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朝に目覚めたらまずニュースを見る。「おはようございまーす!」とテレビの中でアナウンサーが元気いっぱいに挨拶をする。天気予報をみて、占いをみる。そして、毎日のように流れるニュース。特に最近多いトピックは殺人事件だ。誰がどのように何の目的で行われたのか一切不明。俺はそれを他人事のように流し見をする毎日だった。
けどそれは昨日までの話。実害を受けた。フィクションみたいな浮世離れした感覚。現実から乖離した異常性の連続。俺は夢であってほしいと思ったのに、血に濡れそぼった制服と赤く染まった道路が嫌でも現実を訴えてきた。
*
そこからの話は簡単だ。警察と親に連絡をして、直ぐに警察官達が駆けつけてくれた。突拍子もない話を真摯に受け止めてくれた。ある程度の聴取が終わったら一先ずは家に帰してくれた。その時の幹人はパニック状態でもあり、心身共に疲れていた。故に一度体と心の休息を挟み、冷静になってから話を聞こうと話は落ち着いたのだ。
「幹人、風呂は沸いているから早く顔についた血とか体をしっかり洗いなさい。夕飯作っとくから、ゆっくり浸かりな」
「ありがとう母さん、そうするよ」
母である贖恵子は幹人を気遣い、色々と準備をしてくれていたようだ。血塗れの制服は証拠品として警察の方に手渡した為、父の持ってきてくれたジャージを脱ぎ捨てる。
「中のシャツとパンツも濡れちまってるな。捨てるしかないか...」
当然のように血に浸った衣服はゴミ袋に丸めて捨てる。真っ赤に染まっているので捨てる時に他人に色々言われそうで少し怖い。次の聴取の際にとりあえず渡すかと心に決める。
風呂に入りまずはシャワーで血を洗い流す。流石にいつまでも血に濡れたままではいられない。ぱっぱと体と頭を洗い流し、洗顔フォームで顔を洗って湯船に浸かる。
「あぁーー。気持ちいいー」
至福であった。疲れ切った体に湯船が沁みる。色々なことが起こり、波瀾万丈の一日だった。学園憧れの先輩と話して、下校して殺人犯に襲われた。余りにも急展開が起こり過ぎて脳が混乱してしまいそうだ。
だが、それにしても落ち着き過ぎてる気がする。疲れを癒やし、冷静になった幹人は自分の心の落ち着きように疑問を浮かべる。
(幾らなんでも落ち着くのが早くないか、あんな事が起きて直ぐに平静さを保てるほど俺は非凡じゃない)
そもそも襲われた瞬間の焦りと起きた時の動揺の少なさの振れ幅が大きい。襲われた前後での精神が変容してるとしか思えない。それに加え、このような事を思考して模索する自分自身。何か有事が起きた際に冷静に考え、対処する術を探すより猪突猛進に突っ走って解決するタイプだ。思考のルーティンにまで影響が及ぼされている。
「もう1人いた気がする。いや、確実にいた」
体を穿たれた後の記憶ははぼ皆無に等しいが朧げな意識が誰かを認識していた。警察との聴取の際はパニックで要領を得ずに話していたが、今なら冷静に順序を確認し答えられる。
先ず第一に金剛寺香織と別れた際に襲われた事。この瞬間での人物は二人。幹人と外套の男。公園から這い出たソレは襲いかかり、体に何かを施した。体を弄られた後からは意識が飛び、あやふやになったと認識している。
「でも、体に傷一つないんだよな」
貫かれた両腕は綺麗に塞がっている。しかし、証拠品として提出された制服の袖には大きな穴が空いた。穿孔部からは血も滲んでおり、事実としてあった筈だ。
「不思議な力を使われたんだ、誰かに助けてもらったと考えるべきか」
体を磔にされた時に行われた魔法とも言うべき事象。襲ってきた相手は現実から浮世離れした存在だ。傷がない理由も超常的な現象と考えて間違いないだろう。やはり、第三者がいた。それで間違いないと結論に至る。
「でも誰が来たなんてわかんないよなー」
ため息を吐きながら立ち上がる。余り長い間風呂に入っていてものぼせそうだ。
(金剛寺先輩だったら直ぐにわかったりするのかな)
なんて考えてみるが情報が少なさ過ぎて無理だとキッパリ考えを切り捨てる。他人になり変われるなんてことはもっての外だ。そんなことができるなら悪用する人間が多発するだろう。
(考え過ぎてダメだ、とっと飯食って明日に備えよう)
余計な感情と思考を振り切って幹人は風呂を出た。
バスタオルを手に取り体を拭う。早めに水滴を拭き取らないと熱を奪われ体が冷えてしまう。用意された衣服を着て、リビングに向かうと良い匂いがしてきた。
(カレーかな。急激に腹が空いてきたな)
