少年の気持ち
日が沈みかけている頃だった。書庫から戻ったエリアスが騎士団の訓練所を覗くと、フェムルが一人で素振りをしているのが目に入る。エリアスは軽く呼びかけた。
「フェムル!」
「エリアス?」
パァと笑顔を見せたフェムルは模擬剣を置くと、エリアスに駆け寄っていく。エリアスも頷いて応えた。
「捜索は順調か?」
「いや、あんまり。犯人に繋がる情報が少ないうえに、派手に動けない。早く見つけないといけないのに……ってみんな困ってる」
「そうか。やはり難航しているな」
フェムルは眉を下げて話している。彼の声色からも焦りが見てとれた。それを受けて、エリアスの表情も険しくなる。
「うん。だから俺、明日からの捜索は夜も出ますって言ったんだよ。それなのに『子供は寝ろ』ってあしらわれたんだ!」
「はは、まあ仕方ないさ。みんなお前を心配してくれているんだろ」
フェムルはぶつくさ不満をこぼしている。エリアスはそんな様子に笑いながら、たしなめる。
彼は騎士団最年少の十五歳であるから、多少は仕方がないのだ。俺だって強くなったのに、とぼやいて未だ納得いかない様子のフェムルだったが、何やら思い出したのか、スパッと話を切り替えた。
「そういえば、エリアスは書庫に行ったんだろ? 何か分かったのか?」
「怪しい場所は見つけたが、証拠が少ない。すぐに踏み込むのは難しいだろうな」
エリアスの声は沈んでいた。過去の話は出てきても、現在の不審な話の報告はなかった。下手に大きく出て犯人たちが隠れてしまっては、手の打ちようがなくなってしまう。
「証拠か……」
腕を組み、眉を顰めて真剣な表情で呟くフェムル。恐らく自分が見つけてやらねば、とでも思っているのだろう。
(お前とあの王子が組めば、きっとそれは不可能ではないだろう)
王子は渦中の人物である上に、賢いようだ。やる気も充分ある。足りないのは、己の身を守るために戦う力。
フェムルなら、自由に動き回ろうとする王子にも、守りながらついていけるはずだとエリアスは考えた。
「フェムル、お前に仕事だ」
「……どんな?」
エリアスがフェムルに直接仕事を持ってくるのは初めてのことだった。フェムルの声色に僅かな不安が滲む。エリアスはそんな弟子を安心させるように微笑んで、内容を述べた。
「ルイヴィン王子の護衛だよ」
「……は……なんで俺なんだよ!?」
フェムルの目がまん丸に見開かれる。エリアスは微笑を崩すことなく淡々と述べた。
「俺が適任だと思ったからだな」
「嫌だ」
「……お前なあ」
食い気味に断るフェムルに、エリアスは呆れた声を上げることしかできない。フェムルはむっすりとした顔をしている。
「ルイ……いや、リアミルナ王女なんだよな。あいつと話すまでは、行かない」
そして、口元を歪めて声を絞り出した。いつもは丸いフェムルの瞳が鋭く細められている。普段の朗らかさが消えた表情に、エリアスは目を丸くした。
「……そうか。部隊の奴と話はつけてある。王子をお待たせしているから出来るだけ急いでくれよ」
「すぐ済ませる。丁度呼んだところなんだ」
いつもよりも低い声から、フェムルの怒りに近いような感情が読み取れる。エリアスは誰もいない廊下に目を向けて、ぼそりと尋ねた。
「……あいつは今、どうしてる?」
「さあ。部屋にいなかったから、扉の隙間に紙を差し込んでおいた」
「……そうか」
フェムルは不機嫌さを隠さないまま答えた。エリアスは、静かに頷く。それを見たフェムルは眉を顰めて問いかけた。
「エリアスこそ……あいつに言いたいこと、ないのか?」
エリアスは大きく目を見開いた。一瞬、心臓が止まったような気がした。まるで、フェムルに心の底まで見透かされたようだったから。
「そうだな、俺は……別に、いい」
「ふうん。俺には、いいって顔には見えないけどな」
フェムルの真っ直ぐな眼がこちらを見つめている。軽い調子で紡がれた言葉とは対照的に、嘘を許さないと言わんばかりの張り詰めた空気をまとっている。
結局エリアスはフェムルの言及に対しては、何も言わないという選択をした。
「…………俺は行く。王子様は書庫にいらっしゃるからな」
「……了解」
フェムルも、それ以上言及することはなかった。エリアスは軽く手を振って立ち去る。手を振り返した後、フェムルは訓練所の柱にもたれかかった。
フェムルは一人でリアを待ちながら、昼時のことを思い出した。
ルイヴィン王子が城に駆け込んできたという話は、ロディ王子捜索の司令と共に騎士団内ですぐに広まった。
しかし、その時彼らの知る『ルイ』は騎士団の敷地内に居たため、騎士たちの間で動揺が広がっていた。
勅令を受けたばかりで騒がしい騎士団の敷地内。三部隊の出発を見送りながら、ヒソヒソと二人の団員が話していた。
「聞いたか? ルイのこと。あの噂は事実だったらしいな」
「ああ。あいつ、実はリアミルナ王女なんだろ?」
「そうらしいぞ。昼に本物の王子を取り押さえた兵士が城にいるらしいから、間違いない」
