だけ気楽にしてて悪いな、ってなる。
こっちはこっちでホテル経営に頭を悩ませてるけど、正直まだ「オーナー」って感じじゃない。
経営って言っても、いきなり何かができるわけじゃないし。
――観光客を増やしたい。でもどうすればいい?
そんな漠然とした悩みを抱えながら、まずは“今あるもの”を見直していこうと思った。
手始めに、ホテルのスタッフの資料を眺めてみる。
名前、所属部署、勤続年数、給与――
いろんなデータが並んでいる。見てるだけで目がチカチカする。
けど、どれを見ても「いらない人」なんていない。
誰かを切ってコストカット、なんて話じゃない。
現場の人たちはちゃんと働いてる。むしろ、みんなギリギリの人数で回してるような感じだ。
「当たり前だよなぁ……」
そう簡単に“無駄”なんて見つかるもんじゃない。
机の上で考えてても、分からないことの方が多い。
ChatGPTにホテルの情報やスタッフの役割を全部読ませてみたけど――返ってきたのは、「無難」な正論ばかりだった。
机上の空論って、こういうことかもしれない。
「うーん……困ったな……」
でもまあ、まずは焦らず、ひとつずつ。
* * *
土曜日。
俺は自室で、机に向かっていた。
図書館で借りてきた『ホテル経営の基礎』という少し分厚い本。
マーケティング、サービス設計、人材育成、売上管理――どれもそれっぽいことが書いてあるし、理屈もわかる。だけど、根本的な観光客の増加策となると、やっぱり具体的な案が思いつかない。
「やっぱ難しいな……」
紙の上では、客を“数字”でしか見ていない。
でも現場にいると、人はもっと面倒で、もっと複雑だ。
……かといって、毎日ホテルに入り浸るのも違う気がする。
高校生になったばかりのガキが、受付の横でうろうろしてたらそりゃ目立つ。
スタッフからしてもやりにくいだろうし、お客様に気を遣わせたら本末転倒だ。
「……結局、澪から聞くのが一番か」
俺が悩んでる間にも、彼女は一人で現場に立ってるんだ。
そのとき――
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。誰か来た?
と思った直後、
「きょういちーー!!」
階下から、母さんの声。急にでかい。
「……まさか澪が来たのか?」
メール一本で済ませばいいのに、とは思いつつも、なんとなく期待しながら階段を降りる。
玄関には、ちょっと意外な人物が立っていた。
「恭一君。こんばんは」
「――あ、こんばんは」
澪のお母さんだった。エプロン姿で、手には大きな紙袋。包装紙からして、たぶんスイーツか何かだ。
「これ、恭一君に」
「あ、ありがとうございます」
まさかのお土産。手土産付きで来るなんて、何かの報告か……それともクレームか?
「澪ったら、バイト始めたでしょ?」
「は、はい」
――やっぱり、そっち系の話か?
「うちの娘を働かせすぎないでください」とか、「勉強がおろそかになってます」とか。
ちょっとだけ身構える。
「澪ったらね、恭一君のために頑張ってるのよ。それに、社会のことを学べてるって本人も嬉しそうなの」
……あ、怒ってるわけじゃないんだ。
むしろ、すごく優しい口調で笑ってる。
「いえいえ、むしろこちらが申し訳ないというか……なんか自分が働かせてるみたいで」
「まあ、そんなこと気にしないで。澪ったらね、『仕事覚えてたのしい』って言ってるのよ」
「澪が……そう言ってたんですか?」
「ええ。最近は、帰ってきてもホテルのことばかりよ。いろんな仕事できたーって」
なんだか、胸の奥が温かくなった。
俺が迷って立ち止まってる間にも、澪は前を向いて走ってる。
「……あ、あの、ありがとうございます。お菓子も、家族で一緒にいただきます」
「ふふ、喜んでもらえてよかったわ」
そう言って、軽く頭を下げて帰っていく後ろ姿を見送りながら、俺はそっと拳を握った。
夜、ベッドに寝転がりながら、なんとなく澪にメールを送ってみた。
【To:澪】
今日のバイトどうだった?
すぐに返信が来る。
【From:澪】
疲れたよー
昨日は宿泊客が少なかったから、部屋の掃除も少なかったんだよね
土曜日で客少ないのか……
やっぱヤバいな、このホテル。
【To:澪】
良かったな
お疲れ様
少しでも労いを込めて返信すると、またすぐ返ってきた。
【From:澪】
けどねー
部屋の掃除少ないからって、廊下の掃除も頼まれちゃったの
初めてだから余計に疲れた
廊下の掃除、か。
頭の中で、ホテルの長い廊下を思い出す。
カーペットの上を、デカい掃除機をゴロゴロ転がしてる清掃員さんの姿。
確かに、地味にキツそうだ。
……てか、廊下の掃除って、効率化できるんじゃね?
俺はがばっと起き上がった。
掃除ロボット。
まさに、それじゃないか?
ルンバみたいなやつ。
いや、もっと業務用のやつで、でかくて、長時間稼働できるやつ。
「廊下の掃除に人手をかけてるってことは……逆に言えば、そこを自動化できれば人件費も時間も浮くってことだよな?」
ロボットが勝手に動いて、廊下を綺麗にしてくれるなら――
澪も疲れないし、他の業務に人を回せる。
……ていうか、2006年にルンバはもう出てたよな?
あれを参考にして、業務用で開発できないか……?
「いや、できる。やるしかないっしょ」
チャットGPTに聞けば、センサー技術とかの初歩は教えてくれるはずだし、開発そのものは得意分野だ。
【To:澪】
廊下の掃除、お疲れ。
ありがとな、ヒントくれた
すぐに返事がきた。
【From:澪】
?
なにそれ?
俺は笑いながら、ケータイを置いた。
説明は今度でいいや。




