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とある執務室の女性下士官

カエデは泣き疲れた様子でクリスに寄り掛かっていた。

規則正しく繰り返される呼吸は寝ている事の証左だろう。

私がため息をついて背もたれに背中を預けると、頃合いを見計らったように隊長とアーデンが戻ってくる。



「落ち着いたか」



アーデンがそう言いながらカエデを一瞥するとクリスはカエデを丁寧にソファに寝かし付けて立ち上がりネクタイを緩めた。

その表情は疲れ果てたように曇っている。



「あぁ。

聞いてるこっちがやられそうだよ」

「お疲れ」



私が労うようにクリスの腰を叩くとクリスはいつも通り困ったように眉尻を下げた。



「そう思うなら代わってくれてもいいんじゃないかな」

「役割が違うわ。

それにクリス程大人しく話を聞き続けられないもの」



クスクスと笑って、クリスを見上げる。

するとクリスは今度は諦めたように柔らかく笑った。

その奥でアーデンがものすごい表情になっているが、無視無視。

万年独身の同僚よりも面倒な仕事をやりきった夫の優先順位が上に決まっている。



「で、何者だ、その女」



隊長に端的に報告を求められ、私も立ち上がると隊長の執務机の前でアーデンとクリス、私で並び立ち姿勢を正した。



「はっ。

彼女はトードー・カエデ。

本人の様子から姓がトードー、名がカエデのようです。

話は支離滅裂で要領を得ない事が多く有りましたが一応の一貫性は有り、薬物による錯乱とは考えられません」

「隊長が捕縛したと思われる地点とその精神状態の不安定さからガイランド王国よりの使徒かと目しておりましたが、私が魔力浸透をしたところ抵抗が全く無かった為魔法による操作の可能性は極めて低いと判断しております。

ですが彼女の精神は不安定を極めており、このまま放置していてはアンデッド化するのは時間の問題かと」



そこで一度私は息を吐き出すと未だ眠る不健康そうな顔色の彼女を一瞥し、再び隊長に向き直った。



「ですが、この程度の内容は隊長も捕縛された時点でご存知だったかと。

失礼ながら何が気にかかるのかお聞かせ願えますか」



隊長は珍しく考え込むように間を空けると背もたれに背を預ける。

基本的に不機嫌そうな隊長の表情を読むのは難しい為、何で迷っているのかは皆目検討が付かないが、分からないなら聞けばいい。

とはいえ、そう思ったのは私だけでは無かったらしく、クリスが表情を緩ませながら隊長を促した。



「思うままにお話しください」



その言葉を受けて尚、隊長は沈黙を貫いた。

だがやがて諦めたように息をつき、私達を見る。



「急に現れたのだ」

「転移魔法ですか」



足りない隊長の言葉を補うべくアーデンが口を開くが、それはあり得ない。

転移魔法というのは一度体の細胞を粒子へと変換し、所定の場所へ再構築するものだ。

理論上、行使する事それ事態は容易ではあるが、大概の人間が生身で行う場合再構築に失敗する。


つまり、良くて体が霧散して肉体が消えるか、悪くて再構築の過程で生きたままバラバラになって死ぬ。

もしくは腹から頭が生えていたり足から手が生えたりして、ものの数分で臓器の機能不全で死亡、というのも有りだ。

勿論それを克服するための薬物や魔法も無いわけではないが、安価ではない上に対象者は他者の魔力の干渉を受け続ける必要が有る為、魔力浸透によって残存魔力が発見されたり上手く自分の魔力を扱えなかったりする。

要は、多額をかけて転移魔法を行使される事ができるような肉体を持った結果、自己防衛の出来ない、調べれば誰でもわかる危険人物に成り下がるというわけだ。

奮発して使い捨てにするにしてもリスクしかない。


それに敵国であり隣国のガイランド王国が程近い我々ザフキエル公国軍、グレンツェ特派魔導部隊員は不審者が現れた場合、即時魔力浸透を行い、他者からの干渉を受けていないか調べる事が仕事の一つでもある。

余程無策な者、若しくは不測の事態が重なった者ではない限り、私達がいるグレンツェの街に周辺にそんな怪しげな人間を無意味に転移させる事はないだろう。


ちなみに魔力浸透とは術者の魔力を相手に触れる事で体内に押し込んで引き戻し、その抵抗感や引っ掛かりで相手が他者の魔法で操作されていないかを調べる最もお手軽な方法だ。

実際私はカエデと握手をすることで魔力浸透をしてみたが特に抵抗感も引っ掛かりも無かった。


寧ろまるでスポンジのように滑らかに私の魔力を受け入れたのだ。

だから隊長に報告した通り、私は“魔法による操作の可能性は極めて低いと判断”している。

彼女に対して魔力浸透をしていないアーデンにわかる筈無いことではあるが、アーデンの意見は検討の余地すら無いだろう。

とはいえ言ったアーデン本人も可能性を潰す程度の認識で口にしているのは全員がわかっている。

隊長は緩やかに首を横に振り、カエデに視線を移した。



「瞬きをした間に視界に現れて落ちていた」

「落ちて?」

「ああ。

何もない、誰もいない空から落ちてきた。

最初は憲兵に引き渡して終わりにしようかと思っていたが運んでいる内に気が変わってな」



それでクリスと私に声がかかった訳か。

クリスは軍医だしその図体の割に人の心の機微に合わせて話を聞き出し、情報を集めるのが得意だ。

そして私は魔力操作の緻密さに置いては十分な信頼を得ている。

揃って呼ばれた時は何事かと勘繰ったが、彼女を調べる事が第一の目的だったらしい。


そもそも、転移魔法も無しに急に現れて落ちてきたという事自体が信じ難い。

私やクリス、アーデンも戦闘には自信があるが隊長の力は別次元だ。

その隊長が他者の存在を目視するまで確認できなかったと言うのであればそれは隊長以上の実力者という事になる。

だがあの精神状態の、今は泣き疲れて警戒心の欠片も無く眠っている彼女がそれ程の実力者であるとは到底思えない。



「どうなさるおつもりですか」



アーデンは隊長の決断を促す為に再度口を開く。

私とクリスを呼んだ主目的はおそらく果たされているのだ。

今後どうするかは隊長が判断する事だろう。

年齢故に侮られがちだが、隊長は極めて優秀な士官である事を私達は知っている。



「訓練生に紛れ込ませて様子を見ろ。

他にも実験中に面白い奴を見付けたから訓練生として呼んである。

ソイツとバディを組ませたい」



隊長の言葉に私達は数瞬怯んだ後、揃って心の内で叫んでいた。

コイツ、更に別の人を拾って来てやがる、と。

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