廃墟⇄路地裏
商店街から自転車を漕いで更に10分。静寂に包まれたホテルの廃墟。役目を終えたネオン管は無灯のままひび割れている。外壁には大量の蔦が蔓延っており、人の手が一切入ってないことがよくわかる。アスファルトからは雑草が大量に突き出しており、とても通れるような状態ではない。
しかし、ホテル入り口に向かう真っ直ぐ。そこには獣道ができていた。おそらく肝試しで色々な人間が出入りしてできたものだろう。余り青少年の教育には宜しくない場所ではあるが、ここに来る様な連中は大学生などかほとんどだ。この心配は杞憂だろう。
獣道を通り過ぎると至る所が腐食している看板が建っている。侵入禁止と書かれているようだがここに来る人間は気にせず中に入って行くだろう。入口のドアは蹴破られたようで、破損部が内部の端に捨てられている。
ガラスが割られており、そこら中に破片が落ちているので躓かないように注意をしながら歩く。閉鎖的な空間であり、電気のないこの施設は昼であるが仄暗い。
館内の部屋の一室に入る。砕け散った窓から陽の光が差し込んでおり、フロントよりは明るい。部屋にある物全てが埃を被っており、ドアを開けた瞬間に埃が舞い散った。
「ゴホ!ゴッホ!」
結構な量が舞った為、思わずむせてしまう。ここまで人のいない所に来たのは良いが、他者に狙われている様子は一切ない。砂利や硝子、木片など様々なゴミがあるフロントを通過すれば確実に音が響く。
「アテが外れたか」
元々確実性のある行為ではない。一連の行動を取れば何かしらのコンタクトが来ると予想して動いただけだ。都合よく話が進む訳ではない。
「はぁ、結構距離あるから何かあれば良かったんだけどな。骨折り損だ」
小一時間程、廃墟に留まってみたが特に何が起こるわけもなく時間が過ぎ去るだけであった。
スマホを取り出して時間を確認すると時刻は11時34分。そろそろお昼時だ。近くで昼食を食べて、もう一度この辺を散策することに決めた。
*
昼食を取ってその後。数時間に渡って人混みを避けた場所を転々と周り続けたが成果として得られる物は何もなかった。寧ろ不特定多数の人間に香織の姿を見られたので自分の首を絞めただけで何一つ状況は好転しない。
17時を過ぎ、日が沈みはじめる。赤い夕焼けは身を潜め、夜の帳が下りる頃合い。
(夜か。朝から昼にかけて何もなかった。...もしかしたら日中は行動できないって可能性もあるな)
確定事項ではないが十二分にあり得る。幹人が襲われた時も夜だったのだ。完全に落ち込みムードだったが、まだ断念するタイミングではない。日中に姿を捉えられていれば、帰り道で待ち伏せもあり得る。幹人は早速自転車を跨ぎ、出発する。少々遠回りになるが通った道をなぞって家に向かう。
2、30分程経っても何も起きなかった。夜分で視界も悪い。他者に見られることもなく、平穏に進んで行けた。ここまでやって何もないと半ば諦めかけている。此方からのアクションでどうにかできる存在ではないのかもしれない。それでも体だけはどうにか戻したい。深くため息をついていると、身に覚えのない気配を察知した。
(な、なんだこの感覚。近くに何かがいる。それだけがわかる)
第六感的な直感とは別な確信的感覚。視覚で人間を視認したように、ここから離れた場所に誰かがいる事がわかる。人生で一度も体験したことはない。誰に言っても信用されないであろうそれに、不思議と歩みを進めていった。
(俺が行かなきゃ。そうしないと不都合...いや、守らなければいけない)
自転車で加速してその場に向かう。そこは居酒屋やスナック。パブなどがある商業区の外れた路地裏。割と幅は広く成人男性がすれ違う余裕がある程度。外の喧騒から外れ、故障してるのか室外機の無機質な音だけが響く場所。そこからうめき声が聞こえる。
心臓が高鳴る。この先の何かを求めていた筈なのに、そこに踏み出す事が怖い。そんなことは当然だ。何せ一度殺されかけている。比喩でも何でもない、確かな痛みの感覚が今でも腕や腹に残っている。
意を決して歩む。自転車は角にかけておき、走って逃げた後に直ぐにとばせるように。一歩進む毎に動悸が激しくなり、脳みそがチリチリと痛む。目の前に注意を向けているばかりに水溜りに気づかずに靴が濡れてしまう。その音はここではよく響く。つまり、その先にいる標的に捕捉されたということだ。
