大団円 頼義、旅に出るの事
京の都の中を、激しく人の行き交う音が響く。かつて無いほどの「鬼」たちの大規模な侵攻によって平安京は再生不可能と思えるほどの深い傷を負った。それでもなお左大臣藤原道長卿は廃都も遷都もせず、今後もこの平安京を都として使用するという旨の太政官令を発布した。
始めのうちはただ閑散とした廃墟の中で、燃え落ちた家財などの片付けや亡くなった人々を悼むぐらいしか出来ることなどなかった。しかし二日経ち、三日経ち、日を追うにつれ都を離れていった人々が姿を現し、また近隣の住民も仕事を求めてちらほらと集まるようになってきた。
気がつけば都はみるみるうちに人でいっぱいになり、あちこちで槌を打つ音や鉋を削る音、魚や野菜をどっさり積んだ籠を頭に乗せた大原女のかけ声、路上で遊ぶ子供達の声で満ち溢れていった。年明けには長いこと伊勢にご行幸であった帝もお戻りになられるという。
都は、蘇りつつあるのだ。
そんな喧騒を聞きながら、左馬助源頼義は自宅の庭先で旅支度に勤しんでいた。男装姿ではなく、女性用の旅装束に紗を落とした市女笠を傍らに置いて、脚絆がわりの晒し布を足に巻いている。支度が済んだ後、庭先で隠れているつもりらしい人物に声をかけた。
「金平どのですね、わざわざお見送りにきてくださったのですか。ありがとうございます」
垣根に挟まれた裏木戸の戸が開いて、バツの悪そうな顔をした坂田金平が姿を現した。
「よく俺だとわかったな、たいしたもんだ。見えていないんだろう、その目?」
「ええ、足音とか、息遣いとか……不思議です、見えていた時には気づかなかった色々なことが、今はこんなにも感じ取れるようになるなんて」
「その、目の方は、もう……」
「はい、もう二度と見えるようになることはないそうです。でも後悔はしていません」
「そう、か」
金平は言葉を詰まらせて黙り込む。突然、頼義がその顔をめいいっぱい金平にまで近づけた。あまりに無遠慮に彼女の顔が急接近してきたので、金平は思わず顔をのけぞらせた。
「のわっ!?な、なにしやがるんだよっ!!」
金平は顔を真っ赤にして毒づく。先ほどまで自分の鼻先にかかっていた彼女の息の感触がまだ残っていた。
「椿の油の匂いがする。金平どのが鬢付け油を使うだなんて珍しい」
珍しいといえば、金平の今日の姿は実に珍しかった。ボサボサに伸び放題だった髪は綺麗に切りそろえられ髻もしっかりと結い上げられている。まばらに生えていた無精髭も剃り上げられ、衣装も真新しい麻物の狩衣姿であった。一見放蕩無頼に見える金平も、こうして見るとそれなりに貴族の子弟らしい気品が漂うように感じる。
「ああ、都も色々と人手不足でな、とうとう俺も宮仕えする羽目になっちまったよ。まあ検非違使庁の使いっ走りみてえなもんだがな」
「まあ、それはそれはおめでとうございます!金平どののような方にお守りいただけるなら、都の治安を安泰です。どうか、竹綱どのたちの分までご忠勤にお励みください」
頼義は透き通るような笑顔で金平の門出を祝福する。そこにはもうかつてのような無理に武張って男言葉を使ったり武士の所作の真似事をしたりといった痛々しい姿は無く、年相応の少女の素直な笑顔だった。金平は思わず顔を背けてしまう。その笑顔があまりにも眩しすぎて、自分には直視できなかった。
「そういえば、左腕の調子はどうですか?大分の深手でしたが……」
頼義が話題を変えたので金平もようやく調子を取り戻した。
「ん?ああ、おかげさまで無事にくっついてくれたよ。まあ、手首から先はてんで使い物にならねえがな」
金平が左手を差し出す。鬼となった惟任上総介との戦闘の際に受けた傷は、金平の左手中指と薬指の間から肘の近くにまで裏表にわたって深々と傷跡として残っていた。普通であればそのまま壊死して切断していてもおかしくないほどの重症だったが、それでもここまで回復したのは金平の恐るべき体力のなせる技といえよう。
「そうですか。……金平どの、手を」
