9-1 フィドラーズグリーン戦線
9-1 フィドラーズグリーン戦線
クロニカ村を過ぎると、それ以降は人の住む場所は存在しなくなる。ひたすらに砂ばかりが続く荒野を、人類連合軍は進んでいく。
「ん……なんだ、あの山」
行く手に、はるかに高い山の影が見えてきた。
馬車の窓から見えた山影は、はるか向こう、ずーっとどこまでも連なって、黄色くかすんで見えなくなるまで続いているようだ。
『あの山脈は、それぞれメルキュリー山脈と、パリスグリーン山脈です。魔王の大陸との国境に連なる山脈です』
アニがちりんと揺れて教えてくれた。
「国境……いよいよ迫ってきたな。あの山脈を越えていくのか?」
『いえ、まずはフィドラーズグリーン戦線を抜けるでしょう。二つの山脈の間のわずかな平地、そこに敷かれた戦線です。魔王との戦争における最前線となります』
最前線……ここまでは、いくつかトラブルこそあれど、まあまあ平和な旅路だった。モンスターもそこまで強くはなかったし、怪我人もほぼ出ていない。だがそこに到着したら、いよいよ戦争が始まるんだ。覚悟はしてきたとはいえ、やっぱり緊張するな……
(って、いかんいかん。今から緊張してどうする!)
まだ戦線に到達してすらいないんだ。臆病風に吹かれるにしては早すぎる。
(けど……なんだろう。この胸騒ぎは……)
俺は改めて、山脈を眺める。山頂付近には厚い雲がかかっていて、どんよりと淀んでいた。あの絶壁のような山々が、威圧するようにそびえているせいか?それとも……俺はふと、前に聞いた言葉を思い出した。
(ペトラが言ってた、普通の戦争じゃないってやつ。せめて意味が分かればな)
あの時の言葉は、まだ胸に残り続けている。あの黒い旅人は、一体何を知っているんだろう?この戦争の、何が普通とは異なるんだろう……
ああ!考え出すときりがない。とにかく今は、必要以上に気負わないこと。今から何ができるわけでもないんだ、座してその時を待つべきだ。
けれど、やっぱり緊張は、少しずつみんなにも伝染していっているようだった。ウィルはロッドを握ってぼーっとしていることが増えたし、ライラは俺のそばに引っ付いていることが多くなった。フランですら、ただでさえ少ない口数がさらに減ったくらいだ。アルルカも近頃は全く外を飛ばなくなったけど、それは周りの目もあるし、日差しが強いからかもしれない。唯一普段通りなのはロウランだけだ。いつもはその奔放っぷりに辟易するけれど、こんな時にはかえってありがたいよな。
そして、それは俺たちだけに留まらない。連合軍の兵士たちも、ちょっとずつピリついて行っている。それは、フィドラーズグリーン戦線が近づけば近づくほど、日増しに顕著になっていくみたいだった。
そんな日々がじりじりと続いた、ある日の夕暮れ時。燃えるような夕日を背景に、ついに俺たちは、フィドラーズグリーン戦線へと到着した。
某所。
……いや、この言い方は正確ではない。具体的な場所は不明だが、ここははっきりと“そこ”だと分かる。
(すなわちここは、魔王の城の中だ)
薄暗い牢屋の中で、二の国の女王・ロアは、何度目か分からない問い掛けを脳内で繰り返していた。
ここに攫われて来てから、もう何日が経過したのだろう。牢獄は常に暗く、時間の感覚が薄れる。恐らく数週間はとうに過ぎているはずだが、詳細な日数はさっぱり分からなかった。
ここに来た当初、ロアは昔読んだ冒険小説のように、壁に線を引いて日にちを数えようともしてみた。だが黒い石材で作られた壁は、ロアがどれだけ蹴っ飛ばしても、白い筋すら入らなかった。ただの石に見えて、恐らく未知の素材か、もしくは魔術による保護を受けているに違いない。
「はぁ……王城のみんなは、どうしてるんだろう」
ロアは粗末なベッドに横になると、遠い王都を思う。きっとエドガーは、自分を救い出そうと躍起になっていることだろう。それは嬉しくもあるが、同時に不安でもある。何といっても、敵は魔王だ。油断せず、入念な準備をしてから救出に来てもらいたいものだ。
「ふっ。我ながら、囚われの姫とは思えない言葉ね」
ここは独房なので、自然とロアの口調は緩む。もっとも、単なる独り言なので、口に出す必要もないのだが。
ここに来てしばらく。ロアはとりあえず、元気だった。ここは暗くてかび臭いが、不衛生というわけではないらしい。それに、食事も三食きっちり出る。水も、十分な量が入った水差しが毎朝届けられる。さらには二日に一度、湯がなみなみと張られた大きな桶が用意されるので、湯浴みすら可能だった。おかげでロアは、囚われの身とは思えないほど、清潔な身なりを保っていた。
(いつまで続くかは分からないけど)
