魔法少女
世界は窮屈だ。
何処までも窮屈だ。青い空は無駄に広いのに、俺は社会という鎖に繋がれている。
この日本に生まれたのだから丸くなれと、多面体で歪だった俺はすっかり削られてしまった。
正しいこととは。
常識とは。
行動すべきことは。
全てを均一化された退屈だった人間。それが俺、贖幹人だ。
尖っていた部分は形を潜め、大人の褒める大多数の人間に成り果てたのだ。
だから渇いてるんだ。
綺麗な球体になった俺の自己は、また伸びる。でも大人たちは許さない。角を伸ばそうとしてはヤスリで削るのだ。伸ばしては調教。伸ばしては剪定、砕られる。
大多数に合わせろと。
突出した自己は集団の輪を乱すと。
だから俺は期待しなくなった。大人に。自分に。
だってそうだろう。自身が伸び伸びと生きる事は叶わない。この箱庭にいる限り、角は丸くされるのだ。
だから渇いてる。
干からびそうに時々なる。
でも、この世界に生まれ落ちた以上はここで適合しなければならないのだ。
だから僕は社会の鎖で雁字搦めで自身を抑圧の海へと投げ、沈めた。
みんなが正しいと言う。
見て見ぬふりをしろと言う。
余計な事をするなと言う。
だけど、それは違うんだ。
軋轢した心が叫ぶ。
いつまで背反し続けるのかと。
身体が動く、過ちを正そうと。
球体にはなれなかったかもしれない。
はたから見れば過ちかもしれない。
それでも正しいことをしたと胸を張っていきたい。
だから。
だから、そんな腫れ物を見るような目で蔑まないでくれないだろうか。
*
秋雨に見舞われた通学路。夏は終わり、焼けるような暑さを持った時季は終わりを告げた。今や体を強張らせる程の旋風が枯葉と一緒に骨身を凍らせる。変わらない、いつもの通学路。傘をさし、アスファルトの凹みにできた水溜りを避けながら歩道を行く。
雨の匂い。もとい、アスファルトの匂いが鼻腔に入ってくる。この匂いは好かない。特別な理由などなく、気分の問題だ。
だから、雨は嫌いだ。
降りしきる雨に、嫌いな匂い。
朝から陰鬱な気分になる。ただでさえ、今から学校に行くことが気怠いのに。嗚呼、今日は厄日なんだな。大袈裟に心の中でリアクションをする。
学校の周辺にまで来ると、先ほどまで全く見かけなかった、総雲高校の制服を着た生徒たちが現れ始めた。
県立総雲高等学校。
幹人が通う高等学校だ。
以前は総明という名であったのだ。しかし、近年少子化の煽りを受け近隣の游雲という学校と合併し、現在の総雲という名になった。総明までは歴史がありお堅い高校というイメージがあったのだが、合併後は近代化に合わせた校風へと変わったのだ。
学ランにセーラー服。髪の色染は勿論のこと男子生徒は耳まで髪を伸ばすなやれ、女子生徒のスカート丈に加え携帯電話の持ち込み禁止ときた。現代社会に生きる人間としてありえないと思った。
今時携帯を持っていない方が危ないのではないだろうか。特に部活をしている生徒は夜がおとずれるまで活動を続ける。もし、事件に巻き込まれたときに連絡する手段がなくては生徒を危険にさらすだけだ。
と、まあそんなレベルの古臭い校風だったのだ。
今や生徒は誰もが持ち、休み時間になればいじっている。制服はブレザーへと変更され、地元の人間からは好評で割と人気の高校だ。偏差値も決して低いわけではなく、今や人気の高校の一角となっている。
大勢の生徒と共に、校門を通り抜ける。
「おはようございます!」
大きな挨拶がいくつも木霊のように響き渡る。
生徒会だ。
現在は挨拶週間が行われており、生徒会の役員が朝早くから挨拶を行っているのだ。その中でもひときわ目立つのが生徒会長、金剛寺香織。
男顔負けの170を優に超える長身に、目を引く美しい金色の髪。顔は中性的で、イケメンと呼んでも過言ではない。男女共に人気が高く。毎日告白されていると噂されるほどだ。さらに付け加えるなら、彼女は人格者だ。生徒からの悩みを聞き、個別に解決を行ったり、休日にはボランティアや献血に行ったりと正に非の打ち所がない人間といえる。
