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眠る

どう取り繕っても美味しくない食事をご馳走になりロッツィに先導されながら酒場の二階に移動すると、何故か一つの部屋にアーデンとクリスと共に押し込まれた。

何故だ。

この世に男女の機微みたいな情緒的な物は無いのか。


しかもベッドは二つしかない。

この部屋、ロッツィが取ったって言ってたけど、あれか。

既に私は軍の新人ではなく被験体Aということだろうか。

嫌すぎる現実だ。


嘆きながらも一対だけあった椅子に座り項垂れているとまた頭を叩かれる。

何故か今日一日で慣れきってしまったアーデンだ。



「何してる。

さっさと寝ろ」

「いや、ですから椅子に座ったんですが」

「お前はあっちだ。

明日から森に入るのわかってるのか?」



呆れ果てるアーデンの言葉に私は戸惑うが、これはベッドを使って良いという事か?

現にアーデンの指は一つのベッドを指している。



「使って良いんですか?」

「当たり前だ。

お前の見張りで俺はベッドじゃ寝れないんだよ」



酷く迷惑そうにアーデンは顔を歪めて私を追い払うように手を振る。

嬉しすぎる。

見張られるという状況にはプライバシー保護の面から遠慮願いたいところでは有るものの、ベッドで寝れるというのは素直にありがたい。

にやけそうになる顔面を叱責しながら私は足取り軽く椅子から立ち上がった。



「カエデ、これ使えるかい?」



言って、クリスが差し出してきたのは水色の細いチェーンだった。

多分ブレスレットにもなる物だろうけど、クリスは軍服のベルトループから外して私に差し出してくれる。



「これは?」

「身体を洗浄するものだよ。

普通は水浴びする人の方が多いけど僕達軍人はこれを支給されるんだ」



まぁ見てて、とクリスは言ってブレスレットを握り込むと目を閉じた。



「ウォッシュ」



するとブレスレットが光を帯びる。

そして握った手から凄い勢いで水が溢れ出すとクリスを覆い尽くした。

それは一瞬だけ見事な球体を作り出すと直ぐに跡形も無く消え去ってしまう。


残るのはさっぱりしたと言わんばかりのクリスだけだ。

何が起きたのかと騒ぐ暇もない、一瞬の出来事に私は感心を通り越して呆れてしまう。

何でも有りだな。



「簡単だよ」



なわけあるか。

それが魔法の一つである事はいい加減直ぐに察しが付くが魔力を自分の意思で操れない私に出来る筈もないだろう、と言いたい。

大声で叫んでみたい気もしたが、下手をすればこの世界の誰も同感してくれない可能性が高い。

私は諦めてクリスから差し出されたブレスレットを受け取った。



「呪は“ウォッシュ”だから、そんなに言いにくくもないと思うけど」



心配がずれている。

思わず苦笑したが、さて、垂れ流していると言われている私の魔力で何とかなるかどうか。

やってみるしかない。



「ウォッシュ」



ぎゅっと握って、英語らしきものを発音してみる。

するとブレスレットが淡く光り、水が溢れてくる……事はなかった。

驚くほどしんとした空気が当たり前のように帰ってくるだけである。


え、何この辱しめ。

辛い。


アーデンやクリスからしてみれば、あー魔力込められなかったんだなーくらいで済むかもしれないが、私としては良い大人が何魔法なんて非科学的なものを信じ込み、更には呪文なんか唱えてるんだという現代人としての羞恥が凄い。

とんでもなく恥ずかしい。

この羞恥から逃げられるのなら穴にだって喜んで入ろう。



「そうか、魔力が込められないから発動しないのか」



うぅん、と唸るクリス。

そうじゃない。

私がほしい感想はそうじゃないんだ。

半分泣きそうになりながらも私がブレスレットを返そうとするとアーデンがそれを取り上げて握り締めた。



「そろそろ臭いが出そうだからな。

クリス、端に寄っておいてくれ」

「はいはい」



え、と私が聞き返すよりも速く、アーデンが口を開いた。



「ウォッシュ」



途端に世界が水で覆い尽くされる。

ごばっと口や鼻から水が肺に入ってくるような感覚に襲われて恐怖する。

嘘、死ぬ!


