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記憶を、戻してくれ。
俺の頼みを聞いた仲間たちは、それぞれ戸惑うような顔を見せた。そりゃそうだ、わざわざ辛い記憶を思い出そうって言うんだから。けど……
「頼む。いい思い出じゃないってのは分かってる。けどそれだって、俺の一部である事に変わりはないんだ。父さんや、母さんと同じように……忘れちゃいけない事だと思うから」
俺が自殺する原因となった記憶。怖くないと言ったら嘘になる。けど、大丈夫だという自信もあった。今の俺は、一人じゃないから。
『……よろしいのですか?』
アニが悩むように、チカチカとまたたく。ライラが不安そうな顔で、俺の腕に触れた。俺はライラに微笑むと、しっかりとうなずいた。
「ああ。やってくれ」
『……かしこまりました』
アニから放たれる光は、今にも消えそうなほど弱くなっている。それだけ、気が乗らないってことなんだろうか。
『……正直、今でも私は、この記憶を戻すことには反対です。百害あって一利なしだと思っています。が、主様はそれでも、この記憶を望んでいます。なら私は、その主様の意志を尊重して、封印を解除する……主様の言う“仲間”とは、こういう事でいいんですね』
「ばっちりだ。さすが、賢い字引さまだな」
アニは小さくため息をつくと、やがてチカッ、チカカッと不規則に明滅し始めた。
『主様。まぶしいでしょうが、この光から目をそらさないでください』
「わかった……」
アニから放たれるフラッシュは、次第に間隔を狭めていく。網膜に白い閃光が焼き付く。うぅ、目が痛い。歯を食いしばって、まぶたを閉じないように耐える。
やがて閃光は、俺の頭の中にまで浸透し始めた。脳内に、真っ白な光が浮かんでは消えている。俺はとうとう耐え切れずに、両手でまぶたをぎゅっと押さえつけた。。それなのに、頭の光は消えない。むしろ、どんどん大きくなってくる!
「う……あああああああ!」
頭の中で、爆発が起こったようだ。目や耳や口から、光があふれ出た気がした。
気付けば俺は、自分の頭を抱えて、床に転がっていた。仲間たちが周りを取り囲んでいる。
「桜下!おうか、しっかりして!」
フランにがくがくと揺さぶられて、俺はようやく正気に戻った。いつの間にか、頭の中の光は消えていた。そして俺は……すべてを、思い出していた。
「だ……こほ。大丈夫だ、フラン。もう終わったよ」
う、喉が痛い。さんざん泣き叫んだ後に、大声を出したからだな。フランはなおも心配そうで、俺の体を支えて起こすと、ベッドの上に座らせてくれた。
「サンキュー、フラン」
「うん……それで、終わったって。その、全部……?」
「ああ……全部、思い出した。俺が、どうして死を選んだのか」
その理由は……思ったよりも、あっけないものだった。だけどそう思えるのは、きっと今だからだ。そう、記憶の戻った今ならわかる……あの時の俺は、これのせいで、生きるのが嫌になったんだ。
「みんな……話してもいいか。楽しい話じゃなくて悪いけど、それでも、ここまで付き合ってもらったんだ。みんなには、知っておいてもらいたい」
ここまで来たら、中途半端に隠し事をするのも変だ。フランは神妙な顔でうなずき、それは他のみんなも同じだった。
「それじゃあ、まず……尊からだな。尊の詳しい話は、フランにしかしてないんだっけ?簡単に言うとな、尊は俺の初恋の人で、頭の病気に掛かっていた。そのせいで精神が、だんだん子どもに戻っていってたんだ」
年長のエラゼムは恐ろしいとばかりに呻き、逆に年少のライラは何が恐ろしいの?とよく呑み込めていない様子だった。
「日に日に幼くなっていく尊は、変わったところもあったけど、とても優しい女性だった。俺の頭の傷のことも、気にしないでくれてな。俺は、そんな尊が好きだったんだ」
隣でフランが、ぎゅうと拳を握り締めるのが分かった。俺は彼女を安心させたくて、その拳の上に手を置いた。大丈夫、今の俺は、お前に惚れてるよ。するとフランは驚いた顔をしつつも、手をひっくり返して、俺の手を握ってきた。可愛いことするなぁ。
「でも、な。尊は、死んだ。飛び降りたんだ。前にも話したけど、俺が見た死っていうのは、尊のことだ。すげーショックだったよ……けど、それが自殺の原因じゃない。俺はそのことを覚えていたし、記憶は封印されちゃなかった。封印されたのは、その後だ」
今思えば、俺もずいぶん薄情だ。尊の死じゃ、俺は死を決意するほどの衝撃は受けなかったわけだから。
「尊が死んだ後、病院はしばらく騒がしかった。人が死ぬことは珍しくないけど、自殺となると別だったんだろうな。尊が使ってた部屋は、少しの間だけほったらかしにされた。誰でも入れたし、誰でも尊の私物を手に取れた。そこで俺は、尊の部屋に忍び込んで、そこであいつの日記を見つけたんだ」
