最終決戦・大内裏大極殿 酒呑童子、秘密を暴かれるの事
殷朝末期、乙帝の嫡子として生まれた皇子は生れながらにして聡明で弁が立ち、他者を圧倒する怪力の持ち主として幼いうちから将来の賢王として嘱望されていた。しかし成人して皇位を継ぐと新しい王は家来の言葉に耳を傾けなくなり、傍に寵姫をはべらせ、その者の言葉しか聞かないようになった。王を諌めようと進言した家臣は焼き殺され、王はその様子を肴に酒饗にふけった。
「王が愛人の言葉しか耳を傾けなくなったら、その時は国が傾く時である」と皮肉を言った別の家臣は、その清廉潔白ぶりを確かめてやると言って心臓を抉り出された。古来聖人の心臓には七つの穴があるという。王はのその後も行いを改めることはなく、宮廷の池という池を酒で満たし、柱という柱に肉を吊るし、そこで裸の男女が戯れ合いながら連日連夜地獄のような饗宴を繰り返していった。
王朝の威光は見る間に崩壊していき、やがて地方貴族の叛乱を招くこととなり、その最大勢力であった武王の軍勢は七十万に及ぶ殷の大軍を破ってついに殷朝を滅ぼすに至った。
「その最後の王こそがお前だ、辛帝……酒呑童子」
酒呑童子がそろりと身を起こす。パンパンと裾の埃を払いながら
「朕の名を気安く呼び捨てるとは、万死に値するぞ下郎」
ガラリと雰囲気を豹変させた静かに鬼の王が言った。変わったのは言葉遣いだけではなかった。先ほどまで見せていた子供じみた稚気は跡形も無く消え去り、酷薄な、血も通わぬような無感情な「暴君」の威容がそこにあった。
「しん、てい……しゅ、てん……酒呑、童子、紂王!」
「くだらねえ語呂合わせだ。本当にただの酒飲みだっただけかもしれねえがな」
「否定はせぬぞ。酒は好きだ。『炮烙の刑』に処せられて肉の炙られる姿と絶叫を聞きながら飲む酒なぞはこれまさに甘露、甘露よ」
酒呑童子……紂王がニタリと笑う。口の奥底には無数に生えた牙がのぞく。
「呂尚、呂尚か。あやつめ、これほどまでに朕に嫌がらせをしてくるとは思わなんだぞ。朕はただあの娘と一緒に静かに暮らしたいだけであったに、あれこれと難癖をつけては残虐非道と口すっぱく糾弾しおって。挙げ句の果てに姫発(武王)のような野蛮人を祭り上げて朕を国から追い出すなぞ、奴の方がよほど残虐非道よ。むしろ被害者は朕の方であるぞ」
「ほざけよ、テメエのせいでどれだけの人が死んだ!?テメエが積み重ねた悪行忘れたとは言わせねえ!!」
「忘れた、忘れたわ。王であった時において人民は朕の持ち物、鬼となった今においては『食料』でしかないからなあ」
「紂王」が冷たく笑う。凍った金属が擦れ合うような不快な響きが大内裏の内壁にこだまする。
「まあ呂家の者よ、『金太郎』とか申したな。そなたらの一族はアレだぞ。遊び相手としてはなかなか悪くなかった。男どもは殺しがいがあり、女子供も犯しがいがあった。特に泣き叫ぶ生娘にねじり込みながら端から齧っていくのは……」
言い終わらぬうちに金平の剣鉾が酒呑童子の首を跳ね飛ばした。
「これ以上話すこともねえよクソ野郎。今度こそ地獄に落ちやがれ」
酒呑童子の首が天高く宙を舞う。その首を……なんと刎ねられた胴体が素手で受け止めた。
「つくづく無礼な奴め、話は最後まで謹んで聞くものであるぞ」
逆さまになった顔がまたニタリと笑う。刎ねられた酒呑童子の首から黒い霧のようなものが雲霞のようにうねって胴体と紐のようにつながっている。その黒い霧が手繰り寄せるように首を引っ張り上げ、また元のようにぴったりと収まってしまった。
「……!!」
間、髪を容れず頼義が童子切安綱で打ち込みをかける。その神速の一撃は酒呑童子の右腕を斬り飛ばし、返す刀でその胴を逆袈裟に斬り上げた。が、その腕も瞬く間に再びくっつき、胴の傷も一瞬で跡形も無くなった。