瞬き一つ。

私は床に這いつくばっていた。

息ができる。

咳き込んで慌てて酸素を取り入れる。



「…僕まで洗ってくれてありがとう」



ため息とともにクリスが私を引っ張り起こしてくれる。



「大丈夫かい?」

「は、はい、何とか…」

「まぁ洗えたからいいだろう」



鬱陶しそうにアーデンは言うと恐らく今ので壁際に押し流された机に幌から持ってきていた袋と細身の剣を立て掛けた。

何だか机と椅子まで綺麗になっている気がする。



「明日以降は自分でやれ。

出来なければ諦めるしかないな」



ニヤリと笑うアーデンは相変わらず凶悪だ。

いっそ笑わない方が良い気がする。

私は心の中でアーデンに舌をつき出してブーツを脱いでからベッドへ潜り込む。


どうせこの部屋からは出られないのだ。

ならば寝たフリをして彼らの会話を聞くのも面白いかもしれない。

表情を読まれないように右側の壁へと身体を向けてシーツを抱き締めると私はゆっくりと呼吸をするよう努めた。



「……もう寝たのか?」

「うぅん、僕の感知じゃカエデの魔力は引っ掛からないから正直分からないね」

「確かにな」



クリスのため息が聞こえる。



「ラーメン・フォン・シュウィレローゼグカイト」



ぱき、と何かが強張るような音がした。

アーデンが何かしたらしい。

不思議に思って耳をすませてみるが、アーデンやクリスが発していると思われる音は一切しない。

聞こえるのは下の階の物と思われる遠い喧騒とミシミシと鳴る家屋の音ばかりである。


まるでクリスとアーデンの存在だけが世界から忘れ去られたようだ。

ぞわりと背中が粟立って、寝返りを打つ。

そしてそっと、恐る恐る目を開けるとさっきと変わらない位置にクリスとアーデンの姿を見付けた。


ほっと息をついて薄目で二人を観察してみる。

二人は何かを話しているようで交互に口を動かしていた。

けれど肝心の声が聞こえない。

多分最後に聞こえたアーデンの呪のせいだろう。


舌打ちしてみたが、此方の音も向こうには届いていないようで、二人が私の舌打ちに反応する様子はない。

これじゃ盗み聞きは無理だ。

ため息をついてまた寝返りを打つ。


ベッドに潜り込んで盗み聞きっていうのはちょっと甘かったようだ。

私は諦めて体から力を抜くと寝る努力をする事にした。




眠る瞬間はいつだって真っ暗だ。

闇に落ちるような、もしくは飛び込むような感覚。

体の力が抜けて、知らない間に食い縛っていた顎が緩む。

目の奥が落ち窪んだように体が重くなって、そして意識が遠くなるというのが、私の寝るという感覚だ。


だけど今日はその感覚の後、目が覚めた。

音がしたんだ。

凄く聞き馴染みのある音。



「一番線に、電車が参ります。

この電車は、通過電車です」



目の前にはいつものプラットホームがあった。

見慣れた最寄り駅。

喋ったことの無い顔馴染み。

聞き慣れすぎて最早聞き取れないアナウンス。



「ここ、」



涙が出た。

何でかはよく分からない。

長い夢でも見ていた気がする。


電車を待つ列の最前線で、私は携帯を握り締めていた。

ああ、文明の利器だ。

素晴らしい。


いつも通りの退屈な出勤時間。

涙が止まらない。

良かった。

何が良かったんだろう。

こんな、出勤前に泣いて、まったく。


私は携帯を覗き込んでメイクを確認する。

ああ、アイラインやマスカラが落ちている。

バッグからハンカチを取り出して注意深く涙と落ちて見苦しくなった化粧を拭った。


今日は大切な商談があるのだ。

行く前にロープレをしたかったのに、化粧を直す時間を取られるなんて最悪だ。

舌打ちしそうになるのを堪えて私は顔をあげた。


通過電車が近付いて来ている。

私が乗る電車はこの次の電車だ。

今日の商談を乗り越えたら、ビールを買って帰ろう。

おつまみは自分で作っても良いが、折角だ、美味しいものを買って帰ろう。

どうせ使う暇のない給料だ、美味しいものを食べることでも趣味にしようか。


うきうきと、心が弾む。

そして、手を引かれた。

誰に?

人なんて居ない。

何故なら引かれた方向はプラットホームで。

無論人影もないわけで。

あるとすれば。


ゆるりと体が右を向く。

世界はスローモーションだ。

コマ送りのように電車が近付いてくる。

車掌と思われる男性の酷く驚いた顔と目が合う。

どうして目が合うのだろう。

私はホームに立っていた筈なのに。


思って、視線を更に右に向けると車掌と同じように驚いた顔馴染み達と目が合う。

そして世界は傾いていた。


どうして?