ただ、余りにも格が違い過ぎるので関わったことがない。天上の存在に等しい人物だ。幹人もお近づきになれたら嬉しいと多少の下心はあるが、関わらず生活を終えるだろう。向こうは三年で、此方は二年だ。既に二学期も始まり、卒業までにそう時間はない。
それに、「俺には関われないタイプの人間だな」と幹人本人も関わる気がないのだ。
そんなわけで、適当に雑踏に塗れ。挨拶の応酬を回避すべく行動に出る。今日は厄日だからと、誰にいうわけでもなく心に言い訳をして。
玄関を通り抜けようとすると、襟首をグイっと引っ張られた。
「うおっ!」
あまりに急だったので、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
「君、駄目じゃないか。今は挨拶週間だよ。普段は面倒かもしれないが、一週間くらいは守ってくれないとね」
声をかけてきたのは生徒会長であった。どうやら挨拶をせずに教室に向かう目論見がばれてしまったようだ。厄日というのはあながち間違いではないのかもしれない。思わずため息を吐きそうになる。
「あー申し訳ございません、次からは気を付けるので」
端的に言葉を発して、その場から去ろうとするが。彼女はそれを許さなかった。
「あーダメダメ。挨拶って言ったでしょ。そうだね、君バツとしてここで毎日挨拶しようか。君、毎日隙を盗んで挨拶しない気でしょ」
完全に思考を読まれていた。彼女ほどであればこの手の嘘など簡単に見抜けるのだろうか。それならもっと大勢ここに加えられてるだろうと面々を見てみると、2、3人ほど生徒会に似つかわしくない人間が立たされている。そんなものかと思ったが、人気の生徒会長だ。挨拶しない人間が稀なのだろう。
諸事情もあってそんなものは願い下げだ。その場を凌ごうと頭を回してるところを水を差された。
「会長マジですか。コイツ例の問題を起こした生徒ですよ。こんなやつに挨拶運動なんて、とてもとても」
嘲り笑う様に批判するのはおそらく同学年の生徒なのだろう。
幹人は一年のころに大きな騒動を起こしてしまったのだ。その話に尾ひれがついて今や完全に腫れもの扱いだ。一年も経てば慣れては来るが、気分は最悪だ。
何はともあれ、空気は最悪。そして、幹人の悪評を知っていれば彼女も諦めるだろうと。
その考えが甘かった。
「圭人君。僕はなんであれ、差別的な事は嫌いだよ。悪人だとしても罪を償う機会は与えるべきだ。それに、彼にはそのような雰囲気は感じられない。猛省したんだろうね。次は君が償う番だと思うけどな」
彼女は静かに怒っていた。幹人に悪態を付けた言動が気に障ったようだ。彼女は想像以上にお人よしのようだ、そして公平。幹人も圭人も彼女からすれば変わらぬ人間であり、罪を犯せば共に償えという人間なのだろう。
罪を憎んで人を憎まず。
その考えにも近いのだろう。
「……すまなかった。贖」
戸惑いながらも誠心誠意謝ってきた。彼にとって金剛寺は絶対的存在なのだ。先ほどまでの態度は一変し、生徒の前で頭を下げてきた。
「いや、いいよ。すべては俺が悪いんだ」
さすがにバツが悪い。大勢の生徒がこちらを見ているから、視線が痛い。
(それに...悪役は俺であるべきだ)
幹人は悲観的だ。
悪と周知されているから、自身は悪だと。許されざる存在だと。最初の頃は苦痛だった。悪者とクラスメイトに揶揄され、先生やら両親やらに泣きながら怒られた。結果的に対外的な問題にはならなかった。
その道を選ぶと決めたのは自身だったから。
だから許されてはいけないと思っていたんだ。
だってそれが役割だから。
「じゃあこれでOKだね、贖君だったかな。これから1週間、挨拶運動よろしくね」
笑いながら2人の背中を叩く笑顔の会長。
その横顔に思わず目を奪われる。何もかも信じ切っている澄み切った目。
本気で人を憎まない、罪を憎む人間。
目を見ればわかる。彼女に嘘偽りなどないことが。
凍らせた心を、溶かしたくなった。
許されていいんじゃないかと錯覚した。
(でも、それはダメだ)
これはそう言った問題ではないのだ。
