かくれんぼ
森の中は湿気った臭いがした。
歩く旅に地面の草や枝を踏み抜く音が鳴るが、地面は泥で湿気りどちらかと言えば泥のぐちゃぐちゃとした音の方が気になる。
しかし他に音は特になく、入る前に聞いた魔物とやらの気配は無いように思えた。
「これからお前達にはちょっとしたレクリエーションをしてもらう」
クリーヒ・ティーアの森に分け入ってから暫くして呟かれたアーデンの言葉に私達は立ち止まって最後尾を歩いていた彼を振り返った。
「まぁそう身構えるな。
子供の遊びをやるだけだ。
ただし、」
ニヤリと笑ったアーデンに、嫌な予感がする。
かくしてその予感は外れなかった。
がしょん、と半ば間抜けな音が森に響き、私は自分の左手首へ視線を動かした。
そこには酷く無機質な銀色のわっかが、唐突に現れていた。
いや、正しくは現れたのでは無く、私の隣に立つクリスが私に嵌めたのだろう。
にこにこと微笑むクリスに疑問を持ちながら銀色の輪には鎖が繋がり、その先端はロッツィやライラの方向へ伸びている。
鎖の先を追っていたライラの目と視線が合い二人揃って呆けているともう一度、がしょんと間抜けな音が響いた。
音の先にはライラの右手に銀色の輪を嵌めたロッツィがいる。
「え?」
「これ、手錠?」
約三メートル。
自由に動くにはやや不自由な長さの鎖が私とライラを繋いでいる。
繋がれた私達は慌てて自分の保護者のようなロッツィとクリスをそれぞれ見るが見られた二人はなんて事無いように笑うだけである。
「そうだ、手錠で強制的に二人一組になってもらう」
「はいぃ!?」
正気か、この鬼畜!
こんな会ってから気まずい思いしかしていない相手と手錠で繋がってどうしろと言うのか。
勘弁してくれと抗議する為口を開こうと思ったが、アーデンが恐ろしい形相で私を睨んでいる。
却下だ黙っていろ、と言わんばかりのその表情に私は口を閉ざすしかない。
それをライラも感じ取ったのか、それとも嫌とはいえ抗議する気も無いのか、黙って鎖を持ち上げてみている。
「さて、レクリエーション第一回戦は僕が担当するからね。
何をするかだけど、」
ひらひらと手を振って笑うクリスが過去最高に恐ろしい。
何をさせられるのかと戦々恐々しながら私はクリスの次の言葉を待つ。
「かくれんぼだよ」
……はい?
「かくれんぼ?」
「そう、かくれんぼ。
え、知らない?」
「いや、知ってますけど…」
「良かった!
じゃあ僕が百数える間に二人で隠れてくれるかい?
ああ、あんまり奥に行くと魔物がまだいるから自分達の力量を考えながら進むんだよ?
後、鬼は僕がずっとやるから捕まったら君達の勝ち、捕まえたら僕の勝ち。
質問はあるかい?」
にこにこと至極楽しそうなクリスに私は戸惑ったままだ。
私達が黙っているのを質問なしと判断したのだろう、クリスは満足そうに頷いてからアーデンを見た。
「じゃあアーデン、頼むよ」
「範囲は?」
「うーん、五キロ四方かな」
「アインザーム・ミニチュアガルテン」
ずん、と何か重いものが落ちたような音がした。
その衝撃でか、木々はざわめき鳥が羽ばたく音が遅れて聞こえる。
「今のは…?」
「俺の属性魔法を五キロ四方囲むように発動させた。
範囲外に行こうとすると弾かれる」
「アーデンさんの属性魔法は何なんですか?」
「あ?
そうだな、レクリエーション三回戦まで来れたら教えてやるよ」
ライラの問いかけにアーデンさんはニヤリとまた笑って近くの岩に腰掛けた。
「ロッツィさんは何を?」
「僕はアーデンさんと待機っす!
