101話
「……うーん」
部屋の椅子に深くもたれながら、俺はノートPCの画面をぼんやり眺めていた。
ホテル経営。
思ってたより、難しい。
このホテル、どう見ても悪いところがない。
レストランの接客も丁寧だったし、味も悪くない。
ロビーは清潔感があって、内装も落ち着いてる。
澪も楽しんでくれてたし、客として入った感覚では「ここ改善しないとヤバいな」ってポイントがまるで見当たらなかった。
でも――
それが逆に困る。
「改善点、どこよ……」
PCのブラウザを立ち上げて、ChatGPTを開く。
質問欄に打ち込んだ。
⋗シティホテルを経営するにあたり、改善すべき点は?
数秒で返ってきた回答は、だいたいこんな感じだった。
――スタッフの接客品質の向上
――清掃状態の徹底
――館内サインや導線の工夫
――SNSでの認知度アップ
――オリジナルグッズや記念品の開発
うん、それ全部 知ってる。
「いや、だから、そういうのじゃなくて……」
つぶやいて、もう一度頭を抱えた。
なんというか、“当たり前の正解”しか出てこない。
ChatGPTって便利だし、俺にとっては最強の相棒なんだけど――こういう「ふわっとした答え」が限界になることも、正直ある。
この程度なら、ChatGPTが言わなくても、ホテルのスタッフが既にやっている。
(もっとこう……革命的な一手とか、ないの?)
立地は変えられない。
建物も新しいから、いまさらフルリノベするほど老朽化してるわけじゃない。
宿泊価格を下げれば稼働率は上がるだろうけど、利益率が下がる。
それって、意味ある?
「観光客……どうやって増やすんだよ……」
つい、声に出てしまった。
観光需要を掘り起こすには、まず“来る理由”を作らないといけない。
でも、笹塚って街は、別に観光地でもないし、大きなイベントもない。
新宿から一駅だけど、だったら新宿に泊まる人がほとんどだろう。
地元の魅力で勝負するにも、笹塚の“目玉”ってなんだ?
商店街? ラーメン屋? 銭湯?
……うーん、弱い。
「まあ……まずはHPの改善くらいか」
古びたホームページを思い出して、ため息が出た。
写真は小さいし、フォントもダサい。
スマホ対応? もちろん、そんなものはない。
「……っていうか、スマホないんだった」
時代は2006年。
iPhoneの登場はまだ先。
SNSもほとんど浸透してないし、もちろんインスタもない。 ネットでの集客なんて、限界がある。 そうなると、HP改善してもそこまで意味ない気がしてきた。
だいたい、2025年仕様のHP作ったとしても、2006年の通信状況じゃ開けない人も出てくるかも。
そもそも検索エンジンの精度だって、まだまだだったし、レビューサイトも発展途上。
「はあ〜、詰んでるなこれ……」
椅子をぐるっと回して、天井を見上げた。
――悪くない。けど、良くもない。
――そして、未来のネット活用も制限される。
俺が持ってる“強み”が、こんなにも封じられるとは。
「情報戦、やりにくすぎだろ2006年……」
カレンダーをぼんやり見やりながら、俺はまたため息をついた。
夜十時過ぎ。
今日もまた、ホテル経営についてあれこれ考えていた。
稼働率をどう上げるか。
観光客をどう呼ぶか。
そして――自分にそれができるのか。
天井を見ながら、ため息をついたそのとき。
机の上のガラケーが震えた。
ブルルルル……
「誰だ?」
液晶に表示された名前は「澪」。
ちょっと珍しい。メールじゃなく、電話。
どうしたんだ?
