2-3
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俺はフランが泣き止むまで、ずっと彼女を抱きしめていた。あれだけ吹いていた風は、いつしか止んでいた。森は夜の静けさを取り戻している。
「……もう、いいよ。ありがと……」
胸の中のフランがもぞりと動いた。ずっと泣き続けたせいで、声はかすれていた。俺は腕を緩める。
「……顔、見てもいいのか?」
「……うん」
フランが、ゆっくりと顔を上げる。フランの顔は、涙でぐしゃぐしゃだった。銀の髪が濡れた頬に張り付き、星明りに光っている。俺はそっと、目元を拭ってやる。
「よかった……」
「え?」
だしぬけに、フランが言う。
「わたし、最期におばあちゃんのこと、安心させてあげられた。わたしは何一つ、おばあちゃんを喜ばせてあげることができなかったから。一つだけでも、恩返しができてよかった……」
「フラン……そんなことねえよ。じゃなかったら、最期にフランに会いに来るもんか。ばあちゃんだって、フランを愛してた」
「そうかな……」
「ああ。それを悔やんでたから、こうしてお別れを言いに来たんだ。それこそ、現世に未練を残すほどにな……」
ばあちゃんは、ずっと苦悩していた。娘の命を奪って産まれてきた孫。憎んでも憎み切れない男の血を継いだ孫。それでもたった一人の家族であった孫。愛憎の狭間で、それでも最期まで悩み続けたんだ。諦めてしまえば、割り切ってしまえば簡単だったのに、ばあちゃんはそれをしなかった。最期まで、どちらも胸に抱え続けた。
それはきっと、俺なんかが理解できることじゃない……けど、これだけは言える。ばあちゃんは、フランを愛していた。
「……なら、やっぱりよかった。おばあちゃんに、ちゃんと見せられたから。今わたし、幸せだよって」
「フラン……」
「ありがとう。あなたが……桜下が居てくれて、本当によかった。わたしやっぱり、桜下が好き……」
……駄目だ。我慢できない。フランへの愛おしさが、胸の中に溢れてくる。俺はその衝動に押し流されるように、フランに口づけした。フランの唇は、涙のしょっぱい味がした。
顔を離すと、フランが何か言いたげな目でこっちを見ている。な、なんだろう?
「……ちゃんと、口でも言って」
「うっ……好きだ」
「……もっと」
ぐぅ、結構恥ずかしいのに……結局俺は、一晩中フランと一緒にいた。フランを抱きしめて、銀色の髪を撫でているうちに、俺は眠ってしまっていたらしい。気が付いたら、あたりが明るくなってきていた。
「ん……いけね、寝てたか」
「おきた?」
フランの声が上から降ってくる。見れば、フランが俺を覗き込んでいた。頭の下には柔らかい感触……久しぶりだな。膝枕されているらしい。
「悪い、いつから寝てたか……」
「そんなには寝てないよ。ごめんね、遅くまで付き合わせて」
「いいって。そんなに悪い時間でもなかったしな」
そう言うと、フランは頬を赤らめて、顔を逸らした。さて、少し名残惜しいが、そろそろ起きないと。俺は体を起こして伸びをした。
「んんっ……はぁ。一晩過ごしちまったな。みんな心配してないかな?」
「アルルカに言ってきたから、大丈夫だと思うけど。でも、そろそろ戻らないとね」
「ああ……フラン、大丈夫か?」
フランの目元は、やっぱり少し腫れている。今は落ち着いているように見えるけれど……
「ん……やっぱりまだ、ちょっと悲しい」
フランは素直にそう言い、瞳を伏せた。
「でも、大丈夫。悲しいけど、支えてくれる人がいるから。歩いて行けるよ」
「そっか……うん、そうだな。でも、無理はすんなよ」
「わかってる。また、辛くなったら……甘えても、いい?」
フランが上目遣いに訊ねてくる。考えるまでもないな。
「もちろん」
仲間たちの下に戻ると、ライラ以外は全員が揃っていた。ライラだけはまだ寝息を立てている。
「おかえりなさい、お二人とも。朝ごはんの支度をしてますから、もう少し待ってくださいね」
ウィルはいつも通りに、俺たちを出迎えてくれた。俺たちが何をしていたのかについては、詮索してこない。
(たぶん、気ぃつかってくれてるんだな)
一晩もいなかったなら、さすがにおかしいと思うはずだ。それに、フランは昨日、わんわん泣いていた。昨晩は風が強かったとはいえ、あれが聞こえないことは無いだろう。てことはやっぱり、察してくれているんだ。
(みんな、優しいな)
フランを支えているのは、俺だけじゃないんだ。安心してくれよ、ばあちゃん。フランを好きなやつは、たくさんいるぜ。
朝日が森を照らす頃、俺たちは出発した。この森を抜ければ、王都はすぐそこだ。だけれど、昨日までとは事情が変わった。ばあちゃんのことだ。
「フラン。本当にいいのか?」
出発の前、俺はフランに、小声でそう訊いていた。
「このまま南に向かえば、モンロービルに寄れるんだぜ」
今いるのは西部街道だが、南に下れば巡礼街道にはすぐに入れる。巡礼街道沿いには、フランの故郷であるモンロービル村があった。
「いいの。最初の通り、王都に向かおう」
けれどフランは、きっぱりと首を横に振った。
「けど……」
「やせ我慢してるわけじゃないんだ。やっぱりわたしは、あの村が嫌い。それは向こうも同じだろうから、今行ったら必ず面倒なことになるでしょ。そんなんじゃ、落ち着いてお墓参りもできないよ」
ううーん……モンロービル村と俺たちとは、ずいぶんこじれた関係を築いてしまっている。一理ある意見だが。
