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世界に耳を傾けて。

作者: 宮古桜花

 旅はつまり繰り返す日常を抜け出して、非日常を求めて、またはちょっとした違いだったり変化を見出すものだと考える。

 半年ほど前、修学旅行で和歌山に行った。私は近畿圏に住んでいるので文化に驚いたり、関西弁に一喜一憂したりはしない。

 行きのバスからは山々が見えるばかりで僕の故郷と何ら変わりのない普遍的な風景が続いていた。

 一つトンネルを抜けると今までの景色が少しずつ変わってきた。山々の谷をバスはずんずんと進んでいく。道路は谷に沿って敷かれていて暫時は空に浮かんでいるような感覚に陥った。その特徴的な道路の敷かれ方と、車窓より見える眼下に広がる街によるものだとだろう。そうしているうちにバスは進み遂に山々の狭間をを抜けた。

 山々を抜けると街が見えた。時間にして一時間ぶりといったところだろうか。山に閉ざされた視界が晴れて二つの青が広がる。そして私はそこに初めて水平線を見た。いや初めてではないのだろう。だが山間部に住む人間はただ海を一望するだけでそこに感動を覚える。

まだ日は昇りきらず不器用に海を照らしている姿は私の目には特別に映った。そしてパシャリと一枚の写真を撮った。

 夕刻、串本の空に夕日が沈みゆく。橋杭岩の岩柱の狭間から水平線に今、消えようとする夕日が見えた。水面が朱色に照らされ美しく揺らいでいた。

 潮が満ちるまではそう時間はかからなかった。海水が靴の中に入ってしまって気持ち悪かった。ただその時私はどこか忘れかけていた童心を思い出したような感覚に陥った。私は無邪気な笑顔で友達に語りかけた。私が笑う。友達が笑う。開けた視界の片隅で沈みかけていた夕日が海の底に煌めきながら落ちていくのが見えた。やがて世界は闇夜へと誘われていった。

 暗闇に染まる空の下を進むバスの車窓からは月が顔をのぞかせてすっかり夜の帳が落ちたことを知覚させる。バスの中は一日の疲労とラジオから流れるノスタルジックな音楽に誘われて静寂に包まれた。

 窓の外を見ると樫野埼灯台が赤い光をぽつんぽつんと等間隔で鳴らしていた。そして闇夜に光るその小さな光源はやがて木々に隠され消えていった。

 旅と宿は切り離せないものである。そして温泉も。案内された部屋は落ち着いた雰囲気のある和室だった。5階から見下ろす景色は闇に紛れてほとんど見えなかったがそこに海が広がっていることだけはわかった。明日の朝に見ようと予定を立て浴場に向かった。

 温泉というからにはもっと色がついていたりぬるぬるした湯だと思っていたが、そのホテルは無色透明でさらさらとした水質だった。滋賀で入った温泉はもっとぬめぬめした湯だったのでどうも拍子抜けのように感じられた。期待しすぎるのもよくないと悟った。

 そのホテルの夕食は豪華絢爛で素晴らしいものだった。たとえば私はその時初めてアワビを食べた。もちろん美味であったが比較対象がなかったのでそれがどれほど素晴らしいものであったかを言い表すことはできなかった。ただアワビを食べたという事実だけが残るだけではあったが、それでも一つの土産話として持って帰れるだけのインパクトがあった。物珍しいものには価値がつく。それと同じことである。

 幾回宿に泊まっても宿の寝にくさや不快感といった類のものは拭えず、毎回朝日が昇る前に起床してしまう。案の定まだ日の出を迎えない早朝5時、眠たい目をこすりながらどうしようもなく起きる。

 そういえばと思い、窓から見える景色を見に行った。そこにあったものは私の眠気を吹き飛ばすにはいささか不十分ではあったがその景色は間違いなく私の心の琴線に触れた。眼下に広がるのはまだ暗い群青色の海原とまだ漁火を焚き続ける漁船、そして渡り鳥の行進。自然をその一瞬に切り取ったかのように佇む景色の連鎖に私は目を奪われたのだ。どうもその明けきらない少し暗い雰囲気が非現実感を生み出しているらしく、空と海の境界線がぼやけある意味一つにまとまって広がる青の息吹がパステルカラーで色付けされたような世界を形作っていた。

 やがて朝日が昇り世界が暖色系を見出していく。通路の窓から見えるのは、小さな入り江と自然の神秘を体現するような岩の造形だった。橋杭岩とはまた違うそのミステリアスな美しさをもって佇んでいた。周りの友達も感嘆の声を上げたり、どうなってるんだろうと疑問をぶつけあったりしていた。

 ホテルの朝食はどうもどこも似たり寄ったりで新鮮味がなくあまり特別なものとは思えない。柔らかくて食べやすく美味しいとはいえるが特徴といえるもののなかったパンを食べて従業員さんにお礼を言ってホテルを後にした。

 那智の滝は素晴らしいものだった。その流れ落ちる豪水は、自然の威光と神秘、そして恩恵を私たちに示すがごとく遥か上空から降り注いだ。木々が揺れ、花を散らし、なお降り注ぐ。体中を巡るようにマイナスイオンがその地一体を包んでいく。そして涼しい感覚が私たちの体を潤すように体内を駆け回っていく。暮れる太陽が水面に反射してオレンジの絵具で塗られた川の流れがなお続いていた。

 自然は世界を育み悠久の時間の中で息をし続ける。その輪廻の円環の中で、私たちもまた生きて、枯れて、芽吹いてゆく。それぞれが多種多様な生き方をもって、価値観を持って、いがみ合ってぶつかって、もがいてわずかに前進していつしか形となって実を結ぶ。

 流転する時代の最前線で、生を受けて届く世界の鼓動を聞いて感じて、私は「生きる」の意味を少しだけ理解できた気がした。

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