許す、許される以前の問題。レールから外れてはいけない。
だから、また凍らせる。
冷え切った心でその場を正しく取り繕う事にした。
「おはようございます!」
全力で挨拶運動をする。
この会長から逃れるにはこれしかないだろう。無論、幹人の事を知ってる連中からは冷ややかな目で見られるが、いまさら気にしない。蔑みの顔はいつものことだ。何も変わらない。
ただ一つ変わるとするなら。自身の行為に対して褒めてくれる人間がいるか否かだけだ。
「良い声出すね。はじめからそれができていれば、こんな罰受けなくて済んだのにね」
悪戯に笑う。
この人には敵わない。初めてそう思った。
既に彼女の目には幹人は入っていない。だが、分かった。皆の羨望の眼差しが彼女の元に向く理由が。
自分と正反対だったのだ。
考えも、行動も。
俺が手を出していい人間ではない。
だから、心はここに置いていこう。
これから1週間、彼女を横目に挨拶をすることを思うと、心が重くなった。
HRの始まる5分前。8時25分に挨拶運動から解放された。
「それじゃあ明日からも宜しくね」と念を押されたのは幹人を含め、7人であった。
廊下を歩く。HRが近いのもあり、ほとんどの生徒は教室にいるので喧騒の割には人が少ない。自身の教室である2-4の扉で立ち止まり、ドアを開ける。すると、教室は一瞬静寂で包まれた。理由はわかる。幹人の行動のことであろう。奇異な目で見られている。ため息を吐きながら席に着く。
窓際の席から曇天の空を見る。その風景は心の虚を埋めることは叶わないが、他者の視線から逃げるにはちょうど良かった。
「おはようございます。ホームルームを始めるので皆さん、席についてくださいね」
支度をしていると、担任の教師が現れた。彼は話し込んでいる生徒たちを乾いた声で諫めた。無機質に、機械的に。感情があまり表に出ない、それが不気味に感じるのか直ぐに生徒は自身の席へ向かう。
男の名は静寂零。アラサーの現国教師であり、2-4の担任だ。
彼は教室という空間にいるには異質な存在である。
ワックスで整えた右髪をかき上げた長髪。髭は伸ばさずに剃ってあり、無機質な男の顔は漆黒のサングラスによって一切の感情も読み取ることはできない。
髪はストレスによるものか、白色に染まっている。対照的に衣服は毎回黒で統一されており、その風貌はとても教師には見えなかった。
咳払いをして、HRを始める。
「起立、礼。おはようございます」
数学、現国、体育、世界史と4時限目を終え、昼休みに突入した。なんてことはないいつもの授業風景に、余所余所しいクラスメイト。だから体育は嫌いだった。昼食を摂りに学食へ向かおうと廊下に出ると騒がしい人間が声をかけてきた。
「よお、幹人相変わらず辛気臭い顔してんな。もっと笑顔でいようぜ、スマイルスマイル」
まくしたてながら話し掛けてきたのは唯一の友人、篝恭哉。180の長身に、茶髪に染めたチャラチャラした男だ。常に地毛と言い張るが、明らかに染めている。教師たちも何度も注意しているが一向に直す気配はない。
「恭哉は相変わらず騒がしいな、目立つから静かにしてくれないか」
只でさえ目立つが、其の上で騒がれると注目の的だ。勘弁してほしい。
「ま、気にすんなって。それより飯だろ、俺も腹減ってるからよ。さっさと食い行こうぜ」
「わかったから、ぐいぐい押すな」
飯だ飯だと、妙に上機嫌で引っ張っていく。
小学生からの付き合いではあるが今日は少々強引である。
「今日はどうしたんだ。何か良いことでもあったのか」
「当然だろ。今日は年に一度のスペシャルメニューの日だぜ。気分上がんのは当然だろ」
(そういえばあったな。確か……かつ丼だったけ)
年に一度だけ振舞われるカツ丼。大量のキャベツに、黒豚を使ったサクサク衣のカツ。更に料理長の秘伝のタレを使ったスペシャルカツ丼。食べた生徒からは大絶賛の超人気メニュー。少々値は張るが、食べて後悔はない逸品だ。
「なるほどな、俺もそれにしようかな。去年、恭哉が食っていて旨そうだったからな」
