決戦・五条砦 卜部季春、本領を発揮するの事
闇夜の中、鬼の軍勢が太鼓の音と共に朱雀大路を進軍して行く。羅城門砦が陥落した後、生き残った渡辺党水軍の残存兵は抵抗を見せることもなく闇に紛れて退散した。鬼たちはさしたる邪魔も受けずに真っ直ぐに大通りを進むことができた。
平安京に遷都して二百年。栄華を誇った都も年を経るに連れて次第に衰えを見せ、「右京」と呼ばれた西側部分はこの頃にはすでに住む者もまばらで寂れて行く一方であったという。
儒学者である慶滋保胤が同年代に記した「池亭記」という書には
「予二十余年以来、東西ノ二京ヲ歴ク見ルニ、西京(右京)ハ人家漸クニ稀ラニシテ殆二幽墟二幾シ。人ハ去ルコト有リテ来ルコト無ク、屋ハ壊ルルコト有リテ造ルコト無シ」
と当時の様子を描いている。もっとも近年の発掘調査によれば慶滋の言うほど全くの廃墟であったというわけでもなく、衰退はしたとはいえそれでも家は建ち人も住んでいたものらしい。その住民たちも、鬼の襲来を恐れて逃げ出したのか、辺り一面は人の気配も無く、ただ鬼の行軍の足音だけが響いていた。
始めのうちは隊伍を組んで秩序だって行進していた鬼たちであったが、次第に辺りの民家や工匠場に残っていた食べ物や金品を漁り始め、七条を過ぎた頃にはただの略奪集団と化していた。
朱雀大路を一点に集中して兵を固めていた鬼の軍隊は、この時点で無秩序な獣の集団と変わらなくなっていた。
鬼の略奪部隊の先頭集団が六条大路を越え、坊門の小道を横切る辺りで最初の動きがあった。
それまで遮るもののなかった朱雀大路の大道に、突如として巨大な門扉が現れた。太い木杭で組まれたその門はまるで生きているかのようにひとりでに動き、鉄壁の防護柵となって朱雀大路を完全に封鎖してしまった。
「!……?……」
鬼たちは突然現れた遮蔽物に怒りながら爪を立て、引っ掻き齧りついたが、杉や樫の丸太でできた門はビクともしない。鬼たちは銘々叫び声や悪態をついて朱雀大路から東西の小道に流れて行った。
「坤二、庚申甲、太陰、死門開く。楊梅・壬生の辻!!」
闇の中で何者かが指示の檄を飛ばす。その声に呼応して左京の四辻の一つ、楊梅小路と壬生小路の合わさる辻に朱雀門を封じた動く門扉と同じものが現れ、朱雀大路へ戻る道を分断した。
「グワッ!?ギギガ……!?」
取り残された鬼たちは何が起こったのかすぐには判断できず、朱雀大路へ戻ろうと今できたばかりの門を叩いたり、さらに東へ進もうとさまよったりし始める。
「死門は開き、凶星は汝らに降り注いだ。殲滅せよ!!」
掛け声と共に一斉に矢が打ち放たれる。ある鬼はそのまま無抵抗に矢を受け、またある鬼はかわそうとした途端足を滑らせ矢をまともに頭に受け、さらに他のある鬼は屋根上に駆け上がろうとして庇に足を引っ掛け、そのまま落下した先にたまたまあった門の木杭に突き刺さって消滅した。
「かーかっかっかっ、これぞ軍師の究極陣地、『八門遁甲金鎖の陣』なり!一度『死門』に入ればその者はいかに抗おうとも『死』の運命より逃れられることは叶わぬ!」
どこからともなく響くその声は紛れもなく卜部季春のものだった。よく目を凝らすと、屋根の上の某所で浄玻璃鏡の薄ぼんやりとした光に照らされて季春のカワウソ然とした風貌が伺えた。
季春の浄玻璃鏡には何重もの円に囲まれた羅針盤のようなものが像として浮かび上がっている。その円盤の図は、季春が向きを変えたり傾けたりする度にクルクルと複雑な回転をして、その円盤の枠内に書かれた文字が様々な組み合わせに変化して行く。
「そうれ、各々がた、本番はこれからですぞ〜。よっく拙者や十二天将の声を聞いて指示通りに頼みますぞ〜。お次は樋口・堀川の辻!迷門がそこに開きますぞ〜」
今度はさっきまで閉ざされていた楊梅小路と壬生小路の門が引き戻され、逆にその北東に位置する樋口小路と堀川小路の交わる辻に門が現れ、その袋小路に流れ込んだ鬼たちはそのまま音もなく闇の中へ消え去ってしまった。
「迷門、それは果てしなく続く無限回廊の閉鎖空間でござる。入った者は死ぬまでその空間の檻から出られないでござるよ〜。うわ、よく考えたらそれ怖くね!?」
季春がゲラゲラと笑う。これこそ方術師たちの秘伝中の秘伝、奇門遁甲の「八陣の図」であった。三国時代、蜀の軍師である丞相諸葛亮孔明が夷陵の戦いにおいて呉の将軍陸遜の追撃をかわすために敷いた秘計、それを今季春たちは鬼を相手にやってのけていた。
六条大路を中心にした各所で、十二天将たちの指示する声がこだまする。その指示に従って辻という辻で門が閉じ、開き、また閉じてを繰り返し、その都度鬼たちは射殺され、惑わされ、消滅して行った。
この先にある五条大路はちょうど羅城門から大内裏へ至る道程の中間地点に当たる。この地を頼義は守りの砦とはせず、逆にここで鬼の軍を一掃するために打って出るための戦力を集中させた。よってこの五条砦には最も多くの人員と資材を割いた。その、鬼の軍を殲滅するための作戦を卜部季春と陰陽寮の十二天将が立案した。
彼らは、この碁盤の目状に道が配された平安京の地形を利用して、この地を巨大な奇門遁甲の布陣に作り変えた。格子状に配列した通りは大地の「気」を通すのに適しており、その「気の道」を塞いだり通したりとコントロールすることで相手にとって「凶」となる場を作り出し、そこへ鬼たちを誘い出すという陣形を組んだ。
そのためには各辻に設置した門を開閉するための手勢がいる。しかしそれまで兵士が担っていてはとうてい手が足りない。
そこに名乗りを上げたのが、この都に住居する「在地」の者たちだった。他に逃げる当てもなくこの都に残って鬼の襲来に震えていた彼らは、頼義のためになけなしの勇気を振り絞り、非戦闘員として力を貸してくれたのだ。
彼らは身を潜め、季春たちの合図に合わせて力一杯門を動かし、鬼たちの恐怖に耐えながら必死になって働いた。男も女も、老いも若きも、商人も僧侶も流浪人も、皆が一体となって京の都を守るために力を合わせた。
彼らの奮闘もあって、知恵持たぬ下級の鬼たちはもはや完全に恐慌状態に陥っていた。
「いいぞ、敵はもはや烏合の集よ、このまま殲滅いたすぞ!!」
季春の号令と共に矢が再び一斉に放たれた。その瞬間、季春の立っていた屋根が突然音を立てて崩壊し、季春は無言で地面に激突した。




