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モラトリアム

大切であること

作者: 三堂いつち

「あら、神田くんじゃない」

「……由良か」


 生徒の出入りのほとんどない図書室の部屋の隅。そこには、どうして置かれたのかもわからないような、古びた椅子がぽつんとひとりぼっちで佇んでいる。去年見つけたこの椅子の配置の意図は、高校生活2年の今年になっても全く分からない。けど、図書室の本を片っ端から漁っている僕にとって、目的の本が近くの本にあった時動線が短くなって少しでも早く本が読めるという、たまにありがたい配置でもあるのだ。

 本日、放課後。この日僕はその隅っこの椅子に座って本を読んでいた。そして、人の少ない図書室で僕を見つけた由良に声をかけられたというわけだ。


「あら、私と会ってもあまり嬉しそうじゃないのね」

「まぁ、今はこの本の方が大事だから」


 呼ばれて上げていた顔を、手元の本に戻す。


「……「方が」っていうことは。じゃあ、それ以外なら私も大事なのかな?」


 行を追っていた目が()まる。何の気なしに放った一言で、その言葉を逆手に取った何てことないヘリクツに対して僕は、そうかもしれないと思ってしまった。想起してしまった。

 僕と由良の関係はほんの偶然に顔を合わせてほんのちょっと話をするだけの、およそ友人関係と呼べるものではない。けれど、一人ぼっちの僕にとって由良は唯一と言っていい話し相手だ。

『唯一の話し相手』。それだけの理由で、もしかすると僕は由良のことを心のどこかで大事に思っているのかもしれない。


「そうだな」


 違うと否定することも考えたが、それはそれで由良が面倒になりそうなので止めておく。僕としてはこれで由良とのお喋りは終わりだと思った。


「……そ、そっか」


 だけど、由良にしては歯切れの悪い返事が返ってきて、それがあまりにも不思議で新鮮だったので、思わず顔を上げて「どうかしたのか」と訪ねてしまう。


「いや……、神田くんがそんなハッキリ言うなんて思わなかったから、ちょっとビックリしちゃって……」


 そう言う由良の顔には戸惑いの色が見えた。そして、ボソッと「この前のこともあるし……」と言う顔は少し紅かった。

 由良の(うっす)らと笑う以外の表情を見たのは、これが初めてだ。「もしかしたら幽霊なのかもしれない」なんて言われている由良だけど、もしかしたら彼女は皆が思っているより人間らしいのかもしれない。


「神田くん、今なんか失礼なこと考えなかった?」

「いいや全然」

「……今日の神田くんはなんだか強気ね」

「由良と会う時はいつも病気だったからなぁ」

「病気のかわりに強気ってこと?」

「あまりウマくないけどね」


 つまらないシャレは由良が言ってくれたけど、自分で暗に言っていたことだったので苦笑して誤魔化す。

 そうしてから少しの間、由良と見合って、僕は何も言うべき言葉が見つけられなかったからまた本を読みだすことにする。喋っている中本を読みだすなんて失礼なことだけど、僕と由良の間ではこの程度の失礼はしょっちゅうお互い様なので、とりたてて咎めるようなことはない。


「……」


 僕が本の内容をなぞっているうちに、そばから由良の気配が消えた。由良が急にどこかに行っても、それは特別不思議なことではないので、僕は改めて本を読むことに対して気持ちをつくった。





「ふぅ……」


 そして一冊の本を読み終えた時間には、窓の外の景色は橙色の夕日に色づいていた。


「帰るか」


 僕は手に持っっていた本を棚の元あった位置に戻して入れて、その隣の続巻を借りるために手に取った。それから近くに置いていた鞄を持って、図書室の入り口の貸し出しカウンターで図書カードに名前を書き、図書委員は今日はおらず、代わりに何でか来ていた眠そうな顔した保険医の先生に渡す。借りた本を鞄に入れて図書室を出ようとする僕に、先生は「気をつけて帰んなよ~」と、こちらまでも眠くなりそうな声で言った。


「あっ」

「やっ」


 昇降口で再び由良と会った。


「待ってたの?」

「ずっとってわけじゃないけど……、まぁそうなるね」


 由良は不敵な笑みを浮かべて、それがなんでもない事のように言った。その様子は全くもっていつもの由良だった。

 けれど、それならそれで僕は少し驚く。


「由良って人を待ったりするんだな。そういうの辛抱できないと思ってた」

「……まぁ、滅多にしないことは確かだね」


 由良は僕の言うこと肯定しながらも、それでも何か言いたそうだった。

 そして僕らは下駄箱から上履きと靴を履き替えて、それから少しだけ距離のある感じで並び歩き始める。思ってみれば、由良とこういう風に並んで歩くのは初めてだ。

 そんなことを考えて校門までの通路を、ゆったり歩いているうちに、ふいに由良が僕に問いかける。


「ねえ神田くん。今は何が大事?」


 由良が尋ねた言葉を、僕は少しあってから何のことだか思い出した。


「それを確かめるために待ってたのか……」

「そうだよ~。さぁ!次に神田くんはどうはぐらかすかな~、って楽しみで」

「……随分と、まぁ素敵なご趣味で」


 言葉から察するに由良は、僕に「由良が大事」と言わせたくないらしい。そうやって僕におろおろと言い訳をさせる。そのために、わざわざ放課後の暇を潰して僕を待っていたわけだ。

 何のためにこんなことを、と気になったので聞こうと思ったけど。きっと由良は「私が面白いから」とか言うのだろうな、と早々に疑問を投げ捨てて、由良の問いに答えようと思案することにした。

 そして答える言葉はすぐにそばに見つかった。


「……気を付けて帰ること、が大事かな。さっき先生に言われた」

「なるほど。それは確かに大事なことだね」


 僕の答えに、由良はクスクスと笑う。それ程おかしい事でもないのだけど、由良が笑うのを見ていたら、なんだか僕もおかしく思えてしまった。

 そして、そのうちに僕らは校門のすぐ外に出た。


「私、駅の方」

「じゃあ逆方向だ」


 僕らの帰り道は、こんなにすぐばらばらになった。


「それじゃ、ばいばい」

「うん」


 小さく手を振って、由良はサヨナラをする。僕も小さく手を振る。


「気を付けて」

「神田くんも気を付けてね。身体弱いんだから」

「ああ」


 大事なことの確認をしてから、僕らはそれぞれの帰り道を辿り始めた。

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