進級前奏曲
前作「すれちがい交響曲」の宮坂奏が救われて欲しいとのお声が寄せられたため、彼女のその後を描く後日談を書いてみました。
失恋の傷が癒えきれてない彼女に舞い込む新しい風。それは彼女の心境にどのような変化をもたらすのでしょうか……。
「良かったぁ~! 今年も一緒のクラスだね、よろしくね奏!」
「うん。よろしくね、みーちゃん」
私こと宮坂奏に安堵の表情を浮かべながら挨拶をするのは、中学からの親友であり、去年も同じクラスメイトだった葉山美咲。綺麗に手入れがされている艶やかな黒の長髪と、髪と同じ色の眼鏡が相まって優等生のように見えるけど、実は補習室の常連であり、おだてられて学級委員なんて引き受けちゃった可愛い子だ。
みーちゃんは私のそれとは比べ物にならない胸に手を置いて、心底ほっとしている。
「奏とクラスが別々だったら私、今度こそ留年させられちゃうとこだったよ~」
「あははっ。別に他のクラスでも授業の内容は同じなんだから、いつでも教えてあげられるよ」
「奏様ぁ! どうか本年もよろしくお願いいたしますぅ!」
私の両手をがしっと掴み、目を潤ませて懇願してくるみーちゃんが必死過ぎて笑えてしまった。
そんなみーちゃんから視線を外してクラス内を見渡すと、やっぱり知らない子が半数くらいはいるように見える。ちょっと派手めな子、クラス替え早々に本を取り出して自分の世界に入る子、机に座って談笑する男子。いずれも前のクラスにはいなかった子達だ。
新しい環境……上手く馴染めるかな。
新学期の挨拶を聞き終えた後は、クラス内で自己紹介をして初日は終わりになった。
みーちゃんの提案で今年度もよろしくね会をすることになった私は、ご機嫌なみーちゃんとショッピングモールに遊びに来ている。
ウィンドウショッピングを楽しんで、カフェで甘いものを食べながら楽しいひと時を過ごす。こうやって遊ぶのは部活が無い日にしかできないから、私にとってはちょっとしたご褒美みたいに感じる。
「ほら奏! あ~ん!」
「あーんっ」
みーちゃんから差し出された、こんもりとスプーンに掬われたパフェを頬張る。ベリー尽くしって謳ってるだけあって、シャリシャリとした冷凍ぶどうと大粒の苺がとても甘酸っぱくて美味しい。
私も注文していたコーヒーゼリーパフェをひと掬いして、みーちゃんにお返しする。大きな口でそれを頬張ったみーちゃんは、舌に触れたコーヒーゼリーの部分に一瞬だけ顔を歪めたけど、直後に生クリームがそれを押し流したみたいで顔を綻ばせた。
他愛もない談笑を楽しんでお会計を済ませ、次にどこへ行こうかと話していた時だった。
視線の先に、いつものようにじゃれ合っている榊原先輩と杏野先輩を見つけてしまった。
「ほらほら陽介~、いい加減認めないと深夏さんキックが飛んじゃうぞ~?」
「お前のキックは洒落にならんからやめろ。だから俺は何もしてないって言って――いっでぇ!? マジで蹴りやがったなコイツ!」
「あっはははは!」
杏野先輩にからかわれ、逃げる杏野先輩を榊原先輩が追いかけていく。
そんな二人の後ろ姿を見て、去年の八月の終わりのことを思い出してしまった。
……先輩の隣に、私がいられたらな。
もう諦めもついて、気持ちの整理も済んだはずなのに、いざ学校の外で楽しそうにしている二人を見ると、胸の奥が締め付けられるような気持ちになる。
「どうしたの奏?」
「……ごめんみーちゃん。ちょっと先に帰るね」
「えっ、ちょっと奏!?」
みーちゃんに短く別れを告げて、私はその場から走って逃げる。
バスケ部で鍛えた走法で、人並みを縫うようにショッピングモールを後にして、さらに走る。
もう終わったはずなのに。それも、最初から叶わないって分かってたはずなのに。
どうして、こんなにも胸が苦しいの……?
