9-3
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「桜下さん、起きてください。そろそろ時間です」
「ん……もう朝か。わかった」
俺は目を擦ると、毛布から抜け出した。馬車の中はまだ薄暗い。まだかなり早い時間なんだろう。正直、緊張してあんまりよく眠れなかった。
俺が体を起こしたのを見ると、ウィルは皿とスプーンを差し出してきた。
「これ、フランさんが受け取ってきてくれたんです。まだあったかいですよ」
渡されたのは、ほこほこと湯気を立てるオートミールだった。
「まだ外は寒いですから、それで温まってください」
「おお、ありがたいな。いただきます」
俺が腹ごしらえしているうちに、外でも本格的に準備を始めたようだ。ガヤガヤと騒がしくなってきた。その間にウィルは、まだ寝ていたライラを揺すり起していた。ライラは少しの間目をしょぼしょぼさせていたが、すぐにぱちっと目を覚ました。
「ライラ、よく眠れたか?」
「うーん、実はあんまり……桜下は?」
「へへへ、実は俺も。緊張しちまってさ」
「そっかぁ。えへへ、おんなじだね」
ライラが照れ臭そうに微笑んだので、俺も笑い返した。やっぱり戦闘が控えているとなると、ぐっすり眠れないもんだよな。
夜の間に目立った騒ぎはなかった。終結した人類連合を見て、魔王軍がなにかリアクションをするかもと、兵士たちが警戒していたのだが……うーむ、喜ぶべきなのか、舐められていると捉えるべきか。
「……始まってみれば分かる事か。よし、みんな。持ち場に行こう」
仲間たちはそれぞれうなずいた。さあ、いよいよだ。
昨日も自分の目で確認した通り、フィドラーズグリーン戦線は、山脈と山脈の間にできた、荒野の平地だ。地面は砂地で、さらに岩が散在しているため、騎兵はスピードを活かせない。なので、先遣隊の大半は歩兵隊だ。
隊の前列を担うのは、鎧を着こんだ重装兵部隊だ。全員が剣と大盾で武装している。そして後列に、矢を射る弓兵部隊、そして魔法使いたちの魔術師部隊が続く。戦法は極めてシンプルだ。武装した前列部隊が敵の攻撃を食い止め、後列の遠距離攻撃によって敵を叩く。単純だが、それゆえに強力に思える。もっとも、俺みたいな素人の意見だけど。
「あ、あなたたちは、後列の部隊と共に行動してください……」
伝令を伝えに来た兵士は、びくびくと怯えながらそう言うと、一目散に走り去ってしまった。うぅむ、表立つということで仮面を付けてきたから、俺の姿は不気味に見えるのは分かるが、どうにもそれだけじゃなさそうだぞ。後でそれとなく耳にした情報によると、砂漠で化けミミズを退治した一件が、尾ひれを付けて広まっているようだ。どんな噂だろう?
「行軍、開始!」
号令と共に、部隊が前進を始めた。俺たちは兵士たちから少しだけ離れ、一緒に進んでいく。目標地点は、この先にあるという魔王軍の前線基地だそうだ。そこまで前進し、あわよくば陥落させるつもりだという。偵察隊の報告では、一切の活動の兆候が見られないそうだが……
「本当に、撤退しているんだと思いますか?」
ウィルが隣に並んで、話しかけてきた。ふむ、魔王軍がってことだな?ウィルは真面目な議論がしたいと言うより、緊張を紛らわすために何でもいいから話したい様子だった。ちょうどいい、俺もそんな気分だったから。
「どうだろう。俺が魔王だとしたら、前線の兵を撤退させる意味が分からないな。そんなの、敵に攻めてくださいって言ってるようなもんだ」
「そうですよね。でも、確か魔王は、そんなに戦争に積極的ではなかったんですよね?エラゼムさんがそう言ってました」
「うん。けどだからって、みすみす攻め込ませるのは変だよ。どっちかっていうと、それは戦火をいたずらに拡大する行為じゃないか?」
「確かに……」
俺たちが話していると、ライラが俺の手を握って、会話に加わってきた。
「じゃあさ、魔王は何か考えがあって、からっぽにしちゃったってこと?」
「まあなぁ。考えなしじゃないだろう」
「考えなしじゃないなら、考えがあるってことだよね」
「そうだな。その考えがなんなのか、考える必要があるな」