「ああ、ありゃあ最高の飯だぜ。食わなきゃ損だ、だからさっさと行くぞ」
忙し無い恭哉に背中を押されながら食堂に向かうのであった。
学食はいつも以上に賑わっていた。どうやら他の生徒もカツ丼が目当てのようで、席もかなり埋まっていた。
「やっぱ混んでるな。座れるといいんだが」
券売機に向かい、スペシャルメニュー1500円のボタンを押す。やはり、この金額は学生の懐事情には厳しいものがある。
「一気に今月ピンチになる値段だな」
「ま、バイトをしてない貧乏学生にはキツイな」
「それ。はぁ、親にバイト禁止されてるからな。恭哉がうらやましいよ」
去年起こした事件を皮切りに、幹人は色々と制限を付けられていた。バイトは禁止、門限は6時まで。寄り道禁止。必然的に部活もできなくなってくる。携帯にはGPSがつけられ、どこにいるかも特定されてしまう。お小遣いも減らされた。
「頑張りたまえ。ま、俺はバイト代で余裕あるけどな」
嫌味に笑う恭哉を憎たらしい目で睨んでいると、並んでいた順番が回ってきた。学食のおばさんに食券を渡すと直ぐにアツアツのカツ丼が出てきた。予め混雑を予想してたのであろう、人員とキッチンをフル動員させて作っているようだ。
「よっしゃ、旨そうだな。早く座って食おうぜ」
「ああ、冷める前に食わないとな」
食堂を歩きながら席を探していると、ちょうど端の席が空いていたので取られないうちに席を二人分確保しに行った。
「いやー丁度空いててよかったぜ。んじゃ、いただきます」
「いただきます」
サクリ、キツネ色に揚がったカツを頬張ると、筆舌しがたい幸福感に包まれた。
「美味い、メチャクチャ美味い」
ソースの染みたサクサクの衣を嚙み砕くと、その下からは肉厚の黒豚の層に到達する。分厚い肉のうまみが詰まったカツに染みた秘伝のソースが合う。キャベツと米が止まらなくなる。
「たまんねぇよな。マジで毎日でも食いたいレベルだぜ」
そうだな、と相槌を打ちながらカツを頬張っていく。
無我夢中でカツ丼を口に掻き込んでいると、声をかけられた。
「隣、空いているかな」
「空いてますよ」
口に入っていたカツを飲み込んで返事をする。食堂がかなり混んでいるので、席が空いているか声をかけられたのだ。普段、そんなことは聞かれないので珍しいものだと横目を向けると。
「や、贖君。朝以来だね」
生徒会長であった。
思わず二度見してしまった。よもや、自身の隣に彼女が座るとは思いもしなかったのである。
「普段はお弁当なんだけどね、話題のカツ丼を最後くらいは食べようと思ってきたんだ」
ニコリとほほ笑む彼女に目を奪われる。美味いと頬張っていた食事の手を止めてしまう程に。そんなことは露知らず。恭哉はどうしたどうしたと小突いてくるが、直ぐに美少女生徒会長に気づいてしまった。
恭哉は無類の女好きだ。こと生徒会長に関しては耳にタコができるほどに話題に出す。お近づきになりたい、付き合いたい等。特に地毛が金髪に惹かれるらしい。仲間だと主張しているが、染めている恭哉は別の部類だ。
兎に角、彼女に夢中な恭哉が興奮しないわけがなかった。
「あれ、会長じゃないですか、幹人と知り合いなんですか」
「ああ、今朝ちょっとね。君は……贖君のお友達かな」
「その通りです!いや、もはや僕と幹人は大親友。親友の友達は友達。僕は篝恭哉と申します。よろしければ番号、交換しませんか」
直ぐにトップギアに入る恭哉。強引に距離を詰め寄らせようと必死だ。大半の女性は当然、この剣幕に嫌な顔をして拒否する。
しかし、彼女は違った。
「友人ってほど親密な関係じゃないけどね。良いよ、ご飯食べたら交換しようか」
「本当ですか!あざっす!俺にも春が来た!」
断られ続けるのが常だったが、遂に本命の相手との交換に成功した。
「うおおおおおおおお!!」
興奮のあまり、感涙しながらカツ丼を勢いよく喰らい注目の的になっていた。
「はぁ……」
ため息を漏らす。何かやらかすとは思ったがここまでとは。頭が痛くなった。
「っふ。恭哉君か、面白い友達だね」
