最終決戦・大内裏大極殿 頼義、目覚めて道を開くの事
頼義が酒呑童子の元からフラリと離れ、金平の方を向いた。その顔は変わらず無表情で、目に青白い炎を爛々と輝かせている。それは、ヒトの目ではなかった……
頼義の傍に先ほど投げ捨てた童子切安綱が地面に突き刺さって立っている。頼義はその太刀を無言で引き抜き、気だるそうに地面に切っ先を引きずりながら金平に近づいて来る。金平はまだ白面の禁呪から逃れられていない。
「そうそう。君の好きなように遊んでやるといいよ。一息に殺してやってもいいし、指先から細切れにしてあげてもいい。ああでもアレだね、できるだけ苦しがる方がきっと楽しいんじゃないかなあ。ははははは」
酒呑童子が笑う。白面も笑う。頼義は笑わない。ただ無表情に金平に近づき、そして安綱の太刀を振り上げた。金平はもう暴れまわることをやめていた。頼義の刀を受け入れるかのように、ただ動かぬ足で大地を踏みしめて仁王立ちをしているだけだった。
「頼義……!」
金平は真っ直ぐに頼義を見つめ、ただそう一言だけ言った。
頼義はその言葉を聞いて、かすかに笑みを浮かべたように見えた。
「やっと、名前で呼んでくれた……」
今度は本当に満面の笑みを浮かべると、頼義は手にしていた安綱の太刀を振り下ろし
自分の両目を斬り裂いた。
「!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その場にいた誰もが声にならぬ声をあげていた。金平の胸が、顔が、頼義の返り血で赤く染まる。頼義は襲いかかる激痛に無言で耐えながら天を仰ぐように地面に膝をついた。
その身体が、少しずつ青白い炎の光に包まれていき、やがて全ての視界が奪われた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
上もなく、下もない。
前もなく、後もない。
時の進みさえ存在しない「彼方」に、頼義の意識はたゆとうていた。自ら切り裂いた眼球はもはやこの世の事象を写し出す事はない。ただ永劫と続く激痛の中で、頼義は見えない目で、見えない感覚器で世界を感じていた。
風の匂いがわかる。砂の重さがわかる。すぐ近くにいる「彼」の心臓の鼓動が聞こえる。
視覚を失った彼女は、それでも今、世界の隅々にまで「手」が届きそうな不思議な感覚に満ち溢れていた。
頼義は自分の内側に何か巨大な力が大河のような奔流となって注ぎ込まれていくのを感じていた。あれほど心の中で苛まれていた、甘い、蕩けるような酒呑童子の声も瞳も、今は不思議なくらいに綺麗さっぱりと消え失せていた。その「見えない目」は、どこまでも、酒呑童子の内なる世界までも見通せるようだった。そう……
(私ハ、『道』ヲ拓イタノダ……)
頼義は天に手をかざした。その瞬間その手にはどこから現れたのか、頼義の愛用する大弓がいつの間にか握られていた。
「坂田公平・・・息長の一族のその末裔よ。何を呆けておる、それくらいの禁足の外法ごときも打ち砕けぬか?それでも誇り高き呂家の末裔か」
「……お前!?なぜ、それを!?」
頼義は閉じられた目で笑う。先ほどまであれほど流れていた血は、跡形もなく消え失せ、元の美しい少女の面影を蘇らせていた。しかし、以前の頼義とはやはりどこかが違う。ヒトではない、鬼でもない。では彼女は……
(何になった!?)
金平はしかしそれ以上余計なことを考えるのをやめた。もとより物事を考えてどうにかなる性質ではない。今やる事はただ一つ。
「ふんごあああああっ!!」
およそヒトとも思えぬような咆哮を上げて、金平は力任せに白面の禁足の術を破ろうと再びあがき出した。力でどうにかなるものなのかもわからぬ。だが金平にとっては「馬鹿力」こそが己の頼む唯一最強の武器だった。
「ぐぬぬぬぬうぬうおおおおあああ……!!」
全身の筋肉がブチブチと音を立てて千切れて行くのがわかる。その痛みを物ともせず、さらに一段と大きく吠えて、ついに金平は右足を真横から大きく蹴り上げることができた。高々と上がった右足を、今度は満身の力を込めて大地に叩きつける。比喩ではなく本当に地面が振動し、建物も木々も地震に見舞われたかのように激しく振動した。
「ぜえっ、ぜぇっ……どうだ……どうだあっ!!」
全身全霊をもって挑んだ見えない敵との一騎打ちに、金平はとうとう勝利し、白面の緊縛の術を撃ち破った。自由を取り戻した金平は、全身を襲う激痛に耐えながら、震える体で強がって仁王立ちの姿に戻った。
「うむ、見事な四股である。では『私』もその心意気に応えよう」
まるで十四の少女らしからぬ威厳に満ち溢れた声で頼義はそう言うと、倒された桜の大木から一本の枝を折り取った。
その桜の枝を矢がわりに弓に番える。
白面は頭の中が真っ白になっていた。今、目の前で何が起こっているのかまるで理解できない。取るに足らない小娘だと思っていた者が、今何をした?何をしようとしている?隣にいる主人は事の異様さをまるで理解しておらず、ただ眼前に起こった現象を興味深げに眺めている。少女がこちらに向けて弓矢を構えているのが見える。
(逃げなくては、逃げなくては、逃ゲナクテハ……!!)
竦む足を叱咤し、かろうじて白面は動いた。だが……
「高天原に神留り坐す、皇親神漏岐、神漏美の命以て、八百萬神等を神集へに集へ賜へり。我は宇佐の宮にて誉田別尊、水尾山陵においては惟仁と諱を送られし者、神命を……」
頼義が桜の枝の矢を放った。桜の矢は一条の光線となって酒呑童子に向かって突き進んで行く。
その酒呑童子の体を突き飛ばして、白面童子はその光の矢を一身に受け止めた。
「がっ……はあっ、あああ……」
白面童子の左半身は光に飲まれ、跡形も無く消失した。光の束に吹き飛ばされた彼女は、それでも残った右腕と右足で辛うじて体を支えた。
「その目、その力……ちがう、お前は『封印』などではない。そうかお前は、お前自身こそが……!」
片手片足で頼りなく体を震わせて支えながら、白面は虚ろな目で頼義を睨みつける。頼義は悠然と弓を構え、見えぬ目で白面童子を見下ろしている。
「八幡……神……」
そう言い残して、白面童子は力尽きた。