更に近付いてくる電車に目を向ける。

最早目の前だ。

何時ついたのか、電車の細かい傷さえ見分けられる。


どうしてこんなことに?


誰かに手を引かれたんだ。

手を引かれた。

誰に?


これからどうなるの?


昔、読んだ気がする。

バラバラになる。

肉片になる。

まずは車輪に絡み付いて、轢かれる。

その圧力で骨は砕け、液体が飛散する。

臓物は好き勝手に飛んで、まるで解放されたとでも言っているよう。

肉は線路内の壁にへばり付き、どこまでも世界を赤黒く染めていく。

私だった物は袋に押し込まれて、私だった液体は水で綺麗に洗い流される。

そうして“私”という物質は消えて、“私”という自己は眠りに着くよりも深い闇へと落ちていく。


そして、他の駅の乗客から、こんな忙しい時間帯に飛び込みなんてするんじゃねぇよ、と怒りを買うのだ。



「なん…。

おま……らくし……賛成して…」



叫び声がする。

喋ったことの無い顔馴染みの発する声だろうか。

それとも目が合ってしまった憐れな車掌の声だろうか。

声の判別はつかないけれど、慣れ親しんだように感じるのは何故だろう。


死んだ後でさえ、他人の怒りを買う辺り、ろくな人生じゃなかった。

普通の家庭に生まれて、普通に修学して、普通に就職して、普通に生活していただけなのに。

いや、ろくな、なんて事はなく、普通に恵まれた人生の筈なのに。

何故そう、ろくでもないと感じてしまうのか。

それはきっと、私がろくでもない性格だからだろう。



「いいから速く!」



手首や足首が痛い。

体が飛び散ったのに痛いとは驚きだ。

それに、凄く息苦しい。

天国に痛みは無いらしいから、これから行くのは地獄だろうか。

まぁ、虫を殺すだけで地獄行きなのだから、特に徳を積んでいる訳でもない私が天国に行ける道理はないのだけど。



「アオフヴァッヘン!」

「ッ!

はぁっ!!」



視界一杯に、男の顔が見える。



「ああ、良かった、目が覚めたね。

僕が誰だか分かるかい?」



茶髪で、困ったような、安心したような笑顔。

浅葱色の垂れた瞳。

目鼻立ちは整っているけれど、どこか疲れたような、草臥れたような感じがする。



「クリス、さん?

どうし、たんですか?」



声が上手く出ない。

まるでずっとカラオケをしていた後のように声が枯れている。



「クリス、問題ないか?」



頭上から別の声。

アーデンだ。

頭を上げたいが、額を誰かの手が押さえ込んでいる。



「待って。

カエデ、ここはどこかわかるかい?

どうしてここにいる?」



どうして?

そんなものは私が聞きたい。



「ここは、ザフキエル公国、ですよね?

ここにいるのは、えぇと、クリーヒ・ティーアの森へ行くんでしたっけ?」



どうしてこんな事になっているんだ?

よく見れば手首をクリスに、足首はライラに、そして額を恐らくアーデンに押さえ込まれていた。

アーデンのため息が聞こえると額からアーデンが離れ、足首からライラの手が離れ、クリスが上体を起こしてくれる。

ドアの隙間からはロッツィの後ろ姿が見えた。


全員の表情に、私は眉間に皺を寄せる。

本当に、何があったと言うのか。

ふと、閃光が走るように、脳内にホームの光景と叫び声が鮮明に蘇る。

息を飲んで、私は自分の体が震えているのに気が付いた。



「カエデ?」



酷く怖い。

あれは、現実なのか?

やっぱりこれは夢で、私は、凄く長い夢を見ていて。

自分を抱き締める。

震えは止まらない。



「カエデ」



クリスが右手を握ってくれる。

ずきり、と鈍く右手が痛んだ。

痛い。

そうだ、痛い。


私が左のベッドサイドにいるクリスに焦点を合わせると、クリスの真剣な表情と目があった。



「何があったんだい?」



酷く心配そうな表情に、唇が震え、そして、



「すみません、変な、夢を見て、大丈夫です」



笑う。

何だか力が入らないけど、笑わなくては。

クリスは、良くしてくれているのだから、心配をかけてはいけない。

彼は、私の生命線なのだ。


恐ろしいけれど、まだ笑える。

不安だけれど、笑う顔がある。

大丈夫。

大丈夫。



「…そう。

眠れそうかい?」

「平気です。

すみません、皆さん」



笑って、私はもう一度ベッドに潜り込んだ。

結局その日は、眠る事が出来なかった。

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