決戦・朱雀門砦 金平、別れを告げるの事(その二)
「お前か。くくく、いいぞ、お前でもかまわん。たっぷり味わってやる」
惟任上総介はそう言って太刀の刃に舌を這わせる。長い、青黒い舌だった。
その言葉の言い終わる最後の呼吸に合わせて惟任が金平に殺到する。常人ならば目も追いつかぬ速さの彼女の一撃を、金平は剣鉾の石突を返して弾き飛ばした。その勢いを借りてそのまま一回転して惟任の足元を薙ぐ。惟任はその場で小さく跳躍し紙一重で薙ぎ払いをかわすと、空中で回し蹴りを見舞う。金平はその蹴りをあえて避けず、前に進んで相手の足の付け根を狙って頭突きをかました。より遠心力の働かない内側の回転を止められた事により、蹴りの威力は減殺され十分な威力を発揮できず、逆に金平に空中で体当たりをされる格好となり、そのまま後ろへ吹き飛ばされた。
二度、三度とトンボを切って惟任が態勢を立て直す。立ち上がった時には太刀の切先はピタリと金平の方を向いていた。
「ふふ、相変わらず先の読めぬ無茶苦茶な剣よ。まるで熊か狒々でも相手にしているようだぞ」
「けっ、全部かわしといて何言ってやがる。あいにく俺の剣は貞景みたいなお綺麗な正統派じゃねえからな」
金平が縦斬りに叩きつける。が、剣先は惟任に届かず空振りした。勢いよく叩きつけられた屋根は激しく振動し、朱塗りに吹かれた屋根瓦がガチャガチャと音を立てて跳ね上がった。金平はその一枚を足で惟任に向かって蹴り飛ばした。正確に惟任の顔面に向かって飛んだ屋根瓦が視界を塞ぐ。その一瞬の隙をついて金平は剣鉾を胴に向けて突き立てる。しかし惟任は瓦にはまるで目もくれずにまたもや紙一重で突きをかわし、顔面にまともに瓦を受けながら水平に太刀を薙ぎ払った。顔面に当たって砕けた瓦の向こうから惟任の青く光る目がこちらを睨む。金平はためらわず剣鉾を手放して後ろへ反り返った。
屋根の庇ギリギリのところまで転げ落ちて、金平はかろうじて踏みとどまった。屋根の上段から惟任が見下ろす。
「勝つためならば手段を選ばぬその戦いっぷり。いいぞ、お前も所詮はこちら側に近い存在だからなあ。だがよく剣鉾を手放したものよ。無手になる不利を覚悟してでもあの時手を離していなかったらその首、今頃は宙を舞っていたろうに」
「……」
「ところで金平よ、あれは一体なんだ?なぜあのような者がこの世にいる?」
惟任は軒下を見下ろしながら金平に問うた。その視線の先には朝堂院の広場で御陵衛士二人を相手に堂々と剣を打ち合わせている頼義の姿があった。
「知るかよそんな事。俺が知ってるアイツは、泣き虫でいつも涙が出そうなくせに泣くまい泣くまいとやせ我慢して顔をクシャクシャにしてる、ただのガキんちょだ」
その言葉を聞いて、惟任がふと嬉しげな、それでいて少し悲しげな表情を見せた。
「そうか、お前にとってあの小娘はそういう女なのだな。まあいい、ならばあれの首を掻き切ってこの目で直に確かめる事にしよう」
惟任は無造作に屋根を降りてくる。
「行かせねえよ。テメエはここで死ね」
金平が仁王立ちで惟任の前に立ち塞がる。惟任はもはや金平の事には興味もないという風で
「去ね。無手のお前なんぞ殺しても楽しくもない。後でゆっくり殺してやるからそこで命乞いの支度でもしていろ」
「い・か・せ・ねえ!と言ってるだろうがあ!!」
金平はその場で大きく片足を上げると、それを勢いよく屋根に叩きつけた。屋根は再び激しく振動し、屋根瓦を踊らせる。金平は膝を降り、腰をかがめて前のめりになって構えた。
相撲の立会い始めの構えである。
「俺の家が何屋かぐらいは知ってるだろう。剣など遊びよ。この五体全てが俺の武器と知れ!!」
咆哮とともに金平が突撃する。太刀を持つ相手に対して拳で殴り、肘を立て、足で払う。それは文字通り全身を武器として使う洗練された格闘術だった。
惟任はその一撃一撃を冷静に防いでいく。太刀を手にしている分余裕をもって対処する惟任は合間合間に的確に返し太刀を入れていく。金平の前身は見る見るうちに切り刻まれ、無数の切り傷から血を噴き出させてひざまづいた。
「もう息切れか?なってないな、その程度で音をあげるとは情けない。もっとも最初のうちはなかなか悪くなかったぞ。こちらも冷や汗をかいたほどだ。だがもう十分だ。お前は私には届かない。死ね」
無限に続くかとさえ思われた金平の技の応酬もついに限界に達し、息が上がり動けなくなった金平に惟任は必殺の一撃を振り下ろした。
「うおおおおおおおお!!!」
金平が絶叫とともに手のひらを惟任に向けて左手を突き出した。その腕は惟任の剣をまともに受けて、中指と薬指の間を割いて肘元にまで深々と食い込んだ。
「なっ!?」
惟任が信じられぬという表情で金平を見る。金平は切り裂かれた左手で太刀の刃を握りしめ、残った右手で惟任の喉笛を掴んだ。
「や、やっと捕まえたぞコノヤロウ……いや女だから女郎か……へっ」
この状況でなおも憎まれ口を叩きながら、金平は右腕一本で惟任の首を締め上げる。惟任の足が屋根から離れ、完全に浮き上がった。
「がっ、きさ……ま……!」
ゴキゴキと音を立てて惟任の喉の骨が砕ける。惟任はなおも抵抗して両手で金平の右腕に爪を食い込ませる。爪は右腕に指の第一関節が埋まるほど深く食い込み、金平の肉を抉る。金平はそれでも右腕の力を緩める事なく、一歩、また一歩と屋根の端へ向かって進んでいく。
惟任は爪を立て、蹴りを入れ、金平の左腕に食い込んだ太刀を鋸のように押し引きを繰り返す。金平は気の狂うような激痛で頭の中が沸騰するような感覚に耐えながら、とうとう軒先にまで辿り着いた。
「ぐえ……おま……なに……を」
惟任の言葉には答えず、金平は惟任の身体ごと屋根から墜落した。そのまま地面に向かって二人して落ちていくその先には
惟任が斬り倒した桜の大樹の切り株がその鋭く尖った断面を天に向けていた。




