責任の所在
白一色に染められた空間に香織は立っている。上がなければ下もなく、何処までも続いているがこの空間に距離は存在しない。
有り体に言うならば精神のみが所在する空間だ。
この場には2人の主人が存在する。
金剛時香織と贖幹人。
2人の精神が混在する世界。
俯いた幹人に優しく語りかけた。
「久しぶりって表現も変なのかな。また会えたね、贖君」
どう話しかけるべきか、距離感が分からない。一度は同化して、互いのことは他の誰よりも理解している。
「本当にまた会えるとは思いませんでしたよ。まさか俺の中...いや、俺たちの中で生きているとは...奇跡ですね」
「そうだね。偶然に偶然が重なった結果、今に辿り着いたみたいだ。僕は最期に話すことができて嬉しいよ」
最期。
彼女にこの先の人生は無い。身体は完全に同化した。擦り切った魂の残滓でここまで意識を保てるのは彼女の強固な精神があってこそというべきか。
だがそれも間もなく消え去る。
「ええ、これが最期です。俺の最期」
「...それはどういうことかな、死ぬのは僕だ」
これまでの幹人からは考えられない負のオーラ。
掠れるような小さな言葉を紡ぐ。
「俺よりも、金剛寺先輩が生きていた方が何倍も何百万倍もこの世界の為になる...ケルベスは言っていたんだ、死んだ人間は生き返す事はできないって。先輩、貴女はギリギリであったとしても、この場に存在している。生きているって証明ができる」
譫言のように。
縋るように。
「願いの力を使えば。俺の魂を使えば...!生きていける筈です」
平気そうに生きていた彼もその実は精神を擦り減らしていた。
無理もない。この数日は慣れない事の連続で、何度も過酷な目に遭ってきた。
怪人にされた。
殺されかけた。
先輩が殺された。
仲間が瀕死の重傷を負った。
普通の学生が許容できるものではない。
最初こそは震える膝を叩いて真相を知る為に一人突っ走った。
恐怖も絶望も抱えて。
運命が変わったのは怪人になってからだ。
以降は香織の精神が混じり、安定した心を保っていけた。
だが、それも先程解けた。精神は分離してたった一人の少年として立っている。
「俺はダメなんです。俺じゃ...ダメなんですよ」
俯き、目も合わせずに喋り続ける。
「金剛寺先輩にも、ブルーレインにもグリーンアサルトにも助けられてばっかりで...俺には何も成せない」
「...」
「弱くて、歪な人間なんですよ。誰かを守ることはできない。自分の正義を譲ることもできない。静寂の言った通りだ。俺は正義ぶった悪人なんだよ、先輩のように寛容さは無い。許さなくて、許さなくて!暴力に頼ってしまうんだ。情けないですよ。ちっぽけで、矮小でクズだ。だから、俺なんかより、正しい金剛寺先輩が生きるべきなんです。暗がりに進むような人間よりも、陽のあたる道を歩ける先輩がこの世界には必要なんだ」
矜持なんてものはカケラも残ってない。
情け無い自分に対する怒りと喪失感。生きるべき人間は自分ではないと悟っている。
絶望の沼に浸った幹人の両頬に手を添える。優しく面を持ち上げて、失意に満ちた瞳と目が合った。
「ようやく目を合わせてくれたね」
慈愛に満ちた微笑みを浮かべる。
「確かにまだ願いの力は間に合うかもしれないね。でもそれは僕としてはNGだ。この先の人生を生き続けるのは君であるべきだ」
「どうして...死にたくないんでしょ。生きッ!」
中指と人差し指で叫ぼうとする唇に触れて止める。
「人は生きている限りいつかは死ぬものだ...知っていると思うけど僕は魔法少女として活動していく上で責任について考えてきた」
幹人は大人しく耳を傾ける。
「魔法少女は夢や希望を与えるもの。ではなく、夢と希望を繋げる者だ。僕たちは怪人と戦い、人を助けて未来に繋ぐ。怪人になった者であれば、浄化を施して明日は進めるように導く。襲われた人は救い、明日に続くための命、希望を繋ぎ止めるんだ。誰一人変わらず平等にね。時には救えない命だってある。闇に堕ち、怪人として死を与えなければならない者や救いきれずに零れ落ちる命もある」
