10-1 ロウランの故障
10-1 ロウランの故障
奇襲騒ぎが完全に終息するまでには、およそ半日を有した。
兵士たちは怪我人の収容を真っ先に行い、次いで退却と本隊への合流、怪我人の治療、損害の確認、報告と対策、戦術の組み直し……などなどに追われて大忙しだった。俺?俺は昼寝してた。朝早かったし、昨日はよく眠れなかったからな。こういう時、第三勢力は気楽でいい。
「ん……ふわーあ。どうだ、そろそろ動くか?」
俺が目を覚ましたのは、だいたい昼過ぎ頃だった。小腹がくうとなっているからな。さて、ぼちぼち次の行動に移る頃合いだろうか?
「あっ、桜下さん、いい時に起きてくれました!」
おや?ウィルがなんだか慌てた様子で、こちらに飛んでくる。
「ウィル。いい時って?」
「それが、さっきからロウランさんが変なんです!」
「あ、ひどいぞウィル。確かにあいつはいつもああだけど」
「ちがーう!そうじゃないんですってば。もう、いいから来てください!」
な、なんだなんだ。ウィルは冷たい手で俺の手を取ると、ぐいぐい引っ張ってくる。どこに連れていくのかと思いきや、向かった先は数歩先、馬車の隅っこだった。あれ?見たこともない人が、角っこにめり込むようにうずくまっている。
「ウィル、この人誰だ……?」
「だから、ロウランさんなんですってば」
はぁ?おいおい、いくら何でもそれは。ロウランの髪は淡い桜色だったが、ここにいる人は浅葱のような碧色だ。それに二つ結びじゃなくて、そのままだらしなく下ろしているし。
「ウィル、俺が寝ぼけてると思ってんのか?さすがにそんなのには引っかからないぞ」
「よく見てくださいよ。ほら、包帯してるでしょう」
あれ、ほんとだ。ロウランとよく似た包帯を、この人も巻いている……確かに、恰好はおんなじだ。
「……え?ほんとに?」
「ええ。戸惑うのも分かりますけど、私たちじゃどうにもならないんです。桜下さん、お願いします!」
えぇ、お願いって言われても……俺は他の仲間たちも見たが、みんな同一意見のようだ。フランは諦めたようにゆるゆると首を振った。ライラはよく呑み込めていないのか、オロオロしている。アルルカは俺がどうするのか興味津々の様子だ。こいつ、他人事だと思いやがって……
「まあ、やるだけやってみるけど……つっても、一体何がどうなって、こうなったんだ?」
「それが……」
ウィルが経緯を語り出した。
「桜下さんが寝た後、気が付いたらこんなになっていたんです。口数が少ないな、とは思っていたんですが」
「気が付いたら?そんなんで、髪の色が変わるもんかな……」
「ええ、私たちも驚きました。でも、ほんとうに何が何だか……それに、何を話しかけても反応してくれないんです。だから私たちじゃなくて、桜下さんに……と」
「ふむ……分かった。とりあえず、話してみようか」
というわけで、俺はいまだに角に頭を押し込んでいるロウランに声を掛ける。
「おーい、ロウラン」
「……」
「ロウラン?どうしたんだ?何があった?」
「……」
沈黙。む、無視か……ロウランに無視されるのは初めてかもしれない。
「ローウラーン?聞こえてるかぁ!」
「……」
またも、沈黙。これは……俺とウィルは顔を見合わせる。
「こりゃ、いよいよおかしいぞ」
「ですよね……」
いつもあんなに賑やかなロウランが、一言も口を開こうとしない。はっきり異常事態だ。
「待って」
うん?俺たちの後ろにいたフランが、じっとロウランを見つめている。
「その子、何か言っている……すごく小さな声で」
「え?」
俺たちには何にも聞こえてないが、地獄耳のフランには、何かが聞こえているらしい。そういうことなら……俺はロウランの肩のあたりに、耳を寄せてみた。
「……さい……くて……」
「あ、ほんとだ。なんか言ってるぞ!ちょっと静かにしてくれ……ロウラン、なんだって?」
俺はさらに耳を近づける。ウィルは口を押えて音を立てないようにした。俺も息を止めて、全神経を耳に傾ける。
「……できなかった……守れなかった……」
「うん?何をだ?」
「あなたを……私は、失敗した……失敗した私なんて、そのへんの土くれ以下……」
お、おお?今一つ真意が掴めないけど、どうやら……
「桜下さん……?ロウランさんは、なんて……?」
「ああ……なんか、凹んでるみたいだ」
「凹む?どうしてですか?」
「いや、それが分かんなくて……ロウランが落ち込むような事、なにかあったか?」
「いえ、何もないかと……そもそも、何もしていないんです。桜下さんが眠ってから今まで、ずーっとそこにいたんですから」
となると、原因はそれより前ってことか?
