断章 Re:矛盾情景:男の過去 後編
抗えない程ではなかった。
心の底から湧き出す闇の胎動。
彼女を奪われた憎しみを肥大化させる。視界が霞み、奈落へと押し込まれる絶望の濁流を男は受け入れた。
世界を滅亡させたいと願う方が楽だ。全てを受け入れて、欲望のままに暴れ回れば気が晴れる。自分自身に言い訳を重ね、意識を怨嗟に葬った。
*
意識を断ち、数刻後。意識が覚醒すると必ず血肉の水溜まりに立っている。それが怪人を受け入れてからの日常だ。
学生として生きる傍ら、身を焦がすほどの悪しき衝動に駆られれば全てを委ねて目覚めを待つ。人として最悪の生活をしていた。
「...私は世界が憎い」
贓物?
血?
肉?
骨?
脳漿?
もはや分け目もわからないくらいぐちゃぐちゃにされたミンチからは止めどなく赤い液体が溢れ続けていた。
僅かな隙間から日が差す路地裏、自分が犯したのであろう殺人の結果を他人事のように眺める。自分の罪が幾つ増えても、そこに罪悪感は無かった。
誰かに八つ当たりしたところで彼女は帰ってこない。胸に穿たれた虚は埋まることはない。気晴らしにもならない無意識の殺人になんらかの感情も湧くことはありえなかった。
彼女を殺した人間を殺した。
その組織も壊滅させた。
血で染め上げても、復讐劇を果たしても気分は晴れない。
それほどまでにかけがえの無いない存在で、愛している。彼の見ていた限りでは彼女は決して復讐を是としない。もし自分が死んだら怒られるかもしれない。
「くく、ははは!私の行き着く先は地獄だ!怒られるかもしれない?嗚呼、そんな機会すら与えられないだろう」
天国と地獄があるのならば、決して交わることはないと静寂は確信していた。人殺しの悪人である自身は天国には行けず、地獄への片道切符のみが用意されていると。
*
怪人になり、狂気に身を任せ続けた静寂はある日、自身の異変に気がついた。
「...反吐が出る程に醜悪な気分だ。いつもならば、支配されるのだが」
2、3週間に一度のペースで日常生活を害する程に憎悪が増す。怪人になった影響であり、その症状が出る度に全て身を任せていたのだ。
しかし、今宵は何故かそれが不可能。どれだけ意識を手放そうとしても実行できずに心の負荷だけが溜まっていく。
この苦しみから逃れる方法は理解している。
人を殺す。それだけだ。
だが、ここまで何人もの人を殺し、屍の上に立ってきた上で男は強い拒絶感があった。
仕事で罪なき人を殺し、彼女を殺された恨みで組織の人間を殺した果てに、憎悪の衝動に身を任せて人の命を絶ってきた最低最悪の人間が未だに陽の当たる世界で真っ当に生きられる筈がないとわかっているにも関わらずだ。
短い間に感じていた優しい世界に執着し、崖っぷちで指先だけでしがみつく。
「...往生際が悪いにも程があるな」
自嘲気味に笑う。
どこまでも救いようのない自分に嫌悪する。
世界が憎くて、彼女のいた世界を愛していて、生きているだけで反吐が出る。
結局のところ、彼の求めていたものは全てその手からこぼれ落ちてしまった。
愛も平穏も、産まれたその瞬間からそれを与えられることは許されないと、運命付けられていたように。
静寂は気分の悪さを誤魔化すためにコーヒーを勢いよく喉に流し込む。無論、それで気分が誤魔化されるはずもない。ため息を吐きながら、部屋の窓を開けてベランダへ風に当たりにいく。
街の光をぼーっと見つめながらもう一つの缶コーヒーの封を開ける。
「私に何かようでも?」
呟くように話しかけると闇夜に紛れていたそれは、姿を晒し出した。白い道化の面にシルクハット。黒いタキシードとマントで身を包んだ男と思わしき人物。名を転変者。
「おやおやおや、やはりお気づきでしたか。流石の観察眼と言うべきでしょうかぁ?」
嘲笑うその仕草一つ一つに苛立ちを覚える。
「貴様に好意的な感情を抱いていないと理解しているだろう。今すぐに私に施した何かを消し去れ!さもなくば!」
胸ぐらを掴み、怒声を浴びせる。その表情は声色から分かる通り怒りに満ちていた。
「おぉ、怖い怖い。怒りを鎮めなさい、ボクは貴方と殺し合いにきたわけじゃない...。そ・れ・に、ボクには敵わないよ、今の貴方ではね」
敵と自分の力量差を計れないほど馬鹿ではない。掴んでいた手を離し、対話をはじめる。
「さっさと用件を言え」
吐き捨てるような言葉の何処が面白かったのか、仮面な男は空中で笑い転げながら答えた。
「ククク、ハハハハハ!これは失礼致しました。どうにも苦しみ悶え、怒りに満ちる貴方が感情を押し殺しているところを見るとね。愉快で愉快で!!」
もはやその程度の挑発には乗るまいと冷ややかな視線を送って侮蔑をする。
