3-1 旅の一座
3-1 旅の一座
サーカスだって?
俺たちがその奇妙な集団に近づいていくと、その手前でアルアが馬を止めていた。
「アルア嬢、こちらの方々は?」
エラゼムが問いかけると、アルアは煩わしそうな顔で、その一行を見回す。
「流れの芸人たちです。劇団旅烏、と言うそうで」
流石に年長のエラゼムには敬意を払っているのか、アルアはきちんとした受け答えをした。
「ほう、旅芸人の方たちですか。ですが、なぜこのような道端に?この花畑は美しい場所ですが、往来が多いとは言えますまい。大した来客は見込めないでしょう」
「この先に一つ、村があるんです。おそらくはそこが目当てでしょう。本公演の前に、最後の予行練習といったところではないですか」
「なるほど……」
へーえ、サーカスか。前にテレビじゃ見たことあるけど、本物を見るのは初めてだった。ウィルは俺の背中で、うきうきとはしゃいでいる様子だ。
「すごーい、いつ以来かしら!」
「ウィルは、サーカスを見たことあるんだ?」
「ええ。一度だけ、コマース村に一座の方がいらしたことがあるんです。私が子どものころでしたから、もう何年も前になりますね」
「ふーん。ここと同じとこか?」
「いえ、たぶん違います。もっとこじんまりした感じでした。この劇団は、結構大きいと思いますよ」
そうなのか。確かに、ずいぶんと人が多い。それによく見てみると、劇団員だけじゃなくて、見物人っぽいのもちらほらといるみたいだ。早くも噂を聞きつけた村人か、じゃなきゃ俺たちみたいな旅人が足を止めているのだろう。
俺たちの話を聞いていたエラゼムが、アルアへと話しかける。
「アルア嬢。旅程についてですが、今晩はこの先にあるという村で、宿をとるおつもりか?」
「……ええ、まあ。そのつもりでしたけれど」
「では、少し時間がありますな。よろしければ、この一座を見学してもよろしいでしょうか。なにぶん、物珍しいものですから」
おお、エラゼム!気が利くな。背後でウィルも喜んでいるのが分かる。アルアはかなり渋い顔をしていたが、断る理由が見つからなかったのか、最終的には首を縦に振った。
「……まあ、結構です。日没までに村に着けば、旅程は変わりませんから」
「そうですか。ありがとうございます」
エラゼムが礼をする。やったぜ、そうと決まれば、善は急げだ!俺はするりと馬から下りた。
「あ、まって桜下。ライラも行きたい!」
おっと。ライラがこちらに腕を伸ばしている。俺はライラのわきの下に手を突っ込むと、抱っこするように下ろしてやった。
「よし、早速行こうぜ。ウィル、ライラ。あ、フランも来るか?」
「ん、じゃあ」
「オッケー。行こう行こう!」
俺はライラと手を繋いで、旅団の下へと早足で歩いて行った。
「行ってしまわれましたな」
桜下達の背中を見送って、エラゼムは微笑ましいものを見る声で言った。彼はそのまま、頭上を見上げる。太陽に重なるようにして、アルルカが空で円を描いていた。どうやら興味が無いのか、下りてくる気配はなさそうだ。
「さて……時に、アルア嬢?」
自身もストームスティードから下りたエラゼムは、未だ馬上にいるアルアに声を掛けた。
「はい?」
「もしよろしければ、アルア嬢も見物に行かれたらいかがですか。馬は吾輩が見ておりますので」
「いえ、私は……」
「む、これは申し訳ない。要らぬおせっかいでしたかな」
「そういうわけでは……そこまで言うのでしたら、少しだけ足を伸ばしてきます」
アルアは渋々と言った様子で、鞍から下りた。
「では……すみませんが、よろしくお願いいたします」
アルアは手綱をエラゼムに渡す。それをエラゼムが受け取った後も、アルアはしばらくじっとしていた。ふいに口を開く。
「……あなたは」
「はい?なんでしょう」
「……いえ。なんでも、ありません」
アルアはゆるく首を振ると、とつとつと歩いて行った。その背中を見送りながら、エラゼムはあごのあたりを撫でる仕草をした。
「ふむ……」
「おおー。これは……」
なかなかすごいな。俺はサーカスを見学しながら唸る。
やっていることは、結構オーソドックスだ。ジャグリングとか、玉乗りとか。ただ、ジャグリングしているお手玉が燃えていたり、乗っている玉がでっかいアルマジロだったりするのは、全然オーソドックスじゃない。やっぱり、こっちの世界仕様にローカライズされているんだなぁ。
「っ!桜下、みてみて!」
ライラが手を引っ張ってくる。そっちの方を見ると、うおお。
「とっ、透明な馬……」
「ね。ストームスティードかなぁ?」