アーデンさんは魔法展開中で魔物の群れに襲われると範囲魔法切れちゃうかもしれないんで一応護衛みたいな感じっすね」
けらけらとロッツィは笑って言うが、その、アーデンさんに一応とはいえ護衛を付けなければいけないような場所で、レクリエーションをやるその意味が分からない。
せめて安全な場所でやりましょうよ、森の外の平原で鬼ごっこでいいじゃないですか、と思ってその様を想像してみたがシュール過ぎて即却下する。
「他に質問はあるかい?」
「し、質問と、言われましても…」
ねぇ、とライラを見るが彼は肩を竦めるだけである。
やる気がないのは手に取るようにわかった。
「…なら、数え始めるからね。
隠れてもらえるかい?」
半ば無理矢理私とライラの背中を押してクリスは笑顔でその辺りの木へと向き直って数を数え始めてしまう。
えーーー。
本当にやるんですか?
その思いを込めてアーデンとロッツィを見るが二人とも何かする気は無いようで、アーデンはどうでも良さそうに、ロッツィは笑顔で此方に手を振っていて、私はライラと顔を見会わせてため息をついてから渋々森の奥へと歩き始めた。
「何なんですかね、急にレクリエーションって…」
歩きながらライラに声をかけてみるとライラはちらりと私を一瞥した後小さくため息をついて近くの木の根に腰を下ろす。
「適当に捕まって終わらせよう。
あまりふらふら歩き回って魔物を刺激したくない」
そう言ってふて腐れたように膝に頬杖をつくライラの姿は思春期の高校生を思い出させる。
どちらかと言えばきゃいきゃいはしゃぐよりもはしゃいでいる子達を冷めた眼で横を素通りするようなイメージだ。
「カエデさんはどうして軍に?」
そんな妄想をしているとライラがぼーっとしたまま口を開く。
コミュニケーションが取り難いと感じていた昨日の無口っぷりから一転して会話を続けようとしているライラの様子に驚きながら私はライラの側に腰掛ける。
相手が話してくれる気があるなら喜んで対応したい。
「なりゆき、ですね。
私、どうやってここに来たか分からなくて、クナイさんに拾っていただいたのがきっかけですね」
「ああ、あの人…」
「あ、ライラさんも会われてるんですね。
私始めてクナイさんを見た時天使だと思って変な事言っちゃったんですよ」
「え!?」
ライラの目がぎょっと開いて私を見る。
いや、まぁね、そりゃそうだよね。
初対面の人相手に天使とかヤバいよね。
言い訳をするならあの時は深刻に混乱していたから許してほしいというのがあるがやっぱり魔法が使えるよく分からないこの世だとしても天使は驚きなんだな、と再認識する。
「やっぱり変ですよねー」
「あ、ああ、かなり…っ」
ライラは喋っている途中で固まるとまた目を見開いた。
「ライラさん?」
「しっ」
声をかけると静かにしろと応じられて私は小首を傾げる。
ライラの顔色は先程から少し青くなり、汗ばんでいるように見える。
「大丈夫ですか?」
声をかけるが答えはない。
どうしよう、本当に気分が悪いのだろうか。
だが私とライラは手錠で繋がっているからクリスを呼ぼうにも大声を出すしかない。
ううん、と一人で唸っていると突然ライラが弾かれたように私の肩を掴んで前の地面へ飛び込んだ。
べしゃっと派手に泥にまみれ俯せになる。
その不快感を抗議する前にばきぃっと派手に、木が斬り倒されたような音がして地面が揺れる。
え?
何?
目を白黒させながらライラとほぼ同時にうつ伏せから向きを変えて振り返るとそこには、クリスさんが立っていた。
斜めに雑に斬り倒された木の株に大剣を突き刺していつもの笑顔のまま私達を見下ろしている。
「みぃーつけた」
「クリス、さん?」
「もう少し真面目に取り組んでもらわないと困るよ二人とも」
「…急にそんな危ない真似して、何のつもりだよ」
完全にクリスを敵認定するライラは凄い形相でクリスを睨み付けながら立ち上がる。
「うん?