頼義が金平の左手をその両手で包むように握る。ほとんど感覚の残っていなかった左手から、暖かい熱を感じてきた。
「!?」
金平の動悸が速くなる。頼義の手の覆わぬ熱さに驚いたのか、それとも別の理由があったか。その手の尋常ではない熱もやがて徐々に静まり、普通の手のひらの温度に戻っても金平の胸の鼓動は収まらない。
頼義がそっと手を離して言った。
「はい、これでもう大丈夫、機能回復訓練をちゃんと続ければまた動かせるようになります。まずは親指と小指をくっつけられるよう運動して見るといいですよ」
そう言われて心の動揺から我を取り戻した金平は改めて自分の左手に感覚を集中してみた。まだ関節がミシミシと鈍い抵抗を見せるが、確かに動いた!金平は思わず驚きの声を上げた。
「これは……!?お前、いつの間にこんなことをできるように!?」
「金平どのの体内で途切れていた感覚の『道』をつなぎ直しました。あとは神経同士がくっつけばまた元のように剣を握れるようになりますよ」
「それも、あの『力』の一部なのか……?」
「……」
「お前は本当に『頼義』……なのか?」
金平の口から思わず出た問いに、頼義は答える。
「なんだお前、『私』と話したかったのか?」
頼義が目を開いた。その瞳は青白く、真昼の日光にも負けずに爛々と光をたたえていた。
「……!!」
金平が反射的に身を引いて構える。それを見て頼義は笑いながら制した。
「はやるな、はやるな。『私』は確かに『私』だが、別にこの娘をとって食ったりはせぬよ。いずれはこの娘の中に溶け込んでその力の一部となるだけのことよ。だから、心配するでない、この娘は間違いなくお前の知る『源頼義』だよ」
そこまで言い終わると、頼義は静かに目を閉じた。
「ねっ?」
「なにが『ねっ』だよ意味わかんねえよ!!!おいちゃんとわかるように説明しろコラ」
「えー、でも金平どのバカだからわかるかなあ」
「い・い・か・ら・説明しやがれこの野郎」
「んー、要はですね、八幡さまは私の中の『道』を通じて『彼方』より顕現されるわけです。つまり、『私』という『道』から現れたお姿が今のアレであって、他の『道』を通じて顕現されたときにはまた別のお姿となって現れるということです。だから」
「だから?」
「アレも私も、同じ『源頼義』という一人の人物なんです。そういうことです」
「なるほど……さっぱりわからん」
「やっぱりバカだ」
「なんだとう!?」
「あははは」
頼義は無邪気に笑う。正直言って今の説明で金平は納得できるものではなかった。それでも、どこか
(コイツはもう、変わらない……)
という、確信に満ちた不思議な気持ちになった。
「で、やっぱり行くのか、お前」
今度は金平の方から話題を変えた。
「はい。都はかろうじて守ることができましたが、まだこの世に仇なす『鬼』の存在は後を絶ちません。全ての『鬼』を平定し、この国から『鬼』の存在を駆逐するまで、私の旅は終わらないでしょう。それが、この戦で生き残った最後の『鬼』である私に課せられた宿命」
「まだそんなこと言ってんのかお前は!お前は鬼なんかじゃねえ、お前は……」
「鬼です、鬼なんですよ私は……ふふ、同じ鬼だからこそ彼らの気持ちもわかろうというものです。頼長の爺やとの約束もあります。私は、鬼も泣かない世の中を作りたい」
「……」
「ですから、まずは……」
頼義は手荷物から何かを取り出して金平に見せた。酒瓶と盃だった。
「まずは彼らと一杯 飲るところから始めたいと思います」
なぜかやたらに自慢げに胸を張って盃を見せる頼義を見て、金平はとうとうたまらず吹き出してしまった。
「はははははは、そいつはいい、最高だ!さぞ難儀な旅路となることだろうぜ!!」
「はいっ!」
二人は顔を合わせて笑い合った。
「……では、これで。お見送り感謝いたします。金平どのとは短いおつきあいでしたが、多くの事を学ばせていただきました。本当に、心より感謝しております。あなたに出会えて本当に良かった……」