「考えなしじゃないんだから、考えを考えてて、考えるのが何なのか考えて……?かんがえ……?」
わあ、ライラの目がぐるぐるしている。俺が手を扇にして、湯気を出しているライラを扇いでいると、フランがぽつりと言った。
「わたしなら、罠だと思う」
ぐっ。嫌な響きの言葉だ……だが、考えなかったわけじゃない。ウィルが小さな声で訊ねる。
「フランさん、罠って……どんなだと思ってるんですか?」
「わかんないけど、明らかにわたしたちを誘ってる。なら、行く手に落とし穴があるとか、地面が大爆発するとか」
「ひえっ……」
ウィルはぶるぶるっと肩を震わせると、パッと、無理に明るい顔になった。
「でも!それはきっと、兵士の皆さんも、作戦を考えた皆さんも分かってるはずですよね!十分対策をしているはずです」
「どうだろうね。期待してもいいのかな」
「フランさぁん!私を怖がらせたいんですか!」
「わ、わたしはただ、思ったことを……」
「静かに!黙りなさい!」
え?フランもウィルも、ぴたっと口を閉じた。ぴしゃりと言いつけたのは、アルルカだ。
「来るわ……フラン、あんたも聞こえるでしょう」
名前を呼ばれたフランは、びっくりして目を点にしていた。おお、アルルカが名前を!前に俺とした約束、ちゃんと覚えていたんだな。だがしかし、そんなふうにはしゃいでいる場合でもなさそうだ。俺がアルルカとした約束は、「“戦闘中”は名前で呼ぶ」だ。そして今、アルルカはフランを名前で呼んだ。
フランはすぐに我に返って、耳を澄ました。
「……かなり遠い……獣の唸り声と、足音……」
「なんだって。まさか……」
その時だ。前方の部隊から、大きな声が上がった。
「敵襲!山の上からだ!」
山の上!?俺は左右の山脈を交互に見比べる。どっちだ!?
「右!あそこだ!」
フランが指をさす。あっ!切り立った崖の上に、何かの獣の群れが見える!数はそれほど多くないが、一体一体がかなり大きい。ここから見上げても、十分その姿が見えるほどだ。そして奴らは、明らかにこちらを見ていた。
ジャルルル!岩肌を蹴る音。
「下りてきたぞ!」
「待ち伏せされてたんだ!」
ちくしょう、やっぱり罠だったのか!?
獣の群れは、岩を蹴散らしながら、山肌を猛スピードで走りおりてくる。奇襲だ!
だがここで、ウィルの予想が正しかったことが証明された。兵士たちは慌てることなく、陣を組みなおす。前衛組が前に立ち、後衛組が下がって、戦闘隊形を整えた。
「さすが、統率取れてるな!」
獣は奇襲しようと、高い位置に陣取っていたせいで、こちらまでまだ距離がある。すばやく準備が整ったおかげで、魔術師が呪文を唱える時間はたっぷりあった。
「ジラソーレ!」「ヤトロファクルカス!」「バンブーシュート!」
様々な呪文が一斉に放たれる。炎や風や岩の絨毯爆撃だ!これで一網打尽だろ!
「オォォォーン!」
なんだ?今一瞬、何かの遠吠えが聞こえたような……だが次の瞬間、ガガガーン!魔法が次々にぶち当たり、轟音が谷に響き渡る。遠吠えなんてかき消えてしまった。うわあ、崖崩れが起きるんじゃないか?俺はそんな心配をしながら、もうもうと舞う土煙を見上げた……すると。
「え?」
馬鹿な!土煙の中から、無傷の獣たちが飛び出してきた。どういうことだ!?あれが当たって無事なはず……
「当たってない!全部かわされた!」
なにぃ!?目のいいフランには、あの獣たちの動きが見えていたらしい。でも、冗談だろ?あの量の魔法を、全て避けたってのか?唖然としていたその時だ。
「後ろだぁー!向こうの山からも一匹来てるぞー!」
「なんだと!?」
後方、つまり俺たちのいる側から大声が上がった。首が痛くなるほどの勢いで振り返ると、うわっ!もうすぐそこまで、獣が迫っている!それだけ接近されたから、俺にもそいつらの姿がはっきり見えた。毛むくじゃらのバカでかい狼……
「まさか!ルーガルーか!?」
『いいえ!あれは、ライカンスロープです!』
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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