102話 side 15 本音と建て前
本話に出てくる会議とは、87話 ・88話 国家安全保障局①・②についてです
――牧原視点
最初に彼を見たとき、私はただの中学生だと思った。
黒髪に、きちんとした服装。眼鏡をかけているわけでもなく、秋葉原の電気街に通い詰めているような“技術オタク”の印象はまるでなかった。
むしろ、どこかの生徒会に所属していそうな、真面目で人当たりの良さそうなタイプ。
だが、実際に口を開いた彼は、まったく違っていた。
話してみると、その語彙やテンポ、会話のバランス感覚――どれを取っても、一般的な中学生のものではなかった。
少し大人びた言葉選び、相手の話に合わせる柔軟性、適度なユーモアまで備えている。
私は、気づけば「社会人と話しているような感覚」に陥っていた。
最初の印象との落差に、軽く混乱しながらも、同時に妙な好奇心が湧いていた。
そして彼から飛び出してくるのは、世界中の誰も見たことのないような“技術”ばかりだった。
画像処理、自然言語処理、クラウド連携……私たちの開発部が数年単位で挑んでいる課題を、彼はごく自然に、それもシンプルなロジックと共に提示してくる。
最初は「どこかから盗んだのでは」とさえ思ったが、どう考えてもそんな形跡はない。
仮に盗むにしても、盗めるような場所がこの世に存在していない。
彼は世界の10年先は行っている。
私は、冗談めかしながら尋ねた。
――「これ、どうやって思いついたの?」
彼は笑って、それから話題を変えた。
その一瞬の反応で、私は『ああ、これは訊いてはいけないことなんだな』と悟った。
いろんな事情があるのだろう。
私の中で彼の輪郭は、少しずつ明確になっていった。
社会性があり、対話に長けていて、大人な対応ができる。
その一方で、突発的な出来事や、感情のぶつかり合いにはやや脆く、場当たり的な対応をする場面があった。
「この子は、大人であり、少しだけ不器用な思春期でもある」
私はそんな評価を、自分の中に落とし込んでいった。
あの会議のとき、うちの人間は“戦争利用”の話を、なんとなく察していた。
というか、あの80億だってNSAの機密費から出るって話だ。戦争関連に使われるって、想像はつく。
けど――うちだって、アメリカには年間で何万台も車を輸出してるし、現地に工場だってある。
NSAからの要請を、そう簡単に断れる立場じゃない。むしろ、逆らう選択肢なんて最初からない。
あの会議では、みんな彼の前で初対面のように振る舞っていたけど……実は、あれで3回目だった。
向こうの要望で、事前にリハーサルを重ねていた。
でも彼は、そういう裏の段取りにはまったく気づいていない。
――まあ、そこが彼の魅力でもあるんだけどな。
だからこそ、俺は口を滑らせてしまったのだ。
「あの歩行者検知技術、将来は軍事利用されるかもしれない」――と。
その言葉が、彼の感情に触れてしまった。
すぐさま表情が曇った。
そのとき、俺は「しまった」と思った。
だが、彼をだまして黙っておくという選択肢も、俺には取れなかった。
彼にこのことを言ったときには、一応、契約書にはすでにサインしてもらった後なのが幸いした。
だから法的には問題はなかったが、それでも、俺は罪悪感が残った。
それ以来、俺はもっと慎重に、彼と向き合うようにしている。
“子ども扱い”もせず、かといって“ただの大人扱い”もしない。
一人の特別な存在として、できる限りの敬意をもって接している。
――そして今回。
問題は、彼が手に入れた80億円だった。
彼にとっては想像もつかないような金額だろう。
だが、企業側にとっても80億円を「現金でポンと渡す」のは正直言って避けたいところだ。
我が社の業績は飛ぶ鳥を落とす勢いとはいえ、それとこれとは別問題。
まあ、「税金は我々が負担する」とは言っているが、そもそも機密費に“税金”という概念はない。
アメリカと日本の力関係を考えれば、この利益すら、最初から“なかったこと”になっている。
そこで、俺が任されたのは「彼が“欲しいもの”を見つけ、その代価として提供する」こと。
物やサービスでもいい。
彼が心から“欲しい”と思ったものであれば、現金以上の価値として成立する。
だが、それは同時に、彼の“本音”を引き出すという難しいミッションでもあった。
俺はふたたび、彼に会うための準備を進めていた。
俺は、資産管理部と一緒に彼へのヒアリングとサポートを進める中で、資料をひとつ受け取っていた。
資料の表紙には、シンプルに「資産振替候補一覧」とだけ書かれていた。
中を開くと、会社が保有しているさまざまな資産――土地、不動産、株式、有価証券、果ては美術品や特別許可付きの保養所まで――が一覧になっていた。