「そうですか?いつもこんな調子で悪目立ちするんで、疲れますよ」
「そんな騒がしい所も含めて楽しんでるんじゃない?そんな照れ隠しの嘘じゃ僕は騙されないよ」
人差し指を唇につけ、悪戯に笑う。
ひとの心が読めるのかと思わず疑ってしまいたくなる。
「君にも友達がいたようで何よりだよ。朝の様子では完全に孤立していると心配だったんだ」
「ありがとうございます。まあ、恭哉のおかげでなんとか腐らずに通えてますよ」
彼女の言葉には優しさが滲み出ている。社交辞令などではない。心根から心配する優しい物言いだった。
「いやー照れるなー。俺に任せて頂ければ幹人の1人や2人助け出しますよ」
幹人と香織の二人に褒められていた為、恭哉は有頂天に調子付いている。ガハハと米を掻き込む姿はマナーが宜しくない。
「あんま調子に乗るな。食べ方が汚いぞ、それに俺は一人だ。2人もいてたまるか」
「た、確かに。会長さん。いや、香織さん。見苦しい姿を見せてすいませんでした!」
はっと気づいた恭哉は直ぐに食べ方を整え、香織に謝った。意中の相手には悪い印象を与えたくないのだろう。
「はは、お行儀よく食べないといけないよね。人に迷惑かけないよう気をつけないとダメだよ」
この昼休みは今までで一番楽しい一時と感じた。無二の親友がいて、皆の憧れる先輩がいた。何気ない日常が自身の心を満たしてくれる。朝から感じていた嫌な感覚は既に念頭から外れていた。今後の人生でここまでの幸せは無いと断言できるほどに気分が高揚していた。
そんな幹人にとって午後の授業など取るに足らず。あっという間に一日が終わってしまった。
(厄日だと思っていたけど寧ろラッキーデイだ。このまま帰りも会長と帰れると嬉しいな)
そのぐらいの幸せなら掴んでもいいんじゃないかと。気づけばたったの一日で彼女の日の光に当てられ、幹人の心に変化が芽生えた。
靴箱から真っ黒なスニーカーを取り出す。午後には晴れていたので真っ赤な夕焼けがガラス越しから幹人を出迎えていた。晴れてはいるが所々の水溜まりはあるので気をつけて帰ろうと傘を取り校庭に出る。
部活がない生徒が続々と校門を通り過ぎ、その他大勢の一員として門の前まで歩いたが唐突に肩を叩かれた。
「や、贖君。今日は君と縁がある日だね」
金剛寺香織であった。
「本当に今日は良く会いますね、ちょっと驚いてます」
ちょっとどころではなかった。心臓が跳ね上がる程に驚いている。
「これも何かの縁ってね。君の帰り道はどっちかな。良かったらご一緒させてくれないか」
「構いませんよ。炯明町の方面ですが同じですかね」
「ああ、僕は炯明町に住んでるからね。じゃあ、帰ろっか」
不意に正面へと回り込まれ、笑顔でそんな事を言われてはたじろいでしまう。夕陽で高揚した頬がバレていませんようにと願う幹人であった。
道中では話が弾んだ。彼女の出す話題は面白く、気を引く内容であり聞き上手でもあった。男なら惚れてしまうだろうビッグバン並みの可愛い笑顔付きだ。確実に今日という一日は至福だ。夕焼けがビルの谷間に隠れ、夜へと移行する赤と黒が入り混じった時間。幾度となく彼女に惹かれていた。
只、この世は無常だ。始まりがあれば終わりがある。幹人の優しい時間は終わり、苦痛に満ちた別れ道へと辿り着いた。
「僕の家はこっちなんだ。ありがとう幹人君。今日は楽しかったよ」
屈託のない笑顔でヒラヒラと手を振りながら別れを言う。
「こちらこそ楽しかったです。また明日学校で」
「忘れずに挨拶運動するんだよ。じゃあまたね」
彼女と会える口実である罰を忘れるはずもないだろう。いつも通りの日常に彩りができたのは彼女のおかげ。幸せを享受できたのも。
だけど、それは厄日の前振りに過ぎなかった。
分かれ道の先、夜の帳が下りた公園で人はいないはずだった。この時期にこの時間帯に好んでいる人間はいない。静寂に包まれた公園の中央。異質な存在が幹人の目を奪う。
濃い青色に塗られた外套。200に迫る程の長身。顔は見えず漆黒に包まれている。
(なんだ、ありゃあ。人、怪物?何か常識的じゃない...!)
