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「次」
低くて高くて、雑音が含まれているようなのに、不思議と聞き取りやすい声だ。
ぼーっとしていた意識が浮上してくる。声が聞こえたと思ったら、ゆらゆらと揺蕩っていた意識がまとまる。目を開いたと思ったら、前に一人の男性が座っていた。
「自己紹介をお願いします」
「え」
今度は、低く聞き取りやすい声がかけられた。思わずきょとんとしてしまったが、男性の傍には会議で使うような長机にパイプ椅子。机の上には白い紙が用意されている。男性は机の上で肘をつき、手の上に顎を乗せていた。
これは、面接だろうか。
今の会社に入社する前、夢に見るほどにやった面接。しかも雰囲気から、圧迫面接の気配を感じる。動揺して目線を逸らすと、あたり一帯が白い壁に囲まれていることに気づいた。自己紹介、と言われはしたが、訳も分からない空間で、余計な事を言うことは自殺行為な気がした。
「恐れ入りますが、質問をしてもよろしいでしょうか?」
とりあえず、質問をしてみようと思った。多少の事であれば、答えてくれるだろうか。
「おや、意識がはっきりしているようですね。どうぞ」
「ここは、どこでしょうか」
「ここは死した魂を選別し、来世へ誘う選定の間です」
男性の言葉が遠くに聞こえる。最後の記憶は黒い物が、目の前に振ってきた記憶だ。普通に考えれば、生きているとは考えづらい。死後の世界を考えたことがないとは言わないが、まさか死後にも面接があるとは思わなかった。
言葉が出ず固まってしまうと、男性が次いで口を開く。
「自我のある魂は、1367回ぶりですね。せっかくですから、他に何かございますか?」
「え、と。私は死んだのでしょうか」
「愚問ですが、お答えします。あなたは死にました。正確に申し上げると、あの日あの建物に居た人では、34人が建物の倒壊で亡くなっています」
「倒壊……」
確かに、会社が入っていたビルは、結構な築年数が経っていた。あれは建物が倒壊する音だったらしい。ーーそうか、あの時死んだのか。どこか他人ごとのように思った。
「……わかりました、ありがとうございます。自己紹介を、すればよろしいのですか?」
「もうよろしいので?」
意外そうに、男性は問うてきた。
自分でも不思議だが、そんな最期なのに、人生に後悔はなかった。惜しいとか悲しいとか、そんな気持ちは微塵も沸かない。それはあれから先の自分が、幸せになれたという希望が見えないからというのもあるだろう。
「ええ。死んだのであれば、気にするようなことは、もうないでしょう」
「そうですか。あなたの前に自我があった魂は、異世界転生やら特典やら、うるさかったのですが」
面倒くさそうな顔をした男性は、目の前にある白い紙をつまんでひらひらと振る。異世界転生、というと、ライトノベルで人気のジャンルだっただろうか。鈴木がよく話していたのを覚えている。
「ちなみに、条件が合えば特典が与えられることもありますが、選定の間に来た魂は当て嵌りませんね」
「へえ、そうなんですか」
「ただ、今回の倒壊は、ある協定により決まっていたことなので、選定の間から弾かれた魂もあるようですね。……ちなみに、倒壊により亡くなったあなたの行先も、実はすでに決まっているのですが、興味ありませんか?」
「協定……?」
ビルの倒壊で34人が死んで、死んだ人間の行先はもう決まっている。そのうえ、この選定の間に来ていない魂があり、特典が与えられている可能性が高いということだろうか。死んだ人間を好き勝手する、協定とはいったい何だろうか。興味を持ったことが分かったのか、男性は唇を歪めた。
「ま、あなたにお教えできる情報はこれ以上ないんですがね。ふふ、期待しましたか?」
「……」
「では、そろそろ時間も少ないですし、自己紹介を5分でどうぞ」
初対面だが、今のはさすがにイラっとした。教える気がないのなら、最初から何も言わずにいてくれればいいものを。大きく溜息を吐きたいのを抑えて考える。
……この年で自己紹介と言えば、大学からの経歴と今の職業について伝えるのが一般的だし、そうしようと思っていたが。何となく意趣返しをしたい意欲が出てきた。どうするのかと様子を伺っている男を見て、あることを実行することにした。
「では、始めます」
「はい、どうぞ」
「私は、宮沢真。雪深い街に生まれて、そのまま街を出ることなく生き、死ぬと思っていた人間です」
--自分の体感で5分間、みっちりと私の半生を語った。仕事についての話題も、仕事スキルについても一切語ることなく、どうでもいいこだわりを含め、語りつくしてやった。正直なところ5分ではなかっただろうが、止められなかったので私の責任ではないと思う。
久しぶりに多くを話したので、のどが痛い気がする。ずっと男を見ながら話していたが、表情は全く変わらない上に、机に置いてあった紙に何かしらを書いている。何だか、逆に負けた気がするのはなぜだろうか。
「驚きました」
「……」