魔法少女とて完璧ではないのだ。誰かに与える存在ではなく、誰かの明日を繋ぐ存在。それが魔法少女だと香織は認識している。
「それは仕方のないことだ。僕たちは完璧ではない、救う為に全力を尽くす以外に道はないんだ。だとしても、やってはいけないことがあると僕は思っている。僕自身が原因となって、無関係の人に害を与えてしまう事態だ」
「...あ」
合点がいき、思わず呟いてしまった。
「理解したみたいだね。そうさ、贖君。君は僕に巻き込まれて死が訪れたんだ。僕がもっと注意深く行動をしていれば今の事態は起きていないだろう。だから、その責任を果たす。僕は君の命を使って生きるつもりはないよ」
「それでも!俺は生きて欲しい。変わることができない、俺よりも!」
「それは間違い...だね」
「間違...い?」
急にそれは間違いだと指摘されて唖然としてまう。
「その通り。贖君は変わることができないのではなくて、変わることが怖いんでしょ」
「な、何を言って...」
図星を突かれたのか声が震えて後退りをする。
「自分が一番わかっているだろう。君は17年間生きてきた上で形成された正義感を否定され、それを正すことに躊躇している。贖君にとってそれを否定されると自分の人生を否定するのと同義。それがツラいから考えを曲げることができない、違う?」
「それは違うって否定しても無意味ですよね...。俺が先輩の事をわかるように先輩も俺のことを理解している。先輩の言ったこと何一つ間違ってませんよ。17年間生きて、まともに暴力を振るったのは例の事件が初めてでした。見ての通り俺はガタイがかなり良い方なので中学までは口頭で注意さえすれば皆んな素直に聞き入れてくれました。それが通用しないようなクズには直接痛めつけ、被害者の痛みを理解させるしかない。それが俺の行動起因です」
「そうだね。でも、それを否定されてから君のネガティブがはじまったよね」
「ええ。間違ったことなんてしてない、俺が正しいってずっと言い聞かせて続けてましたよ。謹慎期間中ずっとね。けど登校してわかったんです。俺を見る目が変わったんですよ。俺は間違っていたって、否応なしに理解させられた。そこからは丸くなるように学校生活はしてました。変わるのは嫌で、心の奥底でずっと間違っていないって無駄な抵抗を続けました」
淡々と語る。自分の歪み、本心を。
「香織先輩に会って、こんな清らかな人がいるんだと本当に尊敬しました。できることならば許されたいとも思いました、でも許された瞬間に俺は終わる。自分のやった痕跡が悪だったと認める事になる」
深く息を吸って大きく吐き出す。この願いは他人には理解できないものだ。失望されてもいい。寧ろそちらの方が都合が良い。だって、失望してくれたならば自分に託す事はないから。
「死にたいんですよ。自分の正義を歪めないまま。これだけ心情を吐露して正義を語るのもどうかと思いますがね」
歪んだ正義を抱いて死ぬ。
それを成せるのはまさに今、この瞬間だけだろう。
この先の長い人生で今の正義感を曲げないまま生きていけばいずれ犯罪者として捕まり、正義の人間として死ぬ事はできないだろう。
今は悪評はあったとしても、彼の正義を知る人は少なからずいる。認めてくれる人間が数人いれば大往生だろう。
(これは違う...僕を生かすための屁理屈だ)
自ら死を選ぶ。それを前面に押し出して香織の問答をぶち抜いて押し倒す魂胆だ。
「...贖君はさ、本心では自分を歪んでいると理解して僕の正義は清いものだと思っているよね」
「その通りですよ」
自傷気味に笑うが、何処か演技をしているように見える。
「じゃあ、正義の話をしようか。君を説得してみせるよ、だって君の本心を僕は理解している。僕を言いくるめられると思わないほうが良いよ」