「……さっきの戦闘、か?」
今日のうちの出来事だと考えれば、それくらいしかない。
「あ」
「桜下さん?何か思いついたんですか?」
「いや……さっきの戦闘で、ロウランのやつ、狼にぶっ飛ばされただろ。そのことで落ち込んでる、のかも……」
「ああ、そう言われてみれば……」
ロウランの盾は、あの女の子の不思議な術によって、一瞬で破られてしまった。失敗といえるものなら、あれくらいしか思いつかない。
「でも、大事には至らなかったですよね?そんなに気にするような事かと言われると……」
「それは、俺だってそう思うけど」
今もこうして、俺たちはピンピンしているし、連合軍に被害も出なかった。結果論ではあるけど、そこまでロウランが悪いとは、俺含め誰も思っちゃいないだろう。
「ああでも」
と、フランが思い出したようにつぶやいた。
「その子って、今まで失敗らしい失敗って、してこなかったよね」
「うん?今までっていうと……」
「ダイダラボッチと、サイクロプスですね」と、ウィルが補足する。
「あー、確かに二戦とも、ロウランのおかげで事なきを得てるな」
「今まで上手くいってた分、失敗の反動が大きいんじゃない」
ふぅむ。三百年ぶりに地上に出てきて、初めての失敗か。それは確かに、ショックも大きいのかもしれない。それに……俺はふと思い出した。
「……ロウランって、案外傷つきやすいところがあったりするのかな」
少ないけれど、そんな場面をちらほら見た気がする。老魔導士のダンジョンに落とされた時、あいつはひどく取り乱していた。あの時は動揺してああなっていたのかと思ったが、実はあれが、素のロウランだったりするんだろうか。
ウィルもはっとしたようにうなずいた。
「そう言われたら……それにほら、忘れてましたけど。ロウランさんと初めて出会った時は、なかなかすごかったですよね」
「あーあ、それもそうだ。なんで忘れてたんだろ」
ロウランだって、過去に未練を残したアンデッド。腹の底にでっかい黒いものを抱えていても、全然不思議じゃない。
「もう少し、その辺気にしてやった方がよかったよな……失敗だ」
「仕方ないですよ。ロウランさん、頭の中に砂糖菓子が詰まってるような人でしたから……」
さ、砂糖菓子……まあ普段のロウランといったら、いちいち言動がショッキングピンクだ。でも、やっぱりそれも今考えれば、そういう“ロウラン”を演じていたのかもしれないな。
(三百年も成仏できないくらいだもんな……)
王の伴侶となるためだけに、ひたすら努力を続けてきた彼女にとって、迎えが来なかったことはそれだけショックだったんだろう。今度こそは、理想の自分になろうとしていたのかもしれない。ゆえに、失敗が手痛く響いた……
「うん、だんだん分かってきたな。そうすると、どうにかして元気にしてやりたいところだが……どうしたらいいと思う?」
「うーん……ひとまずは、励ましてあげたらどうですか?」
「そうだな、よし……ロウラン?そんなに気にすることないって。誰もお前を責めちゃないよ」
俺は彼女の耳元でささやいたが、相変わらず背中を向けたまま、ぶつぶつと呟くばかり。
「ダメか……」
「言ってダメなら、行動に移してみたらどうでしょう?ほら、スキンシップってやつです。頭を撫でてあげるとか」
頭か。さて、どうしたもんか。ロウランは角にめり込むように頭を押し付けているので、撫でるだけでもなかなか難しいぞ。俺はとりあえず、後頭部のあたりに手を乗せてみた。
ざわざわっ。
「わっ」
「えっ、桜下さん?」
俺は驚いて、思わず手を引っ込めてしまった。
「どうかしたんですか?」
「いや、今何かが、手の下で……」
「なにかって……」
なにかも何も、俺が触れたのはロウランなのだから、当然彼女に決まっているだろう?ウィルはそんな目で俺を見てきたが、絶対に違う。だって、なにかがぞわぞわと、手の下でうごめいた……
ズアァァー!