「……」
「どうか、都をお護りください。いつまでもご健勝で」
ぺこりと頭を下げた頼義はそのまま庭先から出て行こうとする。金平は振り返る事なく、仁王立ちのまま動かない。
頼義の手が裏木戸の取手に触れた。
「だあああああああああああ!!!!」
突然金平が獣のような大声をあげた。
「なーにが『ご健勝で』だ莫迦野郎!お前みてえなちんちくりんのガキんちょが一人でノコノコ旅になんか出てみろ、あっという間に野盗に襲われて身ぐるみ剥がされるか山犬の群れに食われちまうかのどっちかだっつーの!」
「あー、またガキんちょって言ったこのうすらデカちんがーっ!!」
「うるせえっ!目も見えねえガキが一人で長旅なんざ危なっかしくって見てらんねえよ!だから、だから……!」
金平は頼義の方へ振り向き、彼女の顔を真っ直ぐに見つめながら言った。
「俺がお前の目になってやる。俺がお前の代わりに世界を見て、それを全部お前に教えてやる!これからも、ずっと……!!」
そこまでを一息に言い切って、金平は再び仁王立ちになる。
「金平どの……」
「……」
「それって、婚姻のお申し出ですか?」
「ちげえよ!!」
「よかった♡」
「なんでだよ!それはそれで腹たつなオイ!!」
「あははは」
今更自分で言ったことの意味に気づき、顔を真っ赤にして追いかけてくる金平から逃げ回りながら少女は笑う。そしてくるりと向き直った。
「ありがとうございます。本当のことを言うと、金平どのならそう言ってくれるんじゃないかなあと、ちょっと期待していました。えへへ」
頼義は心底嬉しそうに両手を胸に当てる。
「私、嬉しい……」
金平はふてくされたように顔を横に向ける。心臓はまだ早鐘のように激しく鳴り響いていた。
「では金平どの、いえ呂家の裔、息長の子、下毛野一族の長子坂田公平よ、汝、我が目となって生涯をこの頼義に尽くしてくれますか」
頼義が金平に問う。どこか吹っ切れたように、金平は片膝をついて頼義に平伏する。
「へいへい、こうなりゃ一蓮托生ってやつだ、どこまでもお伴しますぜ大将!」
「はい!『鬼狩り紅蓮隊』の新たな始まりの一歩です!!」
「はは、そいつは結構だが、俺とお前の二人っきりじゃあ、なんともしまらない『紅蓮隊』だなオイ」
「いいえ」
頼義は優しくかぶりを振る。
「みんな、います……竹綱どのも、貞景どのも、衛士小隊も、渡辺党のみんなも……ずっと一緒です」
「……そうか、そうだな」
金平も頷く。
「ものの例えで言ってるんじゃないんですよ。ほら……」
頼義が金平の大きな手に自分の掌を重ねる。
その瞬間、不意に金平の意識が遠くへ吹き飛ばされた。ものすごい速度で疾走する自分を感じる。光も音も無いのに、ここが「彼方」なのか、金平は直感的に理解していた。止まることのない意識の奔流の中で、金平は「彼ら」を確かに見た。
薙刀を構えて静かに笑う碓井貞景を
本に目を落としながら何度も頷く渡辺竹綱を
始終喧嘩ばかりしていた衛士小隊の若武者たち、渡辺党のむさ苦しい海の男たち、自分が死地に送ってしまった相撲隊の屈強な力士たち……
みなが、頼義の中にあって、頼義とともにこれからの旅路を歩んで行くのだ。
唐突に意識の奔流が止まり、元の庭先に戻ってきた。頼義は変わらず金平の手を握ったままである。
「……そうか、そう、なんだな」
「はい」
金平は静かに笑う。彼らの死は無駄ではなかった。いや、頼義という人物がいる限り決して無駄になんてことにはさせないだろう。金平は大いに救われた気持ちがした。
「ま、いいか。では殿、まずはどちらを目指すんですかい、北か?南か?」
「そのまま行くのですか?旅支度は?検非違使のお仕事は?」
「知るか。そんなのはなあ思い立ったが吉日よ。さあ、どこを目指す?」
頼義はそんな金平を半ば呆れたように、それでもどこか頼もしく思い、笑って答えた。
「東へ!」
都の昼下がりの穏やかな日差しの中、頼義の声が凛と響き渡った。
鬼狩り紅蓮隊/鬼哭冥道 完