わからない。けど怖い、常識に収まらない。異常な程に発汗をしている。頬を背中を塩の雫がつたる。
青い外套は静かに左腕を上げ、こちらを指差す。
(ヤバい!逃げ...!!足が!?)
足が動かない。
「ッ!なんだよ!動け!動け!」
どれだけ足を叩いても、這い上がるように動こうとも。そこからは一ミリたりとも動けない。
指先が紫色に鈍く光る。映画のCGみたいで現実味がない。こんなものが現実かと頬をつねってみても痛覚はある。その痛みが嫌でも絶望的な状況だと教えてくる。
「クッソ!っうが!?」
一発。二発。紫色の十字が両腕の肉を抉り抜き、その勢いのまま背後の壁に磔にされる。決して逃しはしないと強い意志が垣間見える。
「痛てぇ...」
必死に歯を食いしばり、霞む視界を開くと眼前に青い外套がいた。何か細工をしているのか、目と鼻の先であっても顔面のベールは剥がれない。黒い虚空を写しているだけだ。
「問題ない。直ぐに頭から解き放たれる。身体も心もな」
ノイズのかかった奇妙な声であった。男の声とわかるのだが、声質が認識ができない。男とだけわかる、情報をカットされた声。余りにも常識から外れていた。顔も声も分からずに、奇妙な術で磔にされる。正に地獄であった。
「意味が...わからねぇよ!放しやがれ!」
理不尽さに怒りで声を上げる。痛みに侵された両腕を必死に突き動かしても十字はピクリとも動かなかった。
「それだけ元気ならば十分だ。新たなる同胞よ、我が軍に下るが良い」
「だから意味わかんねぇって...」
外套の男は大きな手のひらで幹人の頭を掴み。
「今、わかる」
ドクン。と頭に流れた。
憎悪が。
苦痛が。
憤怒が。
嘆きが。
マイナス感情の濁流が男の手を介して頭の先から足の指の先まで詰め込まれる。
「あがぁぁあ!うぁぁああああ!」
叫ぶことしかできなかった。暴れられない。心に住まう幹人の悪心を増幅させる。体が黒に染まる。波打つように。
「良い、実に良い。独善に塗れた男よ。悪を正義と吹聴する愚者よ。貴様の正義に基づき殺せ」
殺意が流れる。全身の血が沸くぐらい体が熱くなる。理由は単純。存在が歪められているからだ。
全身が骨に包まれる。腕からは突き刺すような尖った骨が。膝にはツノの様な小さな骨の刃が。肩や胴体、その他脚は守られる様に形成された骨が。男が頭から手を離すと頭は山羊や鹿に似た骨が顔を覆い、凶悪なツノが存在感を放っている。
「完成だ。お前は魔法少女を誘き出す餌だ。今ここで現れれば確定する、奴の正体がな。では暴れろ」
「AGAAAAA!!!」
人からかけ離れた叫び声が民家を揺るがす。骨の怪人と化した幹人に理性などない。ただ己が本能に従い暴れる野獣だ。
そして少女は現れる。早すぎるくらいに。
「でぇやぁぁ!」
少女は一直線に外套の男を殴りつける。その荒ぶる声は誰が聞いても怒りを秘めていると答えるだろう。
しかし、その怒りの一撃はかすりもしない。ひらりと最小限の動きで一撃を回避し、通り抜けた拳はアスファルトの地面を砕く。
「っく!もう一撃!」
崩れる足場を跳躍し、追撃を試みるが妨害にあう。怪人幹人だ。腕を振り上げ上腕から生えた鋭利な骨で突き刺しにかかる。
「ごめん!」
しかし、無駄なこと。魔法少女の拳で骨は頭容易く砕かれた。
「UGYAAAA!!」