そこには、透明な馬に乗ったピエロがいた。なんで透明なのに分かるのかって?そりゃあ、派手な色の馬鎧を着ていたからだ。俺から見れば、鎧とピエロが宙に浮かんでいるように見える。奇妙な光景だ……いっつも乗る側だったから分からなかったけど、はたから見れば俺たちもあんな感じなのか……
俺たちがじっと見ていると、おん?透明な馬の表面を、さぁっと波が走ったように見えた。目の錯覚か?いや、そうじゃない。まるでペンキを上から垂らしたように、馬の姿が溶けるようにじわじわ現れた。馬の体は、アクアマリンで作られたような、澄んだ青色だ。
「なんだ、あの馬……氷ででもできてるのか?」
「惜しいね。あれは、水でできてるのさ」
う、お?いつの間にか、俺たちの後ろに女性が立っていた。ライラが驚いて、俺の後ろに隠れる。それを見て、女はケラケラ笑った。悪い人じゃなさそうだ。
女性の髪は鮮やかなオレンジ色で、顔にはハート形のペイントをしている。サーカスの人か。
「えっと……水って?」
「あれはケルピーってんだよ。透明になって、水に溶け込むことができるんだ。そんでもって、普通の馬の何倍も力持ちなのさ」
へえ~。ケルピー、聞いたこともないな。俺がしげしげとそいつを眺めていると、もう一人、別の男がこちらに近づいてきた。こっちの男の髪は緑で、シルクハットを被っている。顔にはひし形の刺青がしてあった。
「おや、これはこれは、小さなお客様方だ。この辺の村の子かい?よく来たね」
「へ?えっと……」
「楽しんでくれたかな?明日の本公演になると、もっと楽しい出し物がたくさん出るよ。ぜひ、お父さんとお母さんも誘ってきてね」
ははあ、なるほど。こうやって派手にリハーサルをしていたのは、告知も兼ねていたのか。そうなると、ちょっと申し訳なくなるな。俺たちは明日には、村を離れているだろうから。
そんな俺の微妙な表情を、緑髪の男はどう受け取ったのか、困ったように笑った。
「おや?ひょっとすると、まだ楽しめてもらえてないのかな?」
「え?いや、そういうわけじゃ」
「いやいや、子どもが遠慮しちゃあいけないよ。そうだな、なにか……あ、そこのお嬢ちゃん」
ん?男は、フランの方を向いた。するとその時、オレンジ髪の女の人が、なぜか顔をしかめたんだ。どういう意味だろ?俺が訊ねる前に、男はフランの方へと近づいていく。
「お嬢ちゃん、ちょっと失礼。後ろに何か付いてるよ」
「は?」
フランが怪訝そうな顔をする。男はそのまま、ひょいっとフランの腰元あたりに手を伸ばした。
「ほら、これ」
ずるる。男は、黒い布みたいなものを引っ張り出した。おお、さっきまで手には何も持ってなかったのに。この人は、手品師なのかな。けど、布一枚を取り出しただけじゃあ、大した腕じゃあないな。俺が内心で高を括っていると、男は引っ張り出した布を広げて見せた。
「ほらこれ、お嬢ちゃんのじゃない?」
「ぶふっ」
「なぁ!?」
それは、パンツだった。しかも、スケスケの大人パンツだ。フランはばっとスカートを押さえ、俺は茫然とする。フランって、あんなの履いてんのか……
「ちっ、違う!わたしんじゃない!」
フランはばっと腕を振り上げて、男の持つパンツを弾き飛ばした。そして俺の下へ詰め寄ってくる。
「ほら!わたし、ちゃんと履いてるから!」
「うわ、よせ、こんなところで!めくらなくていいから、分かったから!」
今にもスカートの中を晒そうとするフランの手を、必死に押さえつける。オレンジ髪の女性が、眉を吊り上げて男に怒鳴った。
「ちょっと!子ども相手に、恥ずかしくないのかい!」
「なに、ちょっとした余興ですよ、余興。楽しんでいただけたみたいだね。じゃあ、僕はこれで」
男は落としたパンツを拾い上げると、それをひらひらと振りながら去っていった。な、なんだ、あのパンツ自体が仕込みだったのか。それもそうだな、下着を服の上から引き出せるはずがない。
「ごめんね、坊やたち。気を悪くしないでおくれ。あたしたちの一座は、あんなイカサマ師ばかりじゃないからさ」
「ああ、うん。わかってるよ」
オレンジ髪の女性は、申し訳なさそうな顔をして去っていた。俺はフランの肩を叩く。
「災難だったな?」
「……あんなくだらない事に、いちいち腹は立てない」
「お、そうか?」
「でも、あなたに誤解されるのは嫌」
へ?フランはじっと、赤い瞳でこちらを見つめてくる。
「だ、だってあれは、インチキじゃないか。誤解なんて、しないって」
「ほんとう?」
うっ……一瞬、本物だと思ったってことは、黙っといた方がよさそうだな……
「桜下ぁ、手がびちょびちょだよ?」
うわっ。ライラがつないだ手を、にぎにぎしてくる。フランの目が一層険しくなった。