視界が涙で滲んでくる。
情けない。私、あれから全然成長できてない……。
そんなことを考えながら走っていると、前を見ていなかったせいで誰かに勢いよくぶつかってしまった。
「おわぁ!?」
「いたっ……!」
勢い余って、二人とも尻もちをついてしまう。
痛む頭を抑えながらも、謝らなくちゃと顔を上げると。
「いっててて……。誰だよタックルしてきた奴! って、お前……宮坂か?」
「え、ええと……。遠山くん、だっけ」
今日の自己紹介で見かけた男子生徒――遠山祐樹くんがいた。
ツンツンとした黒髪を掻きながらよろよろと立ち上がる遠山くんは、そっと私に手を差し伸べてくれた。
「ちゃんと前見て走れよな……。立てるか?」
「う、うん……。ごめんなさい」
「おう。って、なんでお前泣いてんだ?」
ぐしゃぐしゃの私の顔を見ながら、不思議そうに尋ねてくる。
私は慌てて手の甲で目元を拭い、笑って見せた。
「ううん、何でもないの。目にゴミが入っただけだから」
「目にゴミが入ったからタックル仕掛けてくるとか、お前は猫かよ」
ちょっと苦しい言い訳だったかな。呆れた顔で上手い例えを返されてしまった。
何と言おうか迷っていると、遠山くんはやれやれと言ったように首を振り、私に声を掛けて来る。
「宮坂、ちょっと時間あるか?」
「時間はあるけど……どうして?」
「いや、ちょっと食べたいものがあるんだけど、男だけだと入りづらくてさ。ぶつかってきたお詫びって訳じゃないけど、ちょっと付き合ってくれないかって思って」
突然の申し出に、私はきょとんとしてしまう。
彼が何を食べたいのかは分からないけど、ぶつかっちゃったのは事実だから付き合ってあげることにした。
「うん、いいよ。それでお詫びになるなら」
「助かる。それじゃ、これで涙拭いてから行こうぜ」
遠山くんは、ポケットからハンカチを私に差し出しながらそう言った。
優しいなぁと思いながら受け取ると、そのハンカチの柄が猫まみれなことに気が付いた。
「猫、好きなの?」
「い、いや!? これはその、なんだ! お袋がハンカチはエチケットだっつって持たされてる奴で! 俺の趣味じゃねぇ!」
露骨に慌て始める遠山くん。そんな彼の様子がちょっと可愛くて、私は吹き出してしまった。
「……んだよ」
「ううん、ごめんね。ハンカチ、洗って返すね」
「おう」
可愛らしい猫のハンカチで顔の涙を拭い、今度こそいつも通りの笑顔を作って彼に向ける。
「それじゃあ行こっか。遠山くんが何が食べたかったのか気になるなぁ」
「そんな大したもんじゃねぇけどさ。こっちだ」
ちょっと気恥ずかしそうな遠山くんは、ぷいっと顔を背けて先に進んでしまう。
その背中に付いていくこと数分。そこは良く雑誌でも取り上げられている、美味しいパンケーキが食べられるお洒落なカフェだった。
「ここのパンケーキ有名だろ? たまには甘いもんでも食いたいなって思っててさ」
「へぇ~……。ちょっと意外かも」
「野郎もこういうのに興味があるのか、って?」
「うん。初対面で失礼かなって思うけど、遠山くんのイメージとは違うなぁって」
「……そうかい」
「あっ、待ってよ遠山くん!」
口を小さく尖らせた彼は、そそくさと店内へと向かって行く。私は慌てて彼に付いていった。
店内は落ち着いたBGMが流れていて、ふわりと香る蜂蜜やバターの香りがとても食欲を刺激してくる。
さっきパフェを食べたばかりなのに、今なら山盛りのご飯も食べられそうな気がする。
店員さんに案内され、窓際にある小さなテーブル席へ着く。窓の外にはプランターが置いてあって、小さく花を咲かせているのがまたお洒落だった。
「宮坂。俺はこれにするけどお前はどうする?」
彼が指で示していたのは、この店で一番人気の「石窯焼きパンケーキ」だった。ふんわりとぶ厚いパンケーキに、こんもりと生クリームが添えられていてとても美味しそう。
後でひと口貰おうと決め、自分の分も手早く決めることにする。
「じゃあ……これで」