理性を無くした幹人は痛みに叫ぶ。その隙に背後へと回り込み、肘を首に叩きつけて気絶させる。
「見事だ。流石は魔法少女、ゴールドラッシュ」
「黙りなよ。最高に怒髪天だ、ボクは容赦しない」
魔法少女ゴールドラッシュ。総明市内で活躍する、黄色の魔法少女。少女とは思えない程の高身長に長く伸びた金色の髪を束ねたポニーテールが特徴の魔法少女だ。拳は金色のガントレットを装着しており、圧倒的な手数で殴り潰すスタイルからゴールドラッシュと呼ばれている。
「知っている。故にこの状況に運べたのだよ。金剛寺香織、それが君の正体だろう」
「...ノーコメントで、ぶっ飛ばされなさい!」
「ああ、断る」
態度からもわかる。ゴールドラッシュは確実に金剛寺香織だと分析している。男は以前から当たりをつけていた。作戦は共に下校した人間を餌に誘き寄せ、彼女のウィークポイントを突く簡単な仕事だ。
怒りに冷静さを失ったゴールドラッシュは愚直にも殴りかかってくる。それを右手でいなし、左手で弾丸を放つ。
ただの弾丸ではない、魔力の弾だ。それは軽く爆ぜる、人間の胴体に風穴を開ける程度に。
狙った先はゴールドラッシュ。ではなく、幹人であった。
咄嗟の判断で男を離れ弾丸から幹人を庇うべく飛び出したが最後。男の術中に嵌っていた。
「っがはぁっ!!」
「実に簡単な仕事だったな。ゴールドラッシュ」
男の腕が少女を穿ち、幾つもの贓物をぶち撒けながら胴体に穴を開けられた。無論、弾丸には間に合うはずもなく血潮をぶちまけた。
「無様なものだな。...せめてもの情けだ、級友か恋人かは知らぬがそやつと共に死ぬが良い」
男はトドメも刺さず、その場を去っていった。
少年少女は虫の息だ。今にも闇夜に溶けて、存在が消えてしまう。
(...冷静さが足りなかった)
わかっていた。どれだけ怒りに狂うような出来事があっても常に冷静沈着でなければならなかった。でも、それができる程大人でもなかった。少女は悔し涙を流す。歯を食いしばりながら、嗚咽を堪えて地を這いつくばりながら。
(それでも。まだ、まだ。できることはある)
異常な量の血を流しながらも全身を引きずり、幹人の元へと向かう。彼は彼で重症だ。互いに助からない程の傷を受けている。只、彼女には奥の手があった。それを行うためにも少しづつ着実に近づいてく。
「はぁ、はぁ」
血溜まりに沈む怪人は意識がない。砕かれた骨の隙間から元の顔が少し見える。爆ぜた肉体は目も当てられない惨状になっており、心が痛む。
「...ごめんね。僕のせいで」
血のついた右手でそっと頬に触れる。ごめん、血がついちゃったね。そう言って彼を弱い力で抱きしめる。
「大丈夫。君だけはどうやっても生かすから」
コレは自分の責任だと、金剛寺香織は自らの責任を負う為。救われない彼の為に最後の力を振り絞る。今にも意識が飛びそうで、目が掠れて暗くなっていく。いつもよりも呼吸の音が耳に響く。血反吐を吐いても。
「それでも、君だけは」
光。黄色に眩く。幹人と香織を包み込む、温かな光。球状になったそれは二人を内包し、命を合わせこむ。最後の己の命をかけた魔法。
「さようなら、贖君」
光は収束し、幻の如く泡沫になり消えゆく。血溜まりの道路に残っていたのは、傷が癒えた幹人。
ただ1人であった。
今回から連載を始めます。
もし宜しければブクマ、評価をお願いします。
感想などお聞かせ頂けると嬉しいです。