不法侵入、泥棒行為もいいところだ。身勝手な俺は、縁にすがりたかった。死んだ彼女の思い出に浸りたかった。
けど、そこにあったのは、残酷な真実だった。
「その日記には、尊が入院した当初からのことが、数か月分くらい書かれていた。でもその先はぱったりで、俺が出会ってからの出来事は何一つ書かれちゃいなかった。がっかりだったよ。もしも尊が少しでも俺について何か書いてくれてたら、多少は満足できただろうからさ」
「……それじゃあ。いったい、何が書かれてたの」
きゅっと手に力をこめて、フランが訊ねる。
「……浅はかだったよ。俺は尊のこと、なんにも理解しちゃいなかった。尊は、幼いころに戻っていってた。つまり俺が出会った時点で、尊はすでに過去の尊になってしまっていたんだ。俺はそれが本当の尊だと思っていたけど、本来の彼女は別にいた。日記には、まだ尊が退行する前の、本当の言葉が綴られていたんだ……」
今でも、ぞっとする。俺は呼吸が速くなるのを感じた。それでも、握っている手の感触がある。俺はここにいる。
「そこに書かれてたのは、絶叫だった。絶望、恐怖、恨みつらみ。消えゆく人間の、ありとあらゆる最期の悲鳴だ。尊は、自分が失われていくのを、心の底から恐怖していた。少しずつ自分が自分じゃなくなっていくことに、絶望していた。どうして自分がこんな目に遭わないといけないんだと、恨んでいた。そんな呪いの言葉でも、尊は毎日書き続けた。そうでもしないと、完全に自分が消えてしまう……そう思ってたみたいだよ」
あの日記は、本当に恐ろしかった。一文字一文字が、呪いを放っているみたいだった。濃い色のシャーペンで書かれた日記は、よほど強い力で書きなぐられたのか、酷く乱雑で、ページに所々穴があいていた。
部屋の中は、静まり返っていた。ライラが、震える声で訊ねる。
「じ、じゃあ……日記が、途中で終わっちゃったのって……」
「ああ……その時点で、日記を書いていた尊は完全に消滅してしまった。そして、俺がよく知る尊が生まれた。彼女はもう、日記を書く必要はなくなった。自分を保存する必要は、なくなった……」
そしてからっぽの病室には、哀れで愚かな俺だけが残された。
「俺は、泣いたよ。俺が信じ、好きになった人は、本当のその人なんかじゃなかった。その人が呪いの言葉を吐き続けてまで受け入れたくなかった姿を、俺は愛していたんだって、気付いたんだ」
俺に笑いかけてくれた優しい顔も、純真な言葉も。すべて、本当の尊を塗りつぶした上に描かれたものだった。俺は美しい宝石が、誰かの血と骨を固めて作られていたんだと知った。
「それで俺は、何もかも嫌になったんだ。開いてる窓を見つけて、そこから飛び出した。尊の時と同じ窓だった気もするけど……よく、覚えてない。これが、俺の顛末だよ」
すべてを話し終わると、エラゼムが沈んだ声で言った。
「人の死に、重いも軽いもないでしょうが……苦労されたのですな、桜下殿」
「よしてくれ、苦労だなんて……ただ、前の世界の俺は、尊の存在に依存してる節があったんだ。彼女が死んでも、俺の中の尊は揺るがなかったけど、あの日記はそれを全部ぶっ壊していったからな……支えを失って、ぽっきり折れたんだよ」
「ううむ……」
俺のエピソードが不幸じゃなかったとは思わないけど、それを言ったら、ここにいるみんなが不幸な目に遭っている。……ああ、アルルカは違うかもだけど。俺だけが特別ということもない。みんな不幸だなんて、笑えもしないことなんだけど、なぜか今だけは、その事実に少しだけ安心した。
「ふぅ……このことは今、尊は忘れてる。ここで話したことは、あいつには言わないでやってくれるか」
「え……尊さんって、今も生きているんですか……?」
「ああ。あいつは、三の国の勇者だったよ」
仲間たちはみな、脳天をガツンと殴られたような顔になった。本当に、数奇なめぐりあわせだ。
「さて……これで俺は、全部思い出したわけだな。アニ、一応聞くけど、これ以外にはもうないよな?」
『……はい』
「もう、秘密もないな?俺の体に、これ以上隠し機能とかも付いてないんだな?」
『はい。信じるかは、主様にお任せしますが』
「いや、信じるよ。これで、俺とお前は仲間同士だ……改めて、よろしく頼むぜ。アニ」
俺はガラスの鈴を掴み上げると、紐をゆっくりと首にかけた。俺の胸元にガラスの鈴が、再びちりんと下がった。
『……かしこまりました』
よし。長かった宴の夜は、そうやって幕を下ろした。
つづく
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読了ありがとうございました。
続きは【翌日0時】に更新予定です(日曜日はお休み)。
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