「分かった。……すいません、オーダーお願いします」
「はい、ただいまっ!」
店員さんが遠山くんの呼びかけに応じ、パタパタと注文を取りに来る。
「石窯焼きパンケーキと、フレンチトーストをひとつずつ。それと、紅茶をふたつ」
「かしこまりました。少々お待ちください」
軽く頭を下げた店員さんが厨房へと向かい、注文の品を用意してもらえるよう声を掛け始めた。
遠山くんと店員さんのやり取りを見て、私はつい感想が口を出てしまった。
「遠山くん、手慣れてるね」
「まぁ、姉貴がこういう店によく行くから、それに付き合わされてたって感じだけどな。注文も会計も専ら俺持ち。人を何だと思ってんだって感じだよ」
「ふふっ。お姉さんがいるんだ?」
「ワガママな姉貴だよ……」
その後もしばらく、遠山くんのお姉さんの話に華を咲かせていると、出来上がったパンケーキとフレンチトーストを持った店員さんが戻ってきた。
「お待たせいたしました」
私の前にパンケーキ、彼の前にフレンチトーストが置かれ、紅茶も置き終えた店員さんが去っていく。
遠山くんは苦笑しながら、お皿をそっと取り換えた。
「こういうことがあるから、あまり男だけだと入れないんだ」
「男の子も大変だね」
「女子よか楽でいいけどな。んじゃ、食べようぜ」
フォークを手に取る彼に頷き、私もフレンチトーストに手を付ける。
口の中に放り込んだ瞬間に、ジュワッと甘さが広がったかと思うと、あまり噛んでもないのにどんどん溶けていく。凄くふわっふわで、雲を食べているような柔らかさにびっくりした。
「おいし~……」
「そうか」
顔を綻ばせる私を小さく笑い、遠山くんもパンケーキを口に運ぶ。もぐもぐと静かに口を動かす彼の表情は、そこまで変わったようには見えない。もしかして、食べ物ではあまり表情を変えない人なのかな。
でも、遠山くんが食べているパンケーキもすっごく美味しそう。断面から漂ってくる卵とバターの香りで、既に美味しいって分かるくらいに見て取れる。
そんな私の考えを読んだのか、遠山くんが小さく切り分けたパンケーキをずいっと差し出してきた。
「食べるか?」
「ありがとう!」
餌を与えられたひな鳥よろしく、パンケーキを口に入れる。
外はさっくりとしていて、中はふわっふわ。濃厚なバターと卵の味が優しく口の中で広がって、添えられていた生クリームがさらに味を引き立てる。幸せな味だ。
「ん~……! 幸せ……」
「宮坂って本当に、幸せそうな顔して食べるな」
無防備な顔を眺められてしまい、途端に恥ずかしさが込み上げてきた。
「あ、あんまり見ないで欲しい……」
「悪い。つい可愛いなって思って見ちまってた」
「可愛くなんてないよ、もう……」
わざと怒ったような顔をしながら、フレンチトーストをひと口食べ……やっぱり顔が緩む。
こればっかりはダメだ。取り繕うとしても幸せな気持ちに負けちゃう。
私はもう見られてもいいやと諦め、どんどんフレンチトーストを頬張っては幸せを噛みしめる。
みーちゃんと食べたパフェも甘くて幸せだったけど、遠山くんと食べるこれは、なんだか心が温かい気持ちになってくる。ほっとすると言うか、落ち着くというか……。
なんだろう、フレンチトーストと紅茶の組み合わせがそうしてるのかな。
よく分からない感情に疑問を感じながらも、紅茶を飲みながら一息ついていると、遠山くんが半分も食べてないパンケーキのお皿を、すっとこちらにスライドさせてきた。
「ちょっと甘すぎて胃もたれしてきた……。食べたかったら食べてくれ」
「えぇー? 遠山くん、甘い物好きって言う割には全然食べてないよ?」
「甘いもんは食べたいとは言ったが、好きとまでは言ってないぞ」
「ふーん?」
なら何でわざわざ、こんな量のあるパンケーキを選んだんだろう。甘いだけでいいなら、プチパンケーキだってあったのに。
「……まぁいいや、じゃあ勿体ないから食べちゃうね」
「おう。食べてくれ」
差し出された食べかけのパンケーキとフレンチトーストを交互に頬張っては幸せに浸る私を、遠山くんは微笑ましそうにしながら紅茶を啜っていた。