「転生する魂に、自己紹介をさせる。これは私がここ数千年、与えるギフトを決めるために行ってきた方法です。選ばせると時間がかかって面倒ですし、くじにすると偏りが激しくて面倒なので」
つまり何をしようと面倒くさいらしい。どんな気まぐれか、男は語りながらも手元の紙にペンを走らせている。
「その点、自己紹介をさせ、関わってきた分野のギフトを与えれば、ある程度の品質は確保できるので重宝しておりました」
「そうですか」
「ええ。ただ、成人以降の人間に自己紹介をするように言うと、大抵自らが歩んできた学歴と立場について語ります。その者の本質が見えないことも多い」
「……では、自己紹介をさせる意味はないのでは?」
「それならそれでいいのです。魂だけになると強制的に無意識下におかれ、より正直になりやすい。ので、隠したい事象は不要と判断し、私が独断と偏見で来世のギフトを決めてます。……やりたいことと出来ることに齟齬があると嘆く人が多いのは、これが原因かもしれませんねぇ」
ぞっとしない話だ。自分も運よく意識が戻らなければ、就職活動用に作った、上辺だけの経歴を語っていたのだろう。今のところそれでも不利益を感じないが、それでは自分とはまったく違う人間のようになってしまうのだろうか。来世でどう影響がでるのかはわからないが、ここで意識が戻ったのはよかったと思いたい。
「よし、出来ました。どうぞ」
「これは?」
「面白い話を聞かせていただいたお礼です」
渾身の半生物語は男の心をつかんだらしい。何やら手のひらサイズの紙が渡される。よくわからない文字が書いてある紙は、うっすらと光っていた。
「それ、飲み込んでください。そうすれば今世の記憶を来世へ持ち越せます」
「え、」
「所謂、記憶をもって異世界転生ですね。いやー羨ましいです」
心にもない様子でぱちぱちと手を鳴らす。たった1枚の紙なのにすごく重たく感じる。
自分はあらかじめ死ぬ運命だったと言われただけで、未練もなく、安心して死ねるような人間だ。ここで、新たな選択肢を与えられてもそれを選べないような。自分は特別な人間ではないと思っているし、こんな便宜をはかって貰えるような人生は送ってこなかった。
男が感情が読めない目をして、まっすぐにこちらを見ている。もやもやとした心を読まれたのだろうか。様子を見ていた男は、深く頷くと「あなたも私と同じで、面倒な性格ですねぇ」と笑った。
「それを飲み込む理由を差し上げましょうか。……まず、意識のある魂はとても珍しい。過去にも何度かありましたが、多少は有利になるようにギフトを与えてきましたね」
口角を上げて笑う男は、一つ一つを噛みしめるように言う。一本指を立てながら言葉を続け、さらに二本目を立てた。
「そして、意識がある中でも特に要望を出さず、自己主張をしない魂はさらに珍しい。意識がある人間はたいてい我が強いですから。なかなか面倒なんですよね。その点あなたは好印象ですよ」
男は面倒くさそうに溜息を吐く。そして、最後にと言って三本目の指を立てた。
「あなたのこと、気に入ったので。また私とお話してほしいですし、記憶がなくなってしまうと、私が困ります」
「はあ」
気のない返事をする私を見て、楽し気にしている男は、再度紙を飲み込むように促す。結局男の言葉一つに流されそうになっているあたり、平凡な一般人の性が垣間見える。少なくとも、また話をしたいという、まっすぐな言葉に心動かされたわけではないと思う。
手のひらに乗せた紙を見る。意を決し、口に含むとゆっくりと飲み混んだ。……見た目は紙だったが、不思議と特に引っ掛かりもせずに飲み込むことが出来たのはなぜだろうか。
飲み込んだのを見届けた男は、満足そうにうなずく。
「さて、ではそろそろ本当に時間ですね」
「はい」
「記憶が残るといっても、ある程度自我が目覚めるまでは記憶は封印されているので、だいたい3歳くらいまでは、普通の人と変わりません。あとはギフト……才能については、あなたの行く世界では簡単に確認できますので、説明は不要でしょう。あなたに似合いのギフトを、私が独断と偏見で決めておきますね」
「はあ、ありがとうございます」
あまり腑に落ちないが、男に向かって頭を下げる。もうお別れだと考えた時に、名前を聞いていないことに気づいた。
「今更ですが、お名前を教えていただけますか」
「ああ、忘れていましたね。時間があれば、私の半生を語ってもよかったのですが」
冗談交じりに笑うこの男とも、いつの間にか、少し気心知れた仲になれたようだった。男は胸に手を置き、こちらに向かって一礼をした。
「私は、導く者。名をオックスと申します」
「オックスさん……色々と、お世話になりました」
「ええ、またお会いしましょう」
その言葉を最後に、目の前が白くなっていく。どんどんと意識が遠くなっていく中で、低くて高くて、雑音が含まれているようなのに、不思議と聞き取りやすく、聞き覚えのある声が、次を呼んだのを聞いた。
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