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溶ける

スライム銀にぶら下がったまま、私は極めて気まずい思いをしながら天使に運ばれていた。

いや、本当にどうにでもなれと思って感情を爆発させた。

どうせこの夢も長くは続くまいと思っての事だ。

なのに、あれから体感で一時間以上私はスライム銀にぶら下がっている。


天使はあれから話す気配もなく、どういう原理か空飛ぶ銀に乗って前へ前へと進んでいる。

一時間もあれば、残念ながらどんな感情もある程度落ち着くというものだ。

恥ずかしい。

大の大人が、妄想とはいえ初対面の異性相手にぼろぼろと泣くだなんて。

ああ、もう、恥ずかしい。


とはいえ、幸いにもこの気まずい状況にも終わりが見えている。

煉瓦造りの要塞。

そう言い表すのが極めて相応しい光景が、眼下には広がっていた。

自然と人工物を隔絶するように聳え立つ煉瓦の内側は建物が所狭しと並び、人らしき小さな点が動いている。

現代とは似ても似つかない、人の営みがそこにはあった。


と、小さな点が此方に向かってくる。

段々と近付いてくるそれは、やはり彼と同じだったらしい。

要塞の上空にいるというのに単身空を飛んで此方に近づいてきている。

短めのツンツンとした黒髪は目に掛からないようにセットされ大きめの黒い意思の強そうな吊り目が印象的な男性だ。



「ご無事でしたか。

お戻りが遅いので心配しました」

「問題ない」



男性の声に天使が応える。

立場は、天使の方が上らしい。



「それで、どうされたのですか。

彼女は」



男性は訝しげに私を見る。

泣き張らした顔だというのも直ぐにわかったのだろう、男性の顔が少しひきつり、天使に移動した。

さっきは憲兵に預けると言っていた。

本当に、私の妄想なのだからもっと私に優しくしてほしい。



「拾った」



天使の一言に、思わず天使を振り返る。

スライム銀に拘束されているためかなり無理矢理に首だけで見ているからいまいち見え難いが、天使の表情は相も変わらず不愉快そうだ。

いや、拾ったというのは合っているのだが、もっとこう、言うべきことが有るんじゃなかろうか。

何処で、とか、どんな状況だったとか、私の様子とか。

だが当の天使はそれ以上言うこがないとでも言いたげにじっと男性を見つめている。


その様子に男性は右手を額に当てて深いため息をついていた。

そりゃそうだ。

こんな物報告と言える筈もない。

しかし、彼が頭を抱えた理由は私の想像の斜め上を行っていた。



「またですか」



え、またなんですか?

声に出さなかった私を誉めてほしい。



「お前では駄目だ。

クリスとリサーナを呼んで来い」



何が駄目なの?

え、本当に何なのこの天使。



「分かりました」



男性は短く答えるとくるりと身体を反転させて要塞の中へと戻っていく。

待ってほしい。

色々と、説明してほしい。

というより、背後の天使より男性の方が会話が成立しそうだから行かないでほしい。


なんて願望を言える筈もなく、私は男性の後ろ姿を見送る事しか出来ない。

天使の方はと言うと、私と会話する気は無いらしく無言のまま要塞の中心部にある一際大きな建物へとゆるゆる降下していた。

そして一つの窓の前まで降りるとそのまま窓を開けて無造作に潜り抜ける。


中は、何も無かった。

いや、あるにはある。

執務机やローテーブル、それらに合わせた肘掛け椅子にソファ。

そして書類棚と暖炉。

西洋風の執務室と呼ぶに相応しい立派な室内だ。

だが、この部屋の主人を思わせる物が何も無い、殺風景な部屋。


営業として他人の仕事部屋に入る経験は腐るほどしてきたが、ここまで個性が読み取れない部屋は見た事がない。

まるで誰も使っていないような、若しくは誰もが共有して使えるような、そんな無個性な部屋だ。


天使は私をソファに降ろすと手を振った。

するとスライム銀は粘性を取り戻したようで、私からずるりと外れて天使へ戻っていく。



「不審な動きをすればまた拘束する」

「……分かりました」



天使の言葉に頷いて、私はソファに縮こまって座った。

今までさして気にしていなかったが、触ると感触がある。

気のせいじゃない。

これは、本当に、夢なのだろうか。

集中すれば、自分の心音が聞こえる。

生きたいという意思表示からの幻聴だろうか。

それとも、これは、現実?


そんな非現実的な事を思いながら、私の背後にある肘掛け椅子に座る天使を盗み見た。

指揮者のように振られる天使の細い指に合わせてスライム銀が揺れ動く。

見れば見るほど、彼は綺麗だった。


肌はきめ細かく、唇は桜色。

中性的な顔立ちで歳は正直計りかねる。

格好は白のシャツに黒ネクタイだ。

その様子は天使というよりはホストのよう。


いや、もしかしてこれは現実で、彼は天使ではないのか?

それとも最近の天使はああいうホストみたいなのが主流なのか?

私は昔どんな漫画を読んでいたんだ?