カレーの香りが空きっ腹を刺激する。そこまで腹は空いてないと思ったが、やはり何も食べてない状態で食事の香りは食欲を掻き立てる。
「風呂出たよ」
「体は大丈夫だった?本当に怪我してない?」
開口一番に体を労ってきた母。無論、無傷なので心配無いよと、腕を捲って見せた。息子の元気そうな姿に安堵した母は胸を撫で下ろした。
「本当に良かった。連絡が来た時からずっと心配してたんだからね。ほら、ご飯できてるから早く食べちゃって寝なさい。今日はとても疲れたでしょ」
「うん、身体がもうボロボロだからそうする」
そうして、母親特製のカレーを勢いよく頬張るのだった。
*
幹人は眠りについた、その筈だ。だが、妙な浮遊感がありぷかぷかと海の中で揺れ動いている気分。夢、なのかもしれない。夢を夢だと自覚する明晰夢は初めてで奇妙な感覚だ。
噂によると自覚すれば色々できると聞いたのだが、体の自由が一切効かない。ここに縛られている。視界の先はモザイクがかかっている。まともに視認ができない。辛うじて見えるのは人の顔。自分を覗き込んでいる様だ。人の顔の輪郭。それに顔についているのは血だろうか。何か思い出せそうで、思い出せない。これは記憶だ。只、幹人にはない記憶だ。無理に記憶の蓋をこじ開けようとすると頭に痛みが走る。
(痛い、でも思い出さなきゃいけない気がする。何かを伝えている?この髪色は、見た目はひょっとして)
ーーー贖幹人
瞬間、更に激痛が走る。
「ぐぁぁぁぁぁぁ!なんで!?うぐ...」
記憶の混濁がみてとれる。まだ、馴染んでいないのだ。置き換えられた体は不具合が生じており完璧では無い。故に、無理に引き起こした記憶で幹人の脳味噌に歪みが起きたのだ。記憶も体も形成されたばかり。幹人は傷一つないと勘違いをしていた様だが、実際はズタボロであった。互いの壊れた部位を一纏めにして、一つの肉体へと変貌した。それを知るにはまだ早い。何せ、彼女の記憶はまだインプットされる段階ではない。肉体を置換しただけだ。幹人の人格をベースにした二身一体。
それが彼女が最後に行った魔法だ。死体になるだけの2人ならば、何方かを生かす。その選択を行った。香織は失敗してしまった自分がこのまま生きるのは筋が合わないと、幹人を存命させる道を選んだ。
互いの臓器を集め、足りない血を補った。吹き飛んだ血以外の体を寄せ集めて作り上げたツギハギの肉体。男であり女である。魔法少女であり怪人である。
それが事件後の幹人の正体であった。事件後の冷静さも、思慮の深さも彼女が混じった影響である。ベースが幹人であるとはいえ、彼女の精神性も混じってはいるのだ。それが起因となって幹人のパーソナリティにも影響を及ぼした。
死線に慣れていたのだ。幾度となく悲劇を見た、救えなかった結末を見た。血塗られた惨状は彼女にとっては日常の延長線だった。昔は平気じゃなかったかもしれない。でも、平気になるくらいには絶望を味わっていた。その影響下ならば、幹人の事件後の冷静さも理解ができるだろう。
但し、彼は知る由もない。完全体になるまでは香織の記憶のサルベージはできない。夢の中で無理矢理覗いた記憶の一端も覚める頃には忘れるであろう。
*
嫌な汗が背中にまとわりつく。気づけば下着は汗でグッショリと濡れていた。何の夢を見ていたのか忘れてしまったが、碌なものではないだろう。直ぐに服を脱ごうと布団の中でモゾモゾと動く。
(しかし、おかしいな。身体の感覚がいつもと違うような気がする。股がすーすーするし、服で胸がなんか苦しい。髪も妙に伸びた様な)
布団を蹴飛ばして、体を見てみると胸があった。
いや、男性にも胸はあるのだが男には無いはずの柔らかな突起があった。
(おっぱいがある!?)
思わず揉んでしまった。柔らかかった。と、テンパって馬鹿な事をしてる間に少しずつ落ち着いてきた気がした。股がすーすーする理由を確認すべく、パンツの中を覗くとやはり男性の象徴たる棒がなかった。そこにあったのは只の童貞の憧れであった。
「な、無くなってる。なんでだ、何でだよ。どういう事だよ」
悲壮感に打ちひしがれていた。長年連れ添った相棒が突如として消えて無くなったのだ。精神的ショックはかなり大きい。虚無を掴みながら、ぶつくさ言っていると次第に自分の声が変わっている事にも気づいた。
「声が違う。何か高くなってないか...?」
もう此処までくれば決定的であろう。一晩寝て覚めたら女性になってしまったのだ。認めたくは無い。しかし、アレがなくてアレが有る。仕方ないので枕元に置いたスマホを手に取ってカメラを起動する。外カメラから内カメラに変更して液晶に映ったのは。
「金剛寺先輩...?」
顔が、髪が、身体が金剛寺香織に置き換わっていた。