「これは……」
酒呑童子があざ笑う。
「鬼斬り?鬼殺し?雑魚を何匹斬ろうと、まことの『鬼神』の前には無力よ。お前らごときに朕の玉体を傷つけることなど叶わぬ」
その言葉とともに、今度は酒呑童子が動いた。まるで散歩するかのような緩やかな動きに見える、だのに金平はその動きの「起こり」が一切読めなかった。それでもかろうじて頼義の前へ進み出る事のできた金平は、しかしそのために酒呑童子の蹴りをまともに食らう事になった。
「ぐはっ……!!」
酒呑童子の放った蹴りはまるで早くもなく、重くもない、素人そのものの蹴りだった。だがその蹴りが金平の肋を鎧の上から砕き、後ろにいた頼義ごと金平を吹き飛ばした。
金平に突き飛ばされ、その上地面に叩きつけられてさらに金平の体重が頼義の小さな身体にのしかかる。頼義をかばうつもりが逆に余計な手傷を彼女に与える結果になってしまった。
「だ、大丈夫か、すまん……」
「い、いえ、わたしは」
強がってそう言うが、頼義はまだ立ち上がれないでいる。舞い上がる埃にむせながら金平はそれでも身体を持ち上げる。酒呑童子は防御なぞまるで考慮していないかのような無遠慮さでズカズカと二人に近づき、金平の左手を踏みつけた。この動きも金平は全く先読みができなかった。
(違う、こいつの動きは、人間のものとも他の鬼どもとも違う!なんだこの野郎、強えじゃねえかこののペテン師が……!)
金平はここにいたってようやく、今、目の前にいるこの男こそが間違いなく「最強」の「鬼の王」である事を認めざるを得なくなった。震えている。今まで金平は強い敵であればあるほどより一層闘志を沸きたててきたものだが、この鬼の王相手には初めて闘志より恐怖が先走った。金平は生まれて初めて、敵を前にして恐怖に打ち震えている。
左手に新たな激痛が走る。先の惟任上総介との一騎打ちで肘まで裂けるほどの傷を負っていた金平の左手にさらなる激痛が加わった。酒呑童子は容赦なくグリグリと足を踏みつける。金平は口から血混じりの泡を吹きながら絶叫した。
「うんうん、良う吠えるわ。やはり犬は元気よく吠えるのが一番よのう」
酒呑童子はゲラゲラと笑いながら金平をいたぶる。半ば気を失いかけた金平の髪を掴み、酒呑童子が無理矢理に身体を引き起こす。
「どうだ、『痛い』か?お前もこういう時『痛い』と言うのであろう?それ、朕にもっとその『痛い』というものを見せてみろ、それ」
そう言って酒呑童子は金平の剥き出しになった傷口を手荒にさすり回す。一瞬意識の遠のきかけていた金平は再び激痛の中で覚醒した。その失神と覚醒の繰り返しの中で、金平は今酒呑童子の言っていた言葉の「何か」が引っかかっていた。
(『痛い』?『痛いを見せろ』だと?こいつは何を言っているんだ?)
もはや意識を失っているのか覚醒しているのかもわからない中で、金平はその言葉の意味だけをひたすら自問していた。
(そう、か……こいつ、こいつは……!!)
最後の気力を振り絞って自らの意識に喝を入れる。もはや左腕の感覚は無く、ただ水袋が重くぶら下がっているかのような感覚だけだった。金平にはむしろその方が好都合だった。この先一生左腕は使い物にはならないかもしれない。だが
(アイツの、目に比べれば……!)
血混じりの粘ついた絶叫とともに、金平は左腕にのしかかった酒呑童子の足を力ずくで払いのけた。
「おっと、これは剣呑剣呑。まだそんな元気があったか」
まだまだ余裕を見せながらそれでも酒呑童子は金平と距離を取る。多量の出血と激痛による急速な疲労で、金平の顔は紙のように白く、唇には青黒い相まで浮かんでいる。そんな中で金平は重い唇を必死で動かし、酒呑童子に問うた。
「……酒呑童子。テメエ、痛みをどこに忘れてきた?」