捕まえたら僕の勝ちって言ったろ?」
「い、言いましたけど、その、剣は…」
いらないんじゃないかと言う前にクリスは更に笑みを深くして私の背丈ほどもある大剣を片手で持ち上げると肩に担ぐ。
あんな鉄の塊、どう鍛えれば片手で持てるのか。
まさか、本当に、あの剣を振り下ろして木を斬り倒したのか。
斬り倒した事実も私を驚かせたが何より驚いたのはライラに押し倒されなければ木共々私もばっさり斬られていたかもしれない憶測に対してだ。
ゾッとして後から恐怖と、裏切られたような感覚が共にやって来る。
「軍の言う捕まるは、捕虜になるって事だよ。
そりゃ戦闘もあるだろう?」
ね、と言わんばかりの表情は、いつも見ていた筈なのに今は酷く恐ろしい。
「…そういう事は最初に言えよ…」
「あはは、それはアーデンに言ってほしいところだね。
遠征自体僕は最初反対したんだよ?
さて」
クリスがゆっくり切っ先を此方に向けて腰を落とす。
「しっかりお姫様を守るんだよ?」
「カエデ、下がれ!」
ライラが叫ぶけれど、私は動かない。
いや、動けない。
怖い。
剣を向けられている事が怖い。
木のように斬り倒されそうで。
クリスが怖い。
剣を向けてきているから。
斬り倒された木が怖い。
まるで未来を暗示しているようで。
怖い、怖い、怖い。
「あ、あ、あ……」
「カエデ?
おい、アンタ!
これ無理だろ!
ぅお!?」
私とクリスの間にライラが立って彼の背中だけが見える。
酷く耳障りな音が響き、鎖が僅かに引っ張られる。
「…そうだね。
けど、カエデには今の内にこういう事には慣れてもらいたいし、慣れなきゃ僕らはカエデを守れない」
「っく!
でもコイツに斬りかかるのは違うだろ!
戦えない女斬り殺すのがアンタの仕事か!」
「そうならないように、君と手錠で繋がっているんだろう」
「がっ!」
目の前にいたライラが右へふっ飛ぶ。
木に強かに体を打ち付けたのか酷く咳き込む声がした。
じゃらじゃらと鎖が鳴き、私もライラの体に引っ張られて右方向に引っ張られる。
背中が地面を擦って体が痛い。
クリスは無言で私に近付くと切っ先を私の頭の直ぐ横に勢いよく突き立てた。
「ひっ!」
歯の根が合わない。
ガチガチと全身が震え、世界は滲んですらいた。
「…ごめんね」
クリスの声が聞こえた瞬間、クリスは私の右手、クリスの家で硝子が突き刺さった場所を左足で踏み抜いた。
「ああああああああああ!!」
「君の生きて戻りたいって意思はそんなものなのかい?
また死にたがりに戻るの?」
死にたがりに、戻る?
死ぬのは怖いのに?
私が?
ちく、たく、ちく、たく。
時計の音が、聞こえた。
「ぅう、あああああああああ!!」
私は左手で私の右手を踏むクリスの左足の膝の横を思いっきり殴り付けた。
「いっ!?」
多分反撃されるとは思っていなかったからだろう、クリスの足がずるりと私の手の上からずり落ちて、私はあわてて俯せになって彼の足元から這い出ると木に打ち付けられて呻いているライラに駆け寄った。
「ライラ!
