14-2
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宿に戻ると、ライラはすっかり目を覚ましていた。どころか、半泣きでべそをかいていた。
「うっ、うっ、ううぅ……」
「どっ、どうしたライラ!?」
「ライラさん、何があったんですか!?」
俺とウィルが血相変えて慰めなだめて、そうしてようやく訊きだしたところによると、起きたら誰もいなかったので不安になってしまったらしい。
「あ゛っ。そ、そうでした。みんなして出てきちゃったから……」
「あ、ああ~。そうだよな、ごめんライラ」
「もぅ、みんなのばかぁ~」
そうだな、起きて一人だったら怖いよな。追いかけっこしている場合じゃなかった。平謝りだ。
どうにかライラを泣き止ませる頃には、太陽はずいぶん高くまで昇っていた。出発前に、とんだハプニングを喰らってしまった。
「えー、ちょっとゴタゴタはしたけど……エラゼム」
「なんでしょうか、桜下殿?」
俺は部屋を出る前に、エラゼムに訊いておきたいことがあった。
「まあなんだ、これまでお前にはずいぶん世話になったからさ。旅立つ前に、ささやかなお別れ会でもしようかって、みんなで話してたんだ」
「お別れ会、ですか?」
昨日、みんなとそんな話をした。送別会ってやつだ。
「ああ。今までの感謝を込めてさ。ただ、すぐにでも出発したいってんなら、無理にとは言わないよ。エラゼムの意思を尊重する。どうだ?」
「そう、ですな……」
エラゼムは少し考えこむと、やがてゆっくりと首を横に振った。
「申し訳ございません。ありがたい申し出ではありますが、お断りいたします」
「あ、やっぱり迷惑だったか?」
さっきまで泣いていて、目を赤くしたライラが、それでもむっとする。昨日、エラゼムが断ったら、魔法をぶち込んでやるって息巻いていたっけか?しかしエラゼムは、再度首を振った。
「迷惑なんて、とんでもない。お気持ちは本当に嬉しいのです。しかしながら、吾輩のためにお手間を取らせるわけにはいきませぬ。時間もお金も、これからがある皆様のために使うべきです」
「えぇ?でも、遠慮すんなよ。これで最後なんだぜ?」
「いいえ。最後であろうと最初であろうと、吾輩のためになど使うべきではありません。それに、死霊の皆様とは、今までいくつもの夜を共に過ごしてまいりました。そして桜下殿とは、先ほど剣を交えたばかりです。剣士にとって、試合以上に相手を知る方法はありません」
なるほど。もう十分語り合いは済んだってことか。だけどその条件だと、たった一人当てはまらないやつがいる。そいつもまた、それを感じていたようだ。
「じゃあ、ライラはどうなのさ」
ライラはむっつりした顔で、エラゼムを睨み上げる。
死霊ではあるが、少々特殊な事情から、夜は普通に眠るライラ。彼女がエラゼムと一緒に夜を明かしたことはない。それにライラはしばらくのあいだ、エラゼムを一方的に嫌っていたからな。過ごした密度で言ったら、一番スカスカかもしれない。
「ライラ嬢……吾輩と話すことで、ライラ嬢は不快な思いをされるのではないですか?」
「そっ!そんなこと、ない、けど……」
「吾輩を許して下さるのですか?」
「……もうとっくに、そんなのしてるに決まってるじゃん。ライラだって、お前が悪くないってことくらい、わかってたよ」
なんだ、やっぱりそうだったのか。俺はちょっとだけほっとした。今までのは、単に意地張っていただけだったんだな。
エラゼムはかがむと、ライラに目線を合わせた。
「その言葉が聞けただけで、十分です。ライラ嬢。吾輩は貴女のことを、決して忘れはしません」
「……」
ライラは何も言わずに、ウィルの後ろに隠れてしまった。ウィルは半透明だから、隠れてんのか微妙なところだけど……ま、照れ隠しだな。ウィルもにこにことほほ笑んでいる。エラゼムは、満足そうにうなずいた。
「共に過ごした時間が、皆様の心の中に、吾輩の姿を刻んだことを望みます。吾輩も同じです。別れはしますが、その姿が消えることはありません。永遠に」
特別な別れの言葉は必要ない。彼は、ゆくべき場所に帰るだけだ。そういうことだよな、エラゼム?