「これはこれは手厳しい。さてさてさて、本題ですが。貴方が苦しむ原因は怪人化によって膨らんだ悪心。今迄でしたら蝕む憎悪に身を任せれば全て終わっていたでしょう。嗚呼、悲しいかな。残念ですが貴方はこれ以上それに頼ることができません」
仰々しい演技をしながら静寂の身に起きた現象を懇切丁寧に説明していく。
「なぜなら、貴方は怪人としてこれ以上ない資質を持っているからです。本来なら精神を蝕まれる事があり得ない程に。しかし、貴方は傷心していた。愛するものを奪われ、絶望した貴方にはそれが楽だった。だが、現実は貴方を苦しめ続ける」
仮面からその表情は見れないが、醜悪に恍惚に嘲笑う姿は容易に想像できる。怒りに震える拳を血が垂れるほどに握りしめ、鋭い眼光で仮面の男を睨み続ける。
「怪人化は我々帝国にとってこの世界の支配の大切な足掛かり。異界の門番は異分子に最も拒絶反応を起こす。故に、この世界の人間を利用すれば奴らは本気の力を扱えない...滑稽だろぉ?我々が幾ら力を得たところで異界の門番には敵わない」
「それの何処が私に対する話なんだ。前置きが長すぎる」
「まあまあ、落ち着きたまえ。ま、簡単に言えばボク達はごく少数の先見部隊。そして、君がこの世界で補給したボク達の手駒ってわけさ。ただ、それが厄介でね。悪心を利用するもんだから上手く制御できないの何の。ある程度欲望を満たすと次の段階にステップアップするみたいだけど、効率悪いよね。だから、制御できうる逸材を先にこの世界の幹部として育成しようって訳。...ッフフここらで理解してくれたかな。ボクは君を幹部として育て上げる為に来た。ここまで懇切丁寧にやってやるのは君が数ある幹部候補の中でもトップ中のトップだからねぇ」
我慢の男は片手で首をめいいっぱい握り締め、静寂が首肯するまでその圧を緩めることはなかった。拒否権などない。この世界が狙われ、尚且つその中で誰よりも才能があった。だが、そんなものは男は望んでいなかった。そして、残酷にも世界は男を苦しめるこを止めはしない。
(なぜ!何故!ナゼ!人生はこうも残酷なのだ!私が何をした!ささやかな愛を望んだだけだ!一般的で普遍的な家族愛を!他者からの愛を!命の奪い合いなど望んだことは一度もなかった!一体誰が私をここまで苦しめたがるのだ!)
そこからの日々は幼少期を思い出した。昼間は学生として普通に生活はできるが、夜になれば殺しと組み手をひたすらに続けるだけだ。
この精神を蝕む癌を肥大化させ、更に強力な怪人になる為に、殺す。
魔力を完璧に扱う為に仮面の男から指示を受けて鍛える。
(私は何の為に生きている!何を成す為にここに存在する!)
当たりつける場のない感情を燃やし続け、教員になる頃には幹部と認められた。
「これで貴方はこの世界における幹部の地位にたどり着いた訳です。まずは称賛の言葉を送りましょう。おめでとう」
「気味の悪い。貴様が賛辞を送るなど...気分が悪い」
「それはそれは、手痛いねぇ。ああ、それとね甘えは捨てるべきだ。子どもを殺さない傾向があるよ。それは今まで対峙してきた魔法少女との戦闘にも見受けられる。今後も続くようなら上に始末される。ボクじゃ君に敵わなくなってしまったからね」
「ペラペラと減らず口を。生かしてやっている事に感謝の念でもあるなら早々に立ち去れ」
「ああ、これはこれは失礼したねぇ。いじり甲斐があるもんでね。それじゃあ立ち去るとするよ...これは最後になるんだが、この世界もボク達の世界も消し去るのが目的ならもっと上手く立ち振る舞うことだ。いつまでも女の影を追っていては君の復讐は果たせないよ」
図星だったのか、静寂は無言で大地を踏み抜いて周囲を激震させる。それを見た仮面の男は笑いながら風景に蝕まれるようにその場を去った。
*
私は理解などできなかった。
只、此の身に降り注ぐ最悪を与えた世界が憎い。
誰の思惑かは関係なく、己の意志に従い世界への叛逆を企てた。
その為には怪人の力が必要だ。抜け出した闇に引きずり戻された憎いこの力がなくては抗えない。戦えない。
彼女を殺した世界が憎い。
私を人殺しにした世界が憎い。
私から愛を奪った世界が憎い。
歪め、膨らんだ憎悪も仮面の男も関係なく。
生き続け、奪われた事実を認識して復讐の火が灯った。
私はどんな手を使ってでもこの世界に終焉を迎えさせる。残酷な世界に私の怒りによる制裁を与える。
彼女が望む事はない、私だけの復讐劇を始めよう。
大変お待たせしました。前回更新からかなり時間が経ってしまい申し訳ありません。
次の就職先に向けて勉強してる最中ですので、今後は更新ペースが不定期になってしまいます。
途中で打ち切る気はありませんのでスローペースになってしまいますが最後までお付き合い頂けると幸いです。