大丈夫!?」
「なわけ、あるか…」
「…いたた」
慌ててクリスに向き直って、私はライラを背に隠す。
「クリスさん、話をさせてください!」
「お前、何して、」
「ら、ライラは黙ってて」
私が怖がって足を引っ張ったから、ライラは傷付いているのだ。
今だって怖い。
体は震えるし上手く舌だって回らない。
だけど、怖いけど、そんなライラの後ろに隠れるわけにもいかないのだ。
何とか口先でクリスに剣を納めてもらわなければならない。
背に隠したライラの体温が高いからだろう、背中から熱がじわじわ肌を刺激する。
落ち着け落ち着け、大丈夫考えろ。
何かある筈だ。
かくれんぼが始まるまではクリスに敵意みたいな物は無かった筈だ。
いつも通り優しくて、穏やかなクリスだった筈だ。
そんなクリスが、打開策のない袋小路に放り込まない筈だ。
剣を向けられたときの恐怖や裏切られたような感覚は無理矢理に無視して、ここ数日間の優しい彼だけを思い出す。
そうやって何とか自分を落ち着かせたように錯覚させて、私は思考をぶん回す。
私は、ここまで本気で襲ってくるとは予想もしていなかったから歯牙にもかけていなかったが、そもそも勝ち負けという表現が気になる。
勝負だというのなら何か、ある筈だ。
勝ったときのメリットや負けたときのデメリットが。
それがわからなければ選択を誤ってしまう。
「いいよ、何だい?」
「…捕まえたら、く、クリスさんの勝ちなんですよね?」
「そうだよ」
「…なら、負けたらな、何かあるんですか?」
例えば負ければクリスさんの治療を受けられないとかであれば詰み。
ライラは体の右側を打ち付けている。
あんまり見ていないから確証はないけど、昨日の臭い汁のスプーンは右手で持っていた筈だ。
これだけ痛がって動けずにいるなら何処か骨が折れているかもしれない。
目下の目標はライラの治療とかくれんぼの終了だ。
「負けたらペナルティだよ」
「ペナルティ?」
「そう、僕に勝てるまで、君らを治療させない」
最悪だ。
だけれどそれに今のクリスの発言もまた気になる。
勝てるまで、と言ったのだ。
私はクリスの一言一句を聞き逃さないように注意しながら唇を舐める。
「ペナルティを変更してください」
「それは出来ない」
「何故ですか?
ライラは利き手側に怪我を負っています」
「あれぐらいじゃ腕は折れないよ。
僕の太刀筋に入った左の肋骨は数本イッたかもしれないけどね」
ちらりとライラの顔色を見る。
クリスが言うからにはそうなのだろう、ライラの顔は痛みに堪えるように赤く、脂汗が酷い。
「内蔵が傷付いていたらどうするんですか」
「その時はレクリエーション中止だね。
だけど今はその時じゃない」
ほ、放置していたら死ぬ可能性があってもギリギリまで知らないって事!?
「手遅れになったらどうするんですか!?」
「…カエデ、僕らは軍人だ。
伴う準備はするべきだよ」
「で、でも私達は、今まで非戦闘員で、」
「ライラは違うだろう?
今までも魔物の多い森に入って戦闘行為はしたことがある筈だよ」
その言葉にライラを振り返ると苦虫を噛み潰したような顔のライラがクリスを睨んでいる。
準備って……。
それなら怪我をする事はクリス達にとっては折り込み済みって事か?
その上で準備不足の私達の責任だと。
くそ、私はそんな事知らないが、ペナルティを変えられないならどうにか勝ち筋を見つける他ない。
「…勝つまでっていつまでですか?」
「四時間だよ」
「…え?」
「四時間。
大体朝から昼間でってところかな」
言って、クリスは軍服から恐らく懐中時計だろう、金色の丸い物を取り出して蓋を開いた。
「因みに今は始まってから十五分ってところだね。
今から後三時間四十五分、頑張ってみるかい?」
ぱちん、と閉じてクリスは懐に懐中時計を戻すと私を見据えた。
「僕はお勧めしないね」
「…負ければ、次は何をするんですか?
アーデンさん、三回戦まで来れればって仰ってましたけど勝つまでずっとかくれんぼですか?」
「そうだよ。
僕に勝つまでずっとかくれんぼだ」
そういう事。
レクリエーションなんてとんでもない。
これは多分私達への訓練で、ほとんどこれが主目的だ。
くそ、遠征の目的や目標も聞かずにほいほい着いてきてこの様か。
「ふざけんな!」
「ライラ、黙って」
「お前、いいのかよ!