俺は携帯を手に取り、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
『あ、恭くん? 今って話せる?』
「うん、だいじょぶ。どうした?」
『えっとね、あの……もうすぐ高校だよね』
「おう。あさっての入学式楽しみだな。澪の制服早く見たい」
『制服、まだちょっと大きいかもってママに言われた〜』
「え、なんで。成長期見越して買ったってこと?」
『うん、なんか“洗ったら縮むかもしれないから”って……。いやいや、それでワンサイズ上は嫌だったんだけど』
澪がふふっと笑う。なんかほっとした。
「まあでも、それでブカブカだったらちょっと可愛いじゃん」
『え、本当?ブカブカだと可愛く思える?』
あ、適当に言ったが食いついてきた。
「そ、そうだな」
少しの沈黙のあと、澪が少しトーンを変えた。
『ねえ、今って何してた?』
「うーん、ホテルの改善点考えてた」
『また? ずっと考えてるじゃん』
「まあな……簡単に答え出ないし。てかさ」
俺はクッションを背にしながら話す。
「そっちこそ、何かお願いでもあった? サンリオピューロランド連れてって〜とか? 」
『ちがうし(笑) そういうのは今度にする』
今度にする、か……。
『あのね、ホテルの改善点、探してたんでしょ?』
「うん、ずっと。だけど、イマイチいいのが思いつかない」
『それでさ……私、そのホテルでバイトするのって……どうかな?』
「……え?」
耳を疑った。
今、なんて言った?
“バイト”って言った?
澪が? うちのホテルでバイト?
「なんでバイトって?」
『んー、なんかね。入学する高校、バイトOKなんだよ』
そういえばそんなこと言ってたな。
『で、ずっと“バイトしてみたいな~”って思ってて』
「なるほどな……」
俺はベッドに仰向けになって、天井を見た。
でも待てよ、笹塚って結構遠いぞ?
高校は家から自転車で10分の距離にある。
放課後、駅に行き電車に乗って笹塚駅まで行くなんて導線が悪い。
「いや、だってさ。笹塚って遠くね? 40分はかかるじゃん」
オーナーとしてときどき通うなら近いが、放課後にバイトに行くには遠い距離だ。
『うん、それは分かってる。一緒に行ったしね』
そりゃそうか。
この前、レストランに行ったときのことだ。
一緒に電車に乗って、駅からホテルまで、あの微妙な坂道を話しながら登った。
『でも、いいの』
「えっ、いいの?」
『うん。なんかね、やってみたいなって思ったんだよね。恭くんって、オーナー……なんだよね?』
「ん、まあ、そうなる」
『じゃあ、あのホテルでバイトってできないじゃん? なんか、社長が自分でレジ打たない的な感じでさ』
「うーん、まあ……」
たしかに。
立場上、現場に立ってバイト仲間として働くってのは難しいかもしれない。
『でもね、恭くんって今、ホテルの改善しようとしてるじゃん?』
「うん」
『それってさ、実際に“働いてみないと分かんないこと”もあると思うの。
どこが不便とか、お客さんがどんな顔してるかとか、現場でしか見えないことってあるじゃん?』
「……たしかに」
『それにね、私も……恭くんの役に立ちたいなって思ったの』
「……」
ケータイを耳に当てたまま、少しの間、何も言えなかった。
澪は、ただ高校生としてバイトしたいっていうだけじゃない。
俺のやろうとしてることに、ちゃんと目を向けて、力になりたいと思ってくれてる。
それが、なんかもう――
嬉しすぎて、言葉にならなかった。
「……ありがとう」
俺はぽつりと、それだけを口にした。
『ふふっ、どういたしまして』
その笑い声が、妙にくすぐったい。
「じゃあ、明日支配人に聞いてみるよ。人手は多分、足りてないはずだし」
『ほんと!? やったー!』
声が弾む。
ケータイ越しなのに、こっちまで笑ってしまう。
俺は深呼吸して、心の中でぽつりとつぶやいた。
――ありがとう、澪。
正直、俺一人じゃ見えてこないことも多すぎる。
数字や資料だけじゃ分からないことが、現場にはたくさんある。
だから、澪の目で見て、澪の言葉で感じたことを教えてもらえるなら──
それは、俺にとってすごく心強い。
昨日の分を間違えていたので、こちらも間違えていました。
これから、全部投稿しなおすので明日からはいつも通りの時間になります




