手段
落ち着かない。落ち着きようが無い。何せ、学園の憧れの金剛寺香織の身体になってしまったのだ。この事実を受け止めて冷静になれる人物などこの世に存在しない。未知の体験に心が荒ぶる。わなわなと手をこまねいている内にドアがノックされた。
「幹人、起きているか?母さんが朝食を作ってくれたからな。はやく下に降りてこい」
父親だ。いつもならわざわざ起こしには来ないのだが、昨日の出来事もあり心配で声をかけに来てくれたのだろう。だが、タイミングとしては最悪だ。いきなり別人になりましたなど、どのツラ下げて親に言えるのだ。何としてもこのピンチを乗り越えねばならない。そもそも全くの別人なのだ、顔を見られた時点で不法侵入者として通報される未来が待っているのではないか。自身の窮地に冷や汗が止まらない。
(まずい、まずい。どう逃げる。とにかく顔と体を見られない様に)
「ごめん、父さん。疲れが中々抜けなくてもう少し寝ていたいんだ」
「わかったが、何か声がおかしくないか。風邪でも引いたのか」
かなり低めの声を出して声質を似せようとしたが無理があった様だ。元々の声がかけ離れているせいで普段声が聴き慣れている父親は違和感を感じるのだろう。
「あーちょっと喉が変な感じするだけだから。熱とかそういうのじゃないから大丈夫」
「...そうか。母さんには伝えておくから、調子が戻ったら下に来て朝食を食べなさい」
「わかってるよ」
幹人の様子を訝しむも無理に部屋には入らず、一階に降りていった。
(さてと、とりあえずは母さんと父さんが仕事で家を開けるのを待つかな)
幹人の両親は共働きだ。母は介護士、父は会社員だ。現在時刻は7時34分。もう30、40分程すれば出勤で2人とも家を空ける。その隙に朝食を摂って今後を考えることにした。
*
「ご馳走様でした」
食べ終わった食器を水道に持っていき、洗剤で洗う。朝食は昨日の残ったカレー。朝から結構な量食べてしまい、腹がいっぱいだ。洗剤のついた食器をお湯で丁寧に洗い流し、水きりかごにのせておく。食べたら食べっぱなしで食器を水道に置いておくのは性に合わない。幹人は食べたら必ず洗っている。
「こっからどうすっかな。それに最初は驚いたけど何故か、身体が馴染んでる気もする」
時間が経つにつれて、違和感が消えていく。元々この身体だったと思い込む程に。そう思い込むのは当然で、香織の身体が確実に一体化していってるのである。前夜より、起きた直後より着実に違和感なく溶け込み、一つとなり続けている。数日も待てば完全に二つの体と心は合わさり、香織の記憶のサルベージも容易になるだろう。
だが、問題はそこではなく。現状をどう打破するかである。幹人は二つの体を保持しており、混ざり合う過程の副作用によって香織の体となってしまっている。こちらも時間が経てば自在に変える事ができるが、その術を今手に入れる事は叶わない。
(...マジでどうすんだ。一生この身体になるのか。いや、待てよ)
そこで幹人は気づく。何故、金剛寺香織の姿になっているのかを。そして、昨日の問いに答えが出る。
(昨夜、あの現場にいたのは金剛寺先輩...か)
現場にいた人物は確定した。外套の男、贖幹人、そして金剛寺香織。その情報から自分の記憶から更に引き出せないかと頭を捻らせる。
となれば、発作的に頭痛が発生する。
「ッッ!なんだ、頭いてぇ」
痛みを堪え、脳みそから必死に記憶を掘り出そうとする。ちぎれそうな激痛に奥歯を噛み締めて。息が荒くなる。心音が大きくなる。それで、ようやく一つのピースを手に入れる事ができた。
「はぁ、はぁ。金剛寺先輩と、ヤツは敵対していたってことか」
金剛寺香織を誘き出す為。そう告げた言葉を引き摺り出す事ができた。香織の身体に変容できる程度には馴染んでいるので昨夜とは違い、雀の涙程度の記憶を運良く引き出せた。
それでも情報が少ない。だが、現実的にこれ以上の情報を手に入れられる手段が存在する。微かな情報だが、一歩進めることはできる。
それは―――「囮になればいい」
金剛寺香織を狙う一派が存在するならば、その姿に成り代わった幹人を放っておくことはできまい。
昨夜の血溜まりはおそらく殺めた際にでた流血。敵対していた勢力が何なのかはわからないが、この顔を見れば再び仕掛けてくる。
問題があるとすれば敵は未知なる力を使ってくることだ。今の幹人にそれに対抗できる手段は無いと断言できる。一つ可能性があるとすれば、香織の力に頼ることだ。未知の勢力が幹人という餌を使って嵌めたのだ。対抗できる大きな力があったと思って間違いはない。それが幹人が扱えるかどうかは不明。
「かなり危ない橋だな」
己の命を賭ける行為だ。生半可な覚悟では行えない。更に言えば自分だけの体では無いのかもしれない。自分だけでなく先輩の命もかかっているなら、と躊躇いがある。
(安全な保証は全くない。やることはほぼ、自殺行為だ)
動かなければ停滞するだけ。動けば何か得られるが、命をチップに散策しなければならない。
「動かなければ、ジリ貧か」
この姿はずっと隠し通せるものではない。いずれ、両親にバレて世間に晒される。そうなれば、隠れていた意味もなく敵対勢力に襲われて命を散らすだけだ。
ならば、やるべき事は決まった。この姿で街を歩き、襲いかかってくる敵から情報を引き出す。それ以外の道は無い。
「ックソ!怖いけどやるっきゃない」
震えそうな両脚を引っ叩いて気合いを入れる。服は丁度合いそうな物がないので適当なジャージを見繕って羽織る。
ブカブカないつもの靴を履いて準備は万端だ。
「いってきます!」
絶対にこの状況を打破してやる。胸に誓って、外への扉を開けた。