グランテンプルへ赴くと、ステイン牧師と、ミゲルとマルティナが出迎えてくれた。
「お待ちしておりました。話は二人から聞いております。本日、行かれるのですな?」
「はい」
エラゼムが牧師に答える。
「承知しました。あなたの新たなる旅路に、幸多からんことを」
「ありがとうございます、牧師殿」
エラゼムは牧師に礼をした。
そこからは、またミゲルたちに案内してもらって、裏山へと向かう。道中は誰も口を開かず、ずっと無言だった。たぶんみんな、この後のことを考えていたんだと思う。俺もそうだったから。
そしてついに、聖域へと到着した。
「あれ、ここ……なんだか……」
昨日は青い光に満たされていた洞窟は、今は柔らかな白い光に包まれている。まるで印象が違うぞ……
理由はすぐに分かった。天井に開いた穴から、陽の光が差し込んで、それがメアリーの像の結晶に反射しているんだ。昼と夜でこんなに雰囲気が変わるだなんて、驚きだ。それに……
「エラゼムさんが旅立つ日に、空が晴れるだなんて。天まで祝福しているみたい……」
ウィルのつぶやきに同感だ。昨日まではずっと空は曇っていた。それが今日に限って晴れるだなんて……出来過ぎだな。
「それでは、私たちは下がらせていただきます。水入らずで過ごしていただきたいので」
マルティナはそう言うと、ミゲルと共に洞窟から出て行った。気を利かせてくれたんだな。おかげで余計なことを気にせずに、エラゼムを送ってやれそうだ。
「……」
エラゼムは一歩進み出て、メアリーの石像の前に立った。俺たちは彼の背中を見つめる。
「皆様」
エラゼムがこちらに振り返る。
「では、吾輩は先に逝かせていただきます」
い、いよいよか……さっきは別れの言葉はいらないなんて思ったけど、いきなりドロンなんてことはないんだよな?
「ロウラン嬢」
エラゼムは一番端にいた、ロウランに話しかける。
「貴女は、優れた盾をお持ちだ。吾輩が抜けた後の穴埋めをお任せしてもよいでしょうか」
「うん、任せて。ダーリンには傷一つ付けさせないの」
「頼もしい限りです。よろしくお願いします」
次に彼は、アルルカを見る。
「アルルカ嬢。出会いの形はともかく、今の吾輩たちは同胞です。これからも貴女の気が変わらないことを願いましょう」
「ふん。余計なお世話よ。あーあ、あたしの弾丸であんたをぶち抜けなかったことだけが心残りだわ」
「ははは。それは来世まで持ち越しですな」
そして次に、腰をかがめてライラに目を合わせる。
「ライラ嬢。先ほども言いましたが、吾輩を許していただき、ありがとうございます」
「……別に。ライラは、バカじゃないだけだよ」
「その通りですな。その才能を活かして、皆様の支えとなってくだされ」
ライラはこくりとだけうなずいた。
「ウィル嬢」
「……はい」
「貴女の優しさに、吾輩は何度も驚かされました。貴女だけは、呪いや恨みに縛られていない。吾輩がとうの昔に失ってしまったものを、貴女は持っている。どうか、それを失くさないでください」
「……はい。はぃ……」
ウィルの声は震えていた。エラゼムは困ったように首を振る。
「泣かないでください。吾輩の為になど。いや、しかしそれこそが、貴女の尊ぶべき美点ですな」
そして次に、フラン。
「フラン嬢。貴女からは、信ずる心を学びました。一介の騎士として、貴女を尊敬しております」
「……そんな大したことじゃないよ。ただ、執着が強いだけ」
「ははは、執着ですか。しかしそれとて、貫き通せば信念というもの。貴女の強さは、必ずや桜下殿の宿願の一助となりましょう」
フランは少し照れ臭そうにうなずいた。
さて、いよいよ俺か……と思ったが、真面目な彼は、もう一人を忘れちゃいなかった。
「アニ殿」
『……私、ですか?私はあくまでアイテムにすぎませんが』
「何をおっしゃるか。あなたと吾輩は、同じ主に仕えた者同士。立派な仲間でありましょう」
『まあ、何と捉えるかは、そちらにお任せしますが……』
「はい。吾輩はあなたを仲間だと思っております。そのことを忘れないでいただければ幸いです」
『……あなたもまた、私に仲間であれと言うのですね。主様と同じように』
アニは呆れたように、ゆるゆると左右に振れた。
さあ、それじゃいよいよだ。
「桜下殿」
「おう」
エラゼムが俺を見る。けど俺は、自分から口を開いた。
「俺たちは、さっき別れを済ませたもんな。いまさら話すこともねーや。だろ?」
「桜下殿……」
エラゼムは少し驚いた様子だったが、すぐにうなずいた。
「そうですな。お伝えしたいことは、全てお伝えしました。二番煎じでは言葉も薄れましょう」
うん、それでいい。俺はもともと、しめっぽいのは嫌いなんだ。これくらい軽いノリの方が、俺の性に合ってるぜ。
全員との別れが済んだエラゼムは、改めてメアリーの像に向き直る。
「メアリー様……誠に勝手ながら、このエラゼム、貴女の下へ馳せ参じました」
エラゼムは片膝をつくと、メアリーにこうべを垂れた。
「お久しぶりでございます……貴女にお伝えしたいことがあるのです」
すると、その時……
パァー!急に陽の光が強くなって、洞窟内がにわかに明るくなった。な、なんだ?ちょうど光の角度が合って、陽が差し込んだのだろうか。
「え……」
「うそ……!」
俺たちは息をのんだ。エラゼムの前に、メアリーがいる……!