なるほど、こういうものを「現金の代わりに渡す」って話なんだな。
彼がもし「投資で儲けたい」と言うのなら、この中から企業株を勧めればいい。
実際、Eグループには「ホクシン自動車株」「桐原自動車株」などが含まれていて、特に自社株なら社内的にも話が早い。
だが――彼は、そういうタイプには見えなかった。
むしろ、あれだけの技術を持っていながら“金儲け”にはまったく興味を持たないのが彼の異常さでもある。
資料は、流動性や価値、処分のしやすさによってAからEまでランク付けされていた。
Aは「本当は早く手放したい」いわば不良債権に近い資産群。Eは「交換可能な株式類」、ランクが上になるほど、会社としては要らないもの。
そしてRは「目的次第では勧めたい資産」、という扱いだ。
RはRecommendationの略なんだろう。
ふと、Rグループの中に「日野市の土地と、庭付きの洋風住宅」という項目があった。
これなんか、本人が「もっと広い家が欲しい」と言い出したときに、最適かもしれない。
* * *
ほぅ、「海辺の小さな宿とか宿泊業をやってみたい」のか……
宿泊業、か――。
そういや資料にホテルがあった気がする。
一度、資産管理部に確認しておこう。
離席して廊下を抜けてエレベーターに乗り、9階の資産管理部へ。
「牧原さん、お疲れさまです」
「このホテル……笹塚の。これ、実際どうなんだ?」
場所は京王線・笹塚駅から徒歩10分。
14階建て、客室200室の中規模シティホテル。2000年竣工で築5年、外観と設備は比較的きれい。
もともとはホクシン自動車の来客用や出張用であった資産だったが、買収によって桐原グループに移ったという経緯らしい。
「Bランクですけど、建物自体は悪くないです。客室もちゃんとしてますし、ロビーやレストランの評価もそこそこ。ただ……」
「ただ?」
「ホクシン自動車の移転が近くて、法人利用の見通しが激減してます。あそこ、平日は法人需要で稼いでたんです。だから、今後は厳しいかと」
「なるほど……」
“宿泊業をやってみたい”と話していた彼。
俺はもう一度、あの少年の顔を思い浮かべた。
あの、不思議な落ち着きと、時折見せる“間”のような思考停止。
そして、それを超えてくるような突拍子もない発想。
「いや、大丈夫だ」
自然と、口元が緩んだ。
彼なら、何かやる。そう思わせるだけの力が、確かにある。
今、話している社員から資料を受け取り、この物件をプレゼンしてもらうよう、この社員も同行させ会議室に戻る 。
資料をテーブルに置きながら、俺は軽く尋ねた。
「ホテルって、どう思う?」
彼は、ちょっとだけ驚いた顔をしたあと、数秒沈黙して――
「ホテル、いいですね」
とだけ言った。
……え、即答?
拍子抜けするくらいに素直な反応だった。
少し考えて、「その場で決めた感じだったな」と気づく。
やはり彼は、“準備型”なんだ。
事前に情報を整理し、時間をかけて選択するタイプ。
逆に、いきなりの判断には思考が停止して、そのまま「うん、いいと思います」って流されちゃう。
だが、その「いいですね」が嘘じゃないのも分かる。
言葉の奥に、小さな火種のような――何かを始めようとする気配があった。
「意外と乗り気だな」と思いながらも、俺は頷いた。
「……そうか。なら、こっちで手配しておくよ」
彼の表情は、まだ実感が湧いていないようだった。
決して彼を騙しているわけ――じゃない、と心の中では思っている。
ホテルの現場を見れば変わるかもしれない。
最初は厳しい状況が続くかもしれない。
現実の数字や帳簿を見て、きっと焦ることもあるだろう。
でもそのあとに、また“ドラえもんの道具”みたいなアイディアを、どこからともなく持ってくる。
そういう少年だ。
俺はすでに、彼に対して「信頼」というより「期待」に近い感情を抱いていた。
“将来何かやらかしてくれるんじゃないか”という、あの不思議なワクワク。
「もしかしたら、このホテル、変わるかもしれないな」
誰にもできなかった“方向転換”を、彼が思いつくかもしれない。
これまでの常識にとらわれず、妙な広告や仕掛けを作るかもしれない。
ん? エレベーターが動いていないことに気づく。
どうやら階数ボタンを押さずに物思いに耽っていたらしい。
苦笑しながら1階のボタンを押す。彼の顔を思い浮かべる。
――将来が楽しみだ。
第14章までお読みいただき、本当にありがとうございました。
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