「...誰かいるよなぁ」
声が返ってくる。
「っうぐぁ..だ、ず」
搾り出した苦しみの声が近づく。
人の足音とは思えない、重い音。ずしりとアスファルトの大地を踏みしめる獣の音。
この先の曲がり角にそれはいる。
だってほら。
強大な手に首を絞められた女が見える。
「だず、げで...」
黒いスーツを纏ったOLと思わしき女性。口から涎を垂らしながら、手を伸ばし助けを求める。顔は青ざめており、酸素が足りずに無限の苦しみを味わい続けている。それを見た幹人は一歩後退る。
見ればわかる、アレは人間の仕業ではない。女は高く浮いているのだ。人間の身長ではありえない高さ。
「そこにいるんだろぉ」
3mは超える、人型の爬虫類が姿を露わにした。ギャロつく大きな瞳に頬を裂くほど大きな歪んだ口角。長い舌が何度も出し入れを繰り返し、不気味さが増す。体の外側は鱗に覆われている。顔は蛇に近いが、鱗はかなり尖っている。爬虫類とは別種、センザンコウのようだ。瞳は幹人を凝視してニタニタと気持ちの悪い笑みを浮かべている。
「おやおや、コレはツラのいい女だなぁ。こんな女よりよぉ」
蛇頭はもう片方の手で頭を握り、首を絞めていた手を離した。
「もう、テメェに用はねぇよ」
「ッッッ!」
女は声にならない悲鳴をあげ、頭部を握り潰された。頭蓋も脳も全てがぐちゃぐちゃにひしゃげ、首から下が地面に落下した。
「...ッ」
声を上げることもできなかった。
蛇頭はゆっくりと手を開き、脳漿、血、歯、骨、肉が無理やりまとめられた肉塊を死体の上に置き捨てた。
「オレァよぉ。苦しむ女の顔が好きでなぁ」
満面の笑みで語りながら近寄ってくる。唇をこわばらせながら、歩み寄るペースに合わせて少しずつ距離を取ろうとする。
「特にオメェみてぇなツラのいい奴が好きだ。強がってた奴が恐怖に飲まれ、泣きながら懇願する姿は最高だぁ」
「...何言ってんだよお前。...イカれてんのか」
震える声で虚勢を張って言い返すも、蛇頭が喜ぶだけだ。
「いいねぇ。ビビってんのにそれを隠そうとするその姿勢。オレ好みだ」
悦楽で歪んでいた目が狩人の物に変わる。それが合図だった。
「ックソ!」
瞬時に踵を返し、自転車のある路地裏の出口でダッシュで向かう。が、そんな物は無駄な抵抗でしかなかった。
2歩で追いつかれた。大きな脚で地を蹴り上げ、壁を使って三角飛びで目の前に立ちはだかった。
何もかも考えが甘かった。何も目覚めない。力などない。ただ怯えてビビるチキン野郎に成り下がっただけだ。
力がある、そんな勘違いを何故信じ込んでしまったのか。眼前の怪物は固まった幹人の首をゆっくりと掴む。絶望に堕ちた人間は抵抗できなくなる事をわかっているのだ。長く苦しめる為の演出。
(今度こそ俺は死ぬのか。結局何もできないのか)
死を何よりも感じ、自分の情けない姿に怒りそうだ。そしてこのまま終わるのか。
―――それだけは嫌だ。
終わりたくない。死にたくない。憎たらしい。悪が栄えるなんて事はあってはならない。正義の名の下に悪は裁かれるべきだ。
「正しくない存在は罰しなければならない。俺の手で」
「そうだ、俺にはある。力が」
「どうした、苦しめよ。それとも恐怖のあまりイカれたのか」
もしそうなら早死にするだけだ。そう言って蛇頭は握力を強める。
だが、もう遅かった。
「お前みたいなクズが、わんさかいると思うと吐き気がするよ」
顔が、体が骨を突き出す。首には円形の骨が現れ、ツノを噴出する。その勢いで拘束は緩み、脱出する事ができた。蛇頭の手には大量の骨が突き刺さり、血を流す。
「ぐぁぁぁ!痛ぇ!痛ぇ!」
「オイオイ、泣きゴト言ってんじゃねぇよ。人を殺したんだ、次はお前の番だぞ」
響き渡る重低音の声は先程まで怯えていた人間の声ではなくなっていた。
変貌したのだ。憎悪、怒り、正義感、使命感によって。
そこにいるのは一人の怪人。
金剛寺香織の肉体を骨で武装した女の怪人。
「逃げるなよ」
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