「それにね。おばあちゃんのお墓には、ぜんぶ終わらせてから行きたいの。全部のごたごたが片付いた、その後で」
それには、俺も納得できた。後が詰まったままじゃ、ゆっくりもできない。
「わかった。じゃあこれが片付いたら、改めて行こうな」
「うん」
魔王とのいざこざがなくなって、またのんびりできるようになったら……その時は、改めてばあちゃんに会いに行こう。その為にもまずは、王都を目指すんだ。
その日のお昼ごろ、俺たちはようやく森を抜けた。いやぁ、本当にでかい森だった。けれどこれで、ずいぶん乗馬に自信がついた気がするぞ。森の中は見通しも悪いし、道もガタガタしていたけれど、俺は無事に走りおおせて見せたからな。ははは、そろそろ若葉マークも卒業だ。
昼飯を食いながら、俺はそれとなーく、フランの様子を窺っていた。彼女自身は大丈夫だとは言ったけれど、それでも心配だったんだ。けど本当に、フランはいつも通りだった。昨日あれだけ泣いたのが嘘みたいに、普段のクールなフランに戻っている。ううむ、大したもんだな。
そんな風にしていると、時折フランと目が合った。その度にフランは嬉しそうに微笑むので、俺は終始胸の調子がおかしかった。ごほん、えほん。
そんな昼下がり。荷物を広げて、食料の残りを確認していたウィルが、ふと声を上げた。
「あら?誰か来ますね。旅人さんでしょうか?」
うん?……あ、ほんとだ。それほど遠くないところに、一台の馬車が見える。馬車は街道沿いに、まっすぐこちらへ向かってきているようだ。
「すれ違いそうだな。アルルカ、ちゃんと前留めとけよ」
「ちぇっ、うっさいわね。これじゃ何のために出してるのか分かんないわ」
アルルカはぶつぶつ言いながらも、マントの目を留めた。そうこうしているうちに、馬車は俺たちのそばまでやってきた。へー、ずいぶん大きな馬車だなぁ、何を積んでいるんだろうと眺めていると……なぜか向こうが速度を落としはじめたぞ。
「なんだ?止まる気みたいだぞ」
馬車は俺たちのすぐ前で停車した。御者席に座っているのは、恰幅の良いおじさんだった。いや、恰幅が良いってのは、ちょっとマイルドな表現だったかもしれない。着ている服ははち切れそうだし、お尻の肉が御者席からはみ出している。心なしか、馬車も前に傾いているようだ……馬車を引く馬は、さぞかし苦労していることだろう。
おじさんは身を乗り出すと、丁寧な口調で訊ねてきた。
「もし、すみません。ちょっとお訊ねしてもよいでしょうか?」
「はあ。まあ、俺たちで答えられることなら」
「ありがとうございます。この辺りに、モンロービルという村はありませんでしょうか?」
モンロービル?フランがその名前に反応して、こっちをちらりと見た。
「ああ、あるよ。こっから南に行ったところだ」
「ああ、そうでしたか。よかった、道は間違えていないようだ。もしかして、あなたたちはモンロービルから?」
「いや、俺たちはただの旅人。仲間に出身のやつがいるんだ」
「おや、奇遇ですな。私の連れも、同じ村の出身なのです。ほら、お前たち。出ておいで」
おじさんが呼びかけると、馬車の中から小さな子どもが二人、ひょこっと顔をのぞかせた。そっくりな顔の、男の子と女の子だ。
「わーい!わたしたちとおんなじ生まれなの?それってだあれ?」
「わーい!ぼくらとおんなじ生まれなの?それって、もしかしてお兄さん?」
二人は息ピッタリだ。俺は笑って首を横に振った。
「いいや。俺じゃなくて、あっちのお姉さんだ」
俺がフランを手で示すと、子ども二人はフランに向かって満面の笑みを浮かべた。だがフランは応える気が無いようで、ふいっと顔をそむけてしまう。子どもたちががっかりした表情を浮かべた。
「これこれ、お前たち。すみません、騒がしくしてしまいまして」
おじさんはすまなそうに、頭を下げてくる。フランの態度を、怒っていると思われてしまったみたいだ。
「あ、いえ。恥ずかしがりやなだけなんで」
「そうでしたか。道を教えて下さり、ありがとうございました。私どもはそろそろ失礼させていただきます。よい旅を」
おじさんは軽く会釈すると、馬車を走らせ始めた。子どもたちはばいばーい!と手を振ると、馬車に引っ込んでいった。俺は見送りながら首をひねる。
「モンロービルに、あんな子どもたちがいたんだな。まえに村に寄った時は見なかった気がしたけど」
するとなぜか、去って行く馬車を、フランが睨みつけていた。
「……」
「フラン?なに恐い顔してんだ?」
「……あの子どもたち、気に食わない」
「へ?なんでだよ」
するとフランは、真顔で言う。
「なんとなく」
さいで……フランって、子ども嫌いなのかな?
「まあいいや。そろそろ出発しようぜ」
腹ごしらえも済んだし、移動を再開しよう。まだ先は長いんだ。と、その時。俺はふと、地面にいくつもの轍が残されていることに気が付いた。ここは街道なんだし、それ自体はありふれた光景だ。けど、ここのは妙に数が多い気がする。そんなに往来が激しい道だとは、思えないけど……今日は馬車が多いのかな?と一人で納得する。この時は、別におかしなことだとは思わなかった。
そして、移動を再開する。だが、何キロも進まないうちに、俺たちはまた足を止める羽目になってしまった。というのも、なぜか道の真ん中に、行列ができていたからだ。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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