最終決戦・大内裏大極殿 金平、別れを告げるの事(その三)/首魁、本丸へ辿り着くの事(その一)
神便鬼毒。桜の木には邪気を吸い上げ、聖気をもたらす効能があるという。金平はその事をかつて陰陽師安倍晴明から教えられた記憶がある。それを思い出しての計算のうちだったのか、それともたまたま偶然だったのか。上方に向かって鋭い切り口を見せていた桜の根は、そのまま天を衝く槍となって二人の体を刺し貫いた。惟任は背中から胸元に向けて完全に貫通した形で、金平はその切っ先を受け止めるような形で腹に深々と。
「あ……あ……」
惟任は突き刺さった己の身体をなんとか外そうと足掻く。桜の木の聖なる力か、貫かれた傷口から惟任の身体は黒い炭の粉となって崩れて行く。
「隊長!!」
すでに一人頼義によって斬り倒され、最後の一人となっていた御陵衛士の赤子……あの土御門第での酒宴の席で頼義に笑いかけてくれた女武者……が桜に縫いとめられた惟任の姿に気を取られる。その一瞬の隙を逃さず、頼義の童子切安綱が女武者の頸動脈を斬り裂いた。
「かっ……!」
大きく目を見開き頼義を睨みつける。首の出血を抑えようと腕を上げたその脇を狙って頼義が横薙ぎに太刀を入れる。安綱の刃は赤子の脇腹をくぐって肋骨の間を抉り、そのまま心臓にまで達した。
「そん、な……!」
赤子が無念の表情で天を見上げる。その姿も一瞬のうちに真っ黒な炭の粉となって崩れ落ち、その後を追うように彼女が着ていた具足が音を立てて転がった。
金平は渾身の力を振り絞って桜の木から自分の身体を引き抜いた。大きな穴の空いた胴丸からはドクドクと血が滲み出ている。
「た……た……」
惟任がなおも桜の軛から抜け出そうともがく。目には涙を浮かべ、震える手で金平を求める。
「たす……けて、きんぴら。いたい、いたいの……おねがい、なんでもする、なんでもします……手でも、口でも、なんだってしてあげるから……」
「……」
「だから、おねがい……お願いします、お願いします!犬の真似でもなんでもします、死にたくない、死にたくない、死にた……」
「うるせえよ」
惟任の懇願を遮るように金平がつぶやいた。
「鬼が、その顔でしゃべるんじゃねえ」
そう言って金平は惟任の顔面に剣鉾を叩きつけた。
顔ごと頭部を砕かれた惟任は一度大きく身体をのけぞらせると、その身体が地面につく前に真っ黒な炭の粉となって消えて行った。
金平は無言で仁王立ちで灰になった鬼の残骸を見下ろす。頼義はその後ろで安綱の鞘を支えにして片膝でかろうじて起き上がっている。先ほど赤子に放った一撃で精も根も尽き果てたものらしい。
「金平……どの……」
金平は頼義に背中を向けたまま
「……俺はよう、子供の頃は背もちっちゃくておまけに泣き虫でな。いつもなんかあっちゃあすぐにビービー泣いて、その度に惟任の玉櫛の姉貴の袖を引っ張りながらついて回っていたもんさ。そんな俺を姉ちゃんはいつも厳しく叱って、鍛えて……よく抱きしめてくれて……」
「……」
「……なんでお前が泣きそうな顔してやがんだよバーカ。どうってこたあねえ、鬼を一匹退治しただけだ。ただそれだけの事だ」
それ以上、金平は何も言わない。ただ惟任を葬った桜の木を見つめているだけだった。
長く続いた沈黙を破って、突如どこからともなく聞こえる拍手の音が響き渡った。
「お見事お見事。いややわあ、そういう仕掛やったんねえ。道理で石清水のお宮に封印がなかったわけやわ」
二人が周囲を見回しても声の主は見えない。ただ、この声の「主」はわざわざ聞くまでもなく知っていた。あの女狐がここにいる……!
朝堂院を囲む奇門遁甲の虹色の壁は、季春亡き今もまだ機能している。外から侵入することはできないはずだ。とすれば、術を仕掛けた時点で既に内部に侵入していたのか・・・?
「おい十二天将、季春の術は効いてるのか!?この声はどこから聞こえる!?」
先ほどまで頼義と共に二人の御陵衛士の女武者を相手どって戦っていた十二神将の一人、貴人大将は桜と並んで植えられていた橘の大樹にもたれかかったまま驚愕の表情を浮かべて硬直していた。
その尋常ならざる様子を察した金平と頼義は残り乏しい気力を振り絞って再び満身創痍の姿で身構える。
ずぶり
今まで聞いたことの無いような奇妙で不快な音と共に貴人大将の顔が裂けた。その裂け目の内側から分け出でるように女のものと思しき指が姿を現した。頼義たちがその奇妙な光景に目を奪われている間も貴人大将の顔面はまるで蝉や蜥蜴が古い皮殻を破り捨てるように引き破られ、その内から血まみれの手が伸び、腕を見せ、ついには片口を通り越してそぼ濡れた長髪を振り乱した頭部が姿を現した。
「あれまあ、こんのよういけ好かん結界破ろうと思て手ェ伸ばしてみたら、これまたえらいけったいな所から出はりなしたなあもう。ま、いっちゃん魔力の高い所探そうと思たらそう言うこともあるわなあ」
貴人大将の体から完全に抜け出した白面童子がケラケラと笑う。脱ぎ捨てられた貴人大将の遺体は先ほどの季春同様、たちまち大量の呪符に戻って霧散した。
「白面、童子……!」
頼義がふらつく体を金平と支え合いながら今し方異様な魔術を駆使して結界内に侵入してきた鬼女を睨みつける。
「いややわあ、せっかくお迎えに来てあげたんにそないなお目々で見んといてえなあお姫さぁん。わざわざ主さまが御みずからお足を運んで下さったというんに」
「!?」
頼義の二の腕にゾワゾワと鳥肌が立つ。その感覚が逆に彼女を奮い立たせ、沈みかけた闘気を再び活気づけた。
「おーい、もしもーし?もう入っていいかなー?」
場にそぐわぬ間延びした声が暗闇の奥から響く。白面童子が「あいなぁ」と応えると、何かが千切れたようなバツンという音と共に周囲に張り巡らされていた虹色の光柱がかき消えた。
「うんうん、いかに陰陽師の強力な結界といえども、外から『入れて』と問いかけ、中から『いいよ』と返事をもらえればこのように容易く侵入れるわけだ。この辺りの作法は幾百年経っても変わらないもんだねえ」
妙に感心したように何度も頷きながら、酒呑童子はその端正な顔を綻ばせた。