「そ、それよりほら!あっちに、面白そうなもんがあるぞ!行ってみよう!」
「わ、ちょっと桜下!」
その場から逃げ出すように、俺はライラを引っ張って行く。追いかけてきたウィルと、そしてフランに何か言及されるんじゃと冷や冷やしたが、幸いそうはならなかった。もっと珍しいものがあったんだ。
「わ、なんですかこれ……」
俺が向かった先には、羽の生えたライオン、だけど顔は人間の、スフィンクスがいたからだ。物珍しいそのモンスターは、不思議ななぞなぞを見物人に投げかけている。
「朝は十本脚、昼は零本脚、夜は六本脚の生き物は?」
なんだ、そりゃ?この世界には、そんなモンスターがいるのかな?俺たちも見物人に混じって頭をひねってみたが、さっぱり分からない。そんな中、フランがぽつりとつぶやいた。
「……蝶だ」
「へ?蝶?そんなヘンテコな蝶がいるのか?」
「朝昼夜ってのは、その生き物の一生を表しているんでしょ。芋虫は脚がたくさんあるし、蛹に足は無い。蝶になれば、脚は六本だ」
するとスフィンクスは、満足そうに微笑んだ。
「正解だ。知恵ある者よ」
おおーっ。周りから歓声が上がると、フランは照れ臭そうにうつむいた。へー、フランのやつ、生き物に詳しいな。俺なんて、蝶が何本脚かも知らなかったのに。
ガラガラガッシャーン!
「おわっ。な、なんだ?」
突然響いた、何かが崩れるような音。見物人や劇団員、それにスフィンクスまでもが目をしばたいて、辺りを見回している。演奏家も手を止めたのか、楽し気な音楽も止まった。
「いてててて!おい、放せって!」
「黙れ!破廉恥男め、恥を知りなさい!」
んん?この声は、もしや……
声の出所を目で追うと、そこには崩れた木箱の山があった。その山に埋もれるようにして、緑髪の男が倒れている。あいつ、さっきの手品師か?そして、その男をものすごい剣幕で睨みつけていたのは、事もあろうかアルアだった。
「そ、そうかりかりすんなよ。ちょっとしたジョークじゃないか……」
「お前は冗談で、女性にあんなことをするのか!言い訳する前に、少しは反省したらどうなんです!」
アルアが男の手をねじり上げると、男は悲鳴を上げてバシバシとタップした。かなり痛そうだぞ。
「おいおい、マジかよ!」
「桜下さん、あれ、マズいんじゃ……」
「だな。みんな、行こう!」
俺たちは騒然とする見物人たちをかき分けて、アルアのもとへ向かう。
「ひぃー、ひぃー!悪かった、悪かったから、もう勘弁してくれ!」
「謝るときは、きちんと目を見て謝りなさい!」
「おい、アルア!何やってんだよ!」
俺が声を掛けると、アルアは男の腕をひねったまま、ぎろっとこちらを睨む。
「黙れ!お前に口出しされる筋合いはない!」
「ちっ、ああそうかよ!でもな、いちおうあんたは、俺たちの同行者なんだ。そいつがこんな往来でケンカなんて始めちゃ、俺たちもうかうかしてられないんだよ!」
「なにを……!」
アルアはギリギリと歯を剥くばかりで、ちっとも耳を貸そうとしない。
「桜下さん、まずいですよ!」
ウィルが、腕をひねられている男の顔を見て、ばっとこちらに振り返った。確かに男の顔は、土気色になってきている。手品師の腕を折ったとなったら、大事だ。
「フラン!」
「わかった」
フランは二つ返事で、アルアの手を払いのけた。やっと解放された男は、転がるように逃げていく。
「あっ、何をする!」
アルアがフランを睨む。
「バカがこれ以上バカしないよう、止めた」
「なんですって……!なんの事情も知らないくせに!」
「だいたいは想像つくよ。けど、やりすぎ。あれだけやってもいいのは、お前があの男に殺されかかった時くらいだ」
フランの毅然とした態度に、アルアは少し怯んだようだった。何があったのか詳細は知らないけど、勘弁してもらいたいな。この騒動のせいで、この場にいるほとんどがこちらに注目している。楽しげだった雰囲気が一変して、気まずい空気だ。うぅ、視線がチクチク刺さる……ライラは俺の背中に隠れてしまった。
「桜下殿!みなさん!何がありましたか!?」
エラゼムが大慌てで、アルアの馬を引いてやってきた。
「ああエラゼム、ちょうどいいとこに来てくれた。それが、ちょっとトラブルがあってさ。で、ここを離れたほうがよさそうなんだ」
「は、はあ……承知しました。でしたら、すぐにでも出発しましょう」
「ああ。ライラ、頼めるか?」
「ん、わかった」
ライラは素早く呪文を完成させ、風の馬を呼び出した。俺たちとアルアはそそくさと馬に乗り込み、その場から逃げるように出発した。
つづく
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