「わぁー!?」
「きゃあー!?な、なんですかこれ!?」
突如目の前が、緑色の波に覆い尽くされた!?
馬車の中は、一瞬で阿鼻叫喚と化した。俺たちは一人残らず、緑色の渦の中で、もみくちゃにされている。こ、これは!まさか、ロウランの髪!?
俺が触れた途端、ロウランの髪が、爆発したように伸び始めた。その勢いと量はとんでもなく、馬車の床は瞬く間に髪で埋め尽くされてしまう。
「ぷはっ。なんだこれ、どうなってんだ!?」
「た、たすけて桜下!」
はっ、ライラ!背の低いライラは、髪の渦に飲み込まれないように、必死にもがいている。俺は手を伸ばして、ライラの腕を掴んだ。そのまま引っ張り上げようとするが……
「くっ、んだこれ、引っ張れない!」
「ま、巻き付いてくるよ!」
うわっ、本当だ!緑の髪は植物のつるのように、俺たちの全身に絡みついてくる。他のみんな、それこそ幽霊のウィルにすら、髪の毛は絡みついていた。
「きゃっ!?やだ、ちょっと!?」
ウィルはスカートの中にまで忍び寄ってくる髪を、必死に追い払おうとしている。
「お、桜下さん!一体何をしたんですか!」
「お、俺じゃねえよ!ていうか俺だって何が何だか」
「あんたら、んなことどうでもいいわよ!早くこれを何とかしなさいって!」
一番離れたところにいたアルルカが怒鳴り散らす。床に寝そべっていたせいか、やつが一番酷く絡みつかれている。
「このままじゃ、髪の毛にころさもごもごもご……」
「きゃあー!アルルカさんが沈んでます!」
「うわあー、アルルカー!くそ、冗談じゃないぞ!」
髪は今も、どんどん量を増し続けている。馬車が埋め尽くされるのも、時間の問題だ。
「ロウラン!ロウラーン!」
俺は必死にロウランに呼びかけたが、返事は返ってこない。やつの体も髪に沈みつつあるので、もう幾ばくもしたら、完全に見えなくなってしまうはずだ。
「ちくしょう!おい、ロウラン!話を聞けー!」
必死にもがいて、絡みついてくる髪を押しのけ、俺はなんとかロウランの背中に触れた。指先に包帯の感触を感じ、それを掴んで引っ張る。ロウランの体が少しだけ浮き上がり、俺の体が少しだけそっちに引っ張られた。
「ロウラァーン!このままじゃ、俺たちみんなお陀仏だぞ!」
とにかく、今はロウランの目を覚まさなければ。俺の頭にはそれしかなく、浮かび上がってきたロウランの頭をがしっと掴むと、その顔を覗き込んだ。
「ロウラン!!!」
のけ反ったせいで上下逆さまのロウランの瞳は、髪と同じ緑色になっていた。にごった瞳の中に、焦った俺の顔が写り込む。ちくしょう、目に生気がない!
その時だった。にゅっと、両脇から、なにかが突き出てきた。ロウランの腕だ。驚いた俺は体を起こそうとしたが、それよりも早く、腕が俺の頭を固定する。ガシッ。
「ちょ、まっ」
俺が何かを言う前に、ぐいと頭が引き寄せられ、ふにゅっとしたものが口に押し当てられた。
「んむっ!?」
「あああー!」
「ちょっと!」
様々な声が聞こえてきたが、あいにくとそれどころじゃない。ロウランの腕は、万力のように俺の頭を放さない。しかも上下が逆なので、俺にはロウランの首しか見えない……
「んん、んぐぐぐ……」
ロウランの口づけはそれはそれは長く、おまけに吸盤でもついているのかってくらい、ぴったりと唇が離れない。しかも、続ければ続けるほど、全身の力が抜けていくみたいなんだが……気のせいじゃない……力が、吸い取られる……
「ぷあっ」
「かはっ……はぁ、はぁ、はぁ……」
ようやくロウランが口を離したころには、俺は息も絶え絶えになっていた。貧血を起こしたみたいに、目の前がチカチカと暗くなる……
(ああ、これは無理だな……)
指一本すら動かせなくなった俺は、髪の海に頭から突っ込むほかなかった。薄れゆく意識に、ロウランのキョトンとした声が聞こえてくる。
「あれ?みんな、どうしたの?」
な、なんだと……追い打ちを掛けられ、俺はばったりと気絶したのだった。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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