「なるほどな。と言うか、何で王子が取り押さえられてんだよ……」
「さあ」
王子、と言う言葉を聞いて、フェムルは彼らの会話に興味を持った。親しい友であり好敵手でもある『ルイ』は、この国の王子である。
「……なぁ、それ何の話?」
「げ、フェムル」
「げ、って何だよ」
「い、いや」
「俺には言えねぇの?」
普段は気さくに話してくれる団員たちの様子がおかしかった。一人はひどく焦っている様子で、もう一人は困り顔だ。後者の団員が、戸惑いつつフェムルの問いに答えた。
「……別に、お前がいいなら、いいんだけど」
「俺はいいけど」
「後悔しても知らないからな?」
「うん」
「……俺らの知るルイは、本当はリアミルナ王女だったって話」
「は?何だよそれ」
初めは、彼らの言っていることが理解できなかった。決して頭が悪いとか、そういうわけじゃない。ただ本当に信じがたくて、冗談としか思えなかった。
「だから、王女様が王子のふりをしてたってことだよ」
「…………は」
彼らの声は、真剣そのものだった。嘘をついているよあには見えない。フェムルは、目の前が真っ暗になった。己が信じてきた何かが崩れたような気がしたのだ。
「前から噂になってただろ? 知らなかったのか」
「……知らない。本当なのか?」
僅かな望みをかけて尋ねてみたが、それも確固たる証拠によってすぐに打ち砕かれた。
「昼に城で王子と会った奴がいる。あいつはその時、騎士団で訓練してたのに、だ」
「……」
フェムルは何も言うことなく、団員たちの前から走り去った。驚いて呼び止める声が遠くに聞こえる。
フェムルは、リアに事情を聞かなければならないと思いつつも会うのが何故か怖かった。何度かあたりを見回したが、全く見当たらなかった。
すぐに捜索に出た三つの部隊は、なかなか有益な情報を掴めないでいた。彼らの出発から数時間後には、翌日からロディ王子捜索に追加の人員を割くことが決定し、新たな部隊の編成をすることとなった。そのために、多くの騎士団が集会所に集められた。
リアもその場に居たが、周囲から向けられた視線は冷たいものばかりだった。
「あ。王女様」
「ほんとだ……」
多くの団員が遠巻きにリアの様子を伺う中、一人の団員が前に進み出た。新たに編成される部隊の隊長に任命された男だった。名はアルジェと言う。体格に恵まれた長身の男だ。彼は、荒い性格で有名だった。
「お前は女なんだろ? ここに入るな。騎士団から出て行け!」
彼はリアを見下ろすと、鋭い声で言い放った。その声を皮切りに、各所から避難の声が飛んできた。
「……そうだぞ!」
「よくも俺たちを騙したな!」
「それは……! 皆を欺いていたことは謝罪する。しかし私は相応の実力を有し、ここに立っている!」
(……ル、いや、違うんだった。あいつは……)
フェムルは何も言う事が出来ず、様子を見守っていた。珍しく焦りを見せて弁明するリアに追い討ちをかけるように、アルジェが言った。
「王女様の来る場所じゃないんだよ」
「そんなこと!!」
「リアミルナ王女」
男に迫ろうとしたリアを静かな、そして強い圧を感じる声が呼び止めた。びくり、とリアの動きが止まる。
「…………団長」
リアはゆっくりと振り返った。厳しい声の主は、困惑と心配の混ざった、複雑な表情を浮かべている団長だった。
「……今回の捜索には、加えてくださらないのですか」
リアは団長の方を向き、力ない声で問いかける。少し、青い顔をしていた。
「そうだな」
それは、残酷な宣告だった。リアは目を大きく見開いた。その瞳が僅かに揺れている。リアは団長によく懐いていたようだったから、その分衝撃も大きいのだろう。
「どうして、でしょうか」
尋ねる声が、震えていた。
「この状況でお前が加わると、隊の統率が取れなくなるからだ」
「……分かりました」
団長は申し訳なさそうな顔をしながらも、きっぱり言い切った。だからリアも、引き下がるしかなかった。
「失礼します」
リアは俯いて礼をして、踵を返した。その時の表情は、全く見えなかった。フェムルは足早に立ち去るリアの方に一歩踏み出し、手を伸ばして――――下ろした。
(俺は、引き留めて何を言いたかったんだろ。分からない。ずっとあいつの側にいたはずのにな……)
その後フェムルは捜索部隊に編成されたが、その事に喜ぶ気持ちは湧いてこなかった。もっとも、エリアスから違う仕事を任されたため、結局、部隊では活動しないことになったのだが。
『会うまで行かない』
エリアスにそう言い放ったものの、実際にリアと会って、何を言いたいのかはフェムル自身はっきり分かっていない。
理由の分からない苛立ちや焦燥感に突き動かされて、今、訓練所でリアを待っている。
コツコツ、と規則正しい足音が鳴っている。どんどん近づいてくるそれは、フェムルから少し離れたところで止まった。
ちょうど、訓練所の入り口あたりだ。
「……フェムル」
聞き慣れた静かな声が、フェムルの名を呼んだ。