また疑問の渦に飲まれそうになる頃、ドアが控え目にノックされる。



「入れ」



天使が端的に応えると、ドアが開いて三人の人らしき者が入ってきた。

一人は先程の男性。

もう一人は茶色の髪の体格のいい男性だ。

最後の一人は黒髪でロングの女性。

恐らく後の二人がクリスとリサーナだろう。

名前からして茶髪の男性がクリス、黒髪の女性がリサーナといったところか。



「隊長、連れてきました」

「ああ。

ありがとう、アーデン。

リサーナ、後は頼む。

アーデンは来い」



最初の男性はアーデンというらしい。

彼らが扉を閉めるとほぼ同時に天使は肘掛け椅子から立ち上がるとごつごつと床を踏み鳴らして最初の男性と共に出て行ってしまう。

残されたのはソファに縮こまる私と、男性に連れられてきた男女だけだ。



「座ってもいいかな?」



男性はその体格と裏腹に穏やかそうな声で私に問い掛ける。

さっぱりとした茶髪の間から覗く垂れ目が笑みを型どりながら私を見つめてくる。



「は、はい、どうぞ」



未だ瞼は重たいが、泣いたところを見られているわけでもないし此方もかなり落ち着きを取り戻している。

スライム銀に宙ぶらりんという間抜けな姿も見られていないわけだし、比較的冷静に受け答えられそうだ。

二人は私の様子を確認しながら対面のソファに腰掛けるとさて、と息をついて微笑んだ。



「僕はクリス・ドローレス。

宜しくね」



ふわりと優しそうにクリスは更に笑みを深くする。



「え、っと。

私は藤堂楓と申します」



どうも、と小さく会釈し私は改めて二人を見上げる。

二人とも天使と同じく白シャツにネクタイをしている。

天使は執務机で見えなかったが、恐らくパンツも同じなのだろう。

黒くて少し光沢のあるパンツに黒いブーツを履いており天使に抱いたホストという印象からはまた違うものを感じた。



「ならトードー、でいいのかな?

僕はクリスって呼んで」

「あ、いえ。

それなら楓と。

藤堂は名字なので」

「みょ?」



天使達は名字とは言わないのか、クリスが小首をかしげる。

いや、体格のいい男性にそれをされても困る。



「まぁいいわ。

カエデちゃんね。

私はリサーナ・ドローレス。

宜しく」

「はぁ…」



リサーナはさっぱりした笑顔で私に右手を差し出してきた。

赤色の瞳が実に強気な印象の彼女はどうやら握手を求めているらしい。

あまり人に触れるのは得意ではないがこれに応じないのも失礼だろう。

求められるままにその手を握り返すと彼女からぬるりと熱が私に滑り込み、身体を巡る。

ぎょっとして手を引こうとするがリサーナが先に手を離した。



「ごめんなさい、何だか驚かせたみたいね。

隊長が拾ってくるぐらいだからとても動揺していると思ったの」

「いえ、大丈夫です」



私が口をひきつらせて答えると、クリスが困ったように眉尻を下げた。



「本当に?」

「はい、問題ありません」



こくりと頷き、先を促す。

それをクリスは見届けるとクリスは困った顔のまま私を見つめ返してきた。



「それじゃあ、君に何があったか教えてくれる?」



どくん、と心臓が熱を孕んだ。

深呼吸する。

唇が震える。

頭が痛い。

身体が、熱い。



「わた、私は…」



いつも通り仕事に行こうとした。

遣り甲斐があって、一番得意で、何よりも退屈な場所に行くところだった。

今日も大事な商談があって、今日のために昨日だって残業して資料を作った。

それなのに、電車に轢かれて、死んで、死んだ瞬間の夢の中にいる。


言いたい事を言ったら私は消えるのだろうか。

脳みそも落ち着いて、この心音の幻聴も消えて、この天使達も消えて、私は無に帰る。

無であることすら認識できない闇に帰る。


悲しんでくれる人はいるだろうか。

悔やんでくれる人はいるだろうか。

憤ってくれる人はいるだろうか。


いないなら作りたかったなぁ。


じわじわ這い上がってくるのは恐怖心だ。

落ち着いた筈の気持ちがまた溢れかえってくる。

きっと今頃私の体はバラバラに砕け散っているんだ。

やり残した事だっていっぱいあって。

仕方なくなんて無い。

死にたくなんて無い。

諦められるわけがない。

もっともっとがあった。

もっともっと、生きたかった。

生きたかったんだ。


そんな止めどない感情が、纏まりの無い言葉で口からこぼれ落ちる。



「頑張ったんだねぇ。

辛かったんだね。

もう頑張らなくていいよ」



柔らかいクリスの声が響く。

そうだ。

ずっと、そう言って欲しかった。

幼稚だと分かっていても、そう言って欲しかったんだ。

その声を皮切りに、私は大声で泣いた。

泣いて泣いて泣き喚いて、後の事はよく覚えてない。

ただ酷く疲れて、ただ熱くて。

私は永遠の無へとすり寄っていった。

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