それなりに快適とは言え、敵の鼻先にいることに変わりはない。その気になれば、囚人を餓死させることは容易いのだ。ロアの心身は今のところ健康だったが、それほど余裕があるわけでもなかった。
「ふぅ……ここにこうしてると、あいつの気持ちが分かるようね」
ロアは、自らが一度、地下牢に落とした少年のことを思い出した。あそこはここよりも、もっと淀んで、汚い場所だった。きっとあの少年は、今の自分よりもっと惨めだったに違いない。
「あいつは……助けに来て、くれるのかな」
ロアは膝を抱える。来てくれれば、嬉しい。あの少年の力があれば、きっと軍の損害も少なく済むだろう。しかし、彼は戦争に行くことを渋っていた。それに、かつて自らを牢屋に閉じ込めた相手を、助けになど来てくれるのだろうか?それも、こんな伏魔殿まで……
キィ。
「っ!」
ロアはさっとベッドから体を起こした。今の音は、地下牢の入り口の鉄扉がきしむ音だ。すなわち、誰かがここへやって来るということ。今まで何度となく聞いたので、ロアはその音には敏感になっていた。
コツ、コツ。階段を下りてくる足音。やがて目の前が、淡い青色に色付いてくる。それは、この城の者が使うランタンの光であった。
「起きているか。二の国の王女よ」
やがて光が、ロアの独房の目の前までやってくる。青白い光に、ロアは目を細めて、手を顔の前にかざした。
「誰だ?いつもの世話役ではないのか」
「違う。覚えているはずだ。私と貴様は、一度ここで声をかわしている」
ロアは眉をひそめる。ようやく目が慣れてきて、ロアは顔の前から手をどけた。そこに立っていたのは、黒髪に黒い瞳の男。ロアは思い出した。
「お前は……あの時の男か。勇者ファーストと名乗った痴れ者だな?」
「痴れ者?」
その男は、わざとらしく首をかしげる。
「意味が分からないな。私はなにも恥ずべきことなどしていない。痴れ者と言うのならば、それは貴様らのことを言うべきだろう。恥知らずのペテン師どもよ」
「なにを言う!……いやまて、今、貴様“ら”と言ったか?どういう意味だ?私一人ではないと?」
食いかかるロアに、男は肩をすくめる。
「そうがっつくな。慌てずとも、今から説明してやる」
呆れたような言い方に、ロアは顔を赤くした。
「今日来たのは、なぜ私が貴様を攫ったかを教えてやるためだ。初めに訊いておくが、心当たりは?」
「心当たりだと?あるに決まっていようが。王女の首を狙う不届き者は、履いて捨てるほどいるからな」
今度はロアが小ばかにしたような口調で言った。すると男は、小さく首を横に振った。
「自惚れだな」
「なに?」
「自惚れも大概にせよ、小娘。貴様の代わりなど、いくらでもいるだろう。貴様自身の価値など、いかほどのものがあるというのか」
「きっ、貴様……!」
「私は、貴様に価値など見出していない。重要なのは、貴様が犯した、罪だ!」
男の叫びが、牢獄にこだまする。急に大声を出され、ロアは一瞬びくりと身をすくめたが、気丈に言い返した。
「罪だと?ふざけるな!万が一私に罪があろうとも、こんな形で対話を持とうとする輩に、罪がなんだと説教されてたまるものか!」
ロアが声を荒立てると、男は手に負えないとばかりに、首をゆるゆると振った。
「その傲慢こそが最大の罪だと、まだ気づいていないらしい。だがそれ以上に、貴様には拭いきれない罪がある」
「そんなものっ」
「ある。言い訳など聞かんぞ。貴様ら王族には、大罪を背負う所以があるはずだ」
遮るようにそう言われて、ロアは口をつぐんだ。ロア一人ではなく、王族に?
「貴様ら王族には……我々の恨みを!痛みを!無念を!それら全てを知る責任がある!そうだろう、二の国の女王よ!まだ分からんと言うのなら、私の名を言ってみろ!」
男の気迫に、ロアの声は思わず小さくなった。
「お、前の名は……勇者、ファースト……」
「そうだ!私は勇者!貴様ら王族に、理不尽に命を弄ばれた者たちだ!この戦争は、我らの無念を晴らすための戦いだ!貴様を攫ったことなど、その始まりに過ぎない!」
ガシャーン!男が鉄格子に掴みかかった。ロアは思わず、ベッドの上で後ずさりした。
「時間をやろう。せいぜい、今のうちに生を満喫しておけ……だがあるいは、生きていることを後悔するやもしれんな。その時まで、自らが犯してきた罪に向き合い続けるがいい。そしてその身の内に巣食う邪悪と、おぞましい理不尽を知るのだ」
男は鉄格子から離れると、ロアに背を向けた。
「それが、貴様のできる唯一、そして最後の善行だ」
カツン、カツン。男は再び階段を上っていく。
後には、ロアだけが残された。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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