「はぁ~! お腹いっぱい! ご馳走様、遠山くん!」
「俺も結構腹がキツイな……。次はもっと、量が少ない店を探すか」
会計は割り勘と思っていたけど、自分の分を押し付けたから遠山くんが全部払うと言って聞いてくれなかった。ちょっと申し訳ないけど、お財布事情が潤沢ではない学生の身としては有難かったりする。
「今度行く時は私が出すね」
「ん? あぁ……って、今度も付き合ってくれる前提なのか」
「うん。流石に払ってもらっちゃったままだと申し訳ないし。それに」
「それに?」
遠山くんと食べていた時に感じた、妙な安心感が何なのかもう少し知りたい。
なんて言えるはずもないから、私は遠山くんに笑いかけながら表向きの理由を教えることにする。
「遠山くんに付いていけば、美味しいデザートが食べられるかもしれないなぁって」
私の回答に遠山くんはまた、やれやれと首を振りながら苦笑交じりに言葉を返してきた。
「分かったよ。それじゃあ、今度は宮坂が食べたいものも聞いた上で店を探してみる」
「ふふっ。ありがとう遠山くん」
これは余所行きの笑顔じゃなく、今日一日付き合ってくれた彼への感謝を込めて笑って見せる。
すると、遠山くんはちょっとだけびっくりしたような顔をして、そっぽを向きながら頬を掻いた。
数秒その行為を続けた彼は、やがて言いづらそうに口を開いた。
「あー……その、なんだ」
「うん?」
「店決める時に、さっきも言ったけどお前の好みも知っておきたいからさ。お前の連絡先……貰って良いか?」
やや顔を赤らめながらそういう遠山くん。
そんな彼の様子が可愛く見えて、私はまた小さく吹き出してしまう。
「……んだよ。仕方ねーだろ、学校で話しても聞きそびれることだってあるかもしれねぇんだからさ」
「そうだね。じゃあ連絡先交換しよっか」
お互いにスマホを取り出し、連絡アプリに情報を追加する。
新しく追加された連絡先に表示されたのは、美味しそうなショートケーキのアイコンと。
「ふふっ! 遠山くん、アカウント名“とーやん”なんだ! なんだか可愛いね」
「うるせっ。お前だって“MIYA”とか洒落た名前つけてんじゃねーか」
「お洒落でいいでしょ?」
ぶつぶつと文句を零す彼を笑いながらスマホをしまい、ふと空を見上げる。
既にいい時間になってしまっていて、ゆっくりと夜の気配が近づいてきていた。
遠山くんもスマホで時間を確認したらしく、ちょっと困惑した声を上げた。
「やべっ、もうこんな時間か……。悪い宮坂、遅くまで付き合ってもらって」
「ううん、楽しかったから気にしないで」
「そう言ってもらえると助かる。家まで送るよ、ここから近いか?」
「あ、私は電車通学だから大丈夫だよ」
「なら駅までは送らせてくれ」
言っても引かなさそうな雰囲気に、私は早々に折れることにした。
「じゃあ駅までお願いしようかな」
「あぁ」
ゆっくりと歩き出す遠山くんの隣に並び、少し広めな彼の歩幅に合わせて歩く。
遠山くんの肩までしかない私の頭を少し上に向け、彼の横顔を盗み見る。
明かりが無い裏道を歩いているからはっきりとは見えないけど、どこか赤みを差して緊張しているように見えた。
彼に見られないように小さく微笑み、これから先の二年生としての学校生活に思いを馳せる。
新しい環境、新しい友達作り、杏野先輩の跡を継いで引っ張らなきゃいけないバスケ部。色々と大変なことが多いと思うけど、運命のいたずらで知り合えた友達となら、きっと上手くやっていける気がした。
【作者からのお願い】
拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回は付き合うまでではなく、彼女が新たな恋に向けて立ち直るようなお話をイメージしてかき上げてみましたが、いかがだったでしょうか。
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