何も知らされずに、お前一人なら死んでたかも」
「今はいいから黙ってて!
…話すのは、私に任せて」
不服そうに睨むライラを睨み返して私は深呼吸する。
ライラは今、痛みからなのか元からそういう性分なのか打開するための会話ができていない。
心配してくれているなら嬉しいが、私が話す方が絶対にマシだ。
何せこれが仕事だったのだ。
何とかしてやる。
とはいえ、目下の目標であるかくれんぼの終了はほとんど問題ない。
第二回戦の開催はどう頑張っても回避不可だが強行される心配は無いし、クリスは話をしている間攻撃をしてくる事もない。
問題はライラの怪我だけ。
「分かりました、私達はクリスさんに捕まって捕虜になります。
ライラもそれは良いよね」
否定するなよと目に力を入れてライラを見るが現状の打開策がないのも分かっているのだろう、大人しく頷いてくれる。
「よし、じゃあアーデン達の所に戻ろうか。
必要なら肩を貸すよ?」
「…いらねぇよ」
ライラの言葉にそう、とクリスは苦笑して大剣を背中のホルスターに戻して留め金を着ける。
よし、まさか剥き身のまま持って歩くのかと思ったが、ちゃんとホルスターに戻した。
ライラがずるずると立ち上がるのを確認してからクリスは来た方向に戻るように私達に背を向ける。
少し、距離が開いた。
「その前に、クリスさん」
私はクリスを呼び止める。
「何だい?」
「ハンデをください」
「…え?」
困惑したように目を見開くクリスに私は畳み掛ける。
交渉するなら今しかない。
アーデンがいたんじゃ提案してもばっさり切り捨てられそうだし、何より最悪の場合は強行すると捕虜になりふりをして逃げる必要がある。
折角会話して時間を引き伸ばしているのだから返答次第では有効活用させてもらわなければ。
「ハンデですよ。
ルールの確認を怠った私達にも無論問題はありますが、聞いて尚かくれんぼでクリスさんに勝つのは難しいです。
それは最初反対したと仰ったクリスさんも予測してですよね?」
「……まぁそれも理由の一つではあるかもしれないね」
くそ、ここは確定でそう思っていて欲しかった。
あの含み方じゃそれは正解じゃない。
それなら一度別の切り口にするしかない。
「では何が?」
「…僕はね、君が危険だと思ったんだ。
ウェルト・ヴィレの話はアーデンから聞いたね?」
「…私はマジックノイドが無ければ死ぬって話ですか?」
「そうだよ。
いつか破裂する爆弾は手元に置けないし、僕は破裂する瞬間はもう見たくないんだ」
疲れたように笑うクリスだが、それに気遣ってあげる事は今はしない。
私は今、ライラの治療のために全力で妥協点を探しているのだ。
「そんな私が、戦えると思いましたか?
例えばどこも怪我をしていない、かくれんぼ開始当初のライラと共に、走って逃げ回れると?」
「思えないね。
僕は君を素晴らしいと思っているけどそれは無理だ」
「ですから、ハンデをください。
今回分をせめてノーゲーム、無かった事にしてライラの治療をしてください」
「それは出来ないね。
さっき言っただろう?」
「聞きました。
ですがクリスさんこそ仰ってましたよね?
かくれんぼ開始当初のライラと共に走っても逃げられないって。
なら、今の治療してないライラだったら勝率は更に下がりますよね?」
「まぁ、そうだね」
「だったら治療をしてください。
それが無理なら私が治療しますから、どこが悪いかちゃんと診察して、治療方法を教えて下さい。
お願いします」
そこまで言い切ってじっとクリスを見つめるとクリスは驚いたように私を見返してきた。
「カエデ、今、診察してって言ったかい?」
「言いました。
どこが悪いか分からなければ治療って出来ませんよね?
私はどこの骨が折れてるかなんて診察できません」
できるか、医者じゃあるまいし。
そう思って、とにかく譲らないという意思を見せながら断言するとクリスは少し呆けた後、小さく吹き出した。
「っく、ははははははははは!」
え?
ぽかーんと何が起きているかよく分からなくてライラの顔を見るとライラも戸惑ったように私を見ている。
「あー、ごめんごめん、誰に言っても認めてもらえなかった事をあっさり言われて、何か笑えてきちゃって、あー…」
言いながら未だにくすくすと笑うクリスにやっぱり私は戸惑ってしまう。
そんな、誰に言っても認めてもらえなかったような事、私は言っただろうか。
「カエデ、ハンデは別の物にしよう」
「え!?
だ、駄目です、譲れません」
「伴う準備はするべきって言っただろう?
ライラ、ポーションは持ってるかい?」
「…いや、持ってない」
「準備不足だね。
自業自得だ。
違うかい?」
「…違いません」
「ね?」
クリスは苦笑しながら私を見る。
いや、ね、じゃなくて。
そしてライラもライラだ。
何意地張ってるんだ。
ポーションって物がある事実やどれくらい効くのかは置いておくとして、医師の診察はいるだろう!
「それだけ元気に僕に食って掛かれるんだ。
痛みで動きは制限されるだろうけど内蔵の損傷はないよ。
それにねカエデ、細かいところは省くけど、ここではポーションで大概の怪我は直ぐ治るんだよ」
「へ?」
ポーションで、直ぐ治る?
え、じゃあ目下の目標も何も、ポーションさえ有ればクリスに負けましたって言えばそれで済んでたって事?
ぎぎぎ、と急に軋みだした首を回してライラを振り返るとライラはやっぱり戸惑ったように私を見ている。
「…いや、それ以外に何が…?」
分かってなかったの、私だけ?
そう言えば最初からライラは自分の怪我について何も言ってない気がする。
え?
え?
「ははは、分かってなかったんだね。
あー、じゃあカエデにこれをあげるよ」
そう言ってクリスは軍服のポケットから一本の試験管のような硝子を取り出す。
中には淡い紫色の液体が揺らめいていて。
「これは?」
「ポーションだよ。
さっき君の右手を踏んだからね化膿するといけないし、君は戦闘の心得なんて知らないだろうから僕からのサービスだよ。
何に使うかは自分で決めるといい」
アーデンには内緒だよ、とクリスは悪戯っぽく笑って試験管を私に握らせてくれる。
やっぱり、クリスはクリスだ。
怖かったし怖いけれど、クリスはクリスだ。
その事が嬉しくて引っ込んだ筈の涙が溢れてくる。
「ごめんね、怖い思いをさせて」
「だっ、だいじょうぶ、ですっ」
ぐずぐずと鼻をすすって、私はライラを振り返る。
「ご、ごめんなさい、私のせいで、これ、どうやって使うんですか?」
「飲ませるといいよ。
中の骨折は飲ませないと治らないから」
「はいぃ、ライラ、これ、」
「…いらない」
ぶすっとむくれてそっぽを向くライラに、一気に涙が引っ込む。
「何って?」
「いらない」
何って?
クリスさんの優しさをコイツ何て言った?
「飲んで」
「俺が怪我して治せないのは俺の責任だ。
それに、」
「飲んで。
大体、熱あるよね?
背中に凄い熱かったんだけど」
ぎろりと睨んで強要するがライラは戸惑ったように私を見る。
「はぁ?
熱なんかないぞ?」
「嘘」
「あー、カエデ?
それ多分熱じゃないよ?」
「え!?」
こんなに、触らなくても熱気が分かるのに?
驚いてクリスを振り返るとクリスは苦笑しながら明後日の方向を指差した。
「そう。
それでさっきのハンデの話だけど、熱い理由も合わせて教えてあげるよ、かくれんぼで勝つ秘訣」




