決戦・羅城門前 羅城門、炎上するの事
「負けてはおらぬだと?砦を守る兵はもうおらぬ、後続はまだまだ続くぞ。この状況においてまだ負け惜しみを言うか。所詮はヒトよ、多少は兵を動かす術を心得ているようだが、そのような賢しい小手先の戦術で我ら鬼の軍勢に立ち向かえると思うたか」
「ああ、それがそもそもの間違いだった。僕が敷いた戦術は所詮『ヒト』を相手にするためのものだ、鬼である貴様らにヒトの理など通じはすまい。そうだ、そうなんだ。だから……」
竹綱は茨木童子を睨みつける。
「こちらも鬼の思考で戦略を立てないとな」
竹綱のその言葉と同時に、突如堀から青い炎が立ち昇った。青い炎は一瞬だけ高く燃え上がり、すぐに静かになった。すると今度は紅蓮に輝く炎が堀のあちこちから燃え上がった。
「……!!これは!?」
茨木童子が物見台から堀を見下ろす。堀はあっという間に隅々まで高い炎に包まれ、まるで地獄の壁のように堀の内と外とを遮断した。
「お前らが堀を死体で埋めるだろうなんてことは想定済みだ。いやするさ、絶対する。お前らは『鬼』だからな。他人の死なぞに毛ほどの感情も抱くまい。だから、そいつを利用させてもらったよ」
「お前・・初めから女どもの死体も、仲間たちの死体も燃やすつもりで、あえて空堀にしていたと!?」
「堀の壁には滑って登ってこれないように鯨の脂が塗ってあった。鯨の脂は良く燃えるぜ。それに……人の脂もな!!」
炎の壁は尽きることなく囂々と燃え盛り、いささかも衰えを見せず堀の内への侵入を防いでいる。これではいかな鬼といえども簡単には羅城門を超えて洛中へ攻め入ることはかなうまい。
これが竹綱の最後の秘策だった。渡辺党の主な収入源は地方から輸入される米や塩、木綿といった基幹生産物の運搬だが、もう一つ大きな産業として「捕鯨」の管理があった。
四国沖で獲れる鯨は、肉はもとより皮、骨、ヒゲの一本に至るまで余すところなく素材として扱われる重要な資源だった。中でも体内に大量に蓄えられている脂肪は灯りの燃料や潤滑油として非常に珍重されていて、渡辺党の大きな収入源の一つといってもいいほどの大きな利益を上げていた。
竹綱はその鯨油をあらかじめ堀に流し、さらにはその鯨油の中でもさらに貴重な「鯨蝋」から精製される高純度の酒精までも惜しみなく発火促進剤として大量に使用し、この瞬間に備えていたのだ。
一度発火した鯨油は安定して燃え続け、次いで「盾の女」たちや百王丸たち突撃隊の死体をも燃料として、炎は延々と燃え続けていく。
「はははは、はははははは!!女子供、仲間の死体さえ道具として利用するか!やるじゃあないか坊や、ちょっとは骨があるようだな見直したぞ。ならば残りの蹂躙は我らだけで行うといたそう」
茨木の言葉に呼応するように、鬼たちが一斉に竹綱に襲い掛かった。
「若!!」
佐伯末永が叫ぶ。しかし竹綱は迫りくる鬼の襲撃を太刀の一閃で払いのけた。先頭の鬼が先の小鬼と同じように一太刀で粉砕され、炭の粉となっていく。それを見て他の鬼たちは甲高い悲鳴を上げて後ずさった。
竹綱の振るう太刀を見て茨木童子の口がきゅっと歪む。
「その太刀……ああそうかい、どうも懐かしい匂いがすると思って来てみりゃあ、そういうことか。なんのことはない、自分の血の匂いだったとはなあ!!」
左手で顔を覆って鬼の女は高笑いをする。
「するってえと、お前さんはアレかい?あの人の所縁の者か」
不意に茨木童子は鬼らしからぬ、懐かし気な、哀愁を帯びた表情になった。
「我が名は渡辺竹綱。貴様にはそれだけ言えば伝わろう」
茨木は口が耳元まで裂けるようににんまりと笑みを見せた。茨木童子にはその太刀に見覚えがあった。忘れるはずもない、かつて頼光四天王の一人、渡辺綱によって叩き斬られた腕、その太刀が今目の前にある。
「そうかい、あの人の息子ってわけかい。そりゃあ、ご挨拶しないわけにはいかないねえ。ものども手出し無用!」
鬼たちが一斉に引き下がる。二間半四方ほどの物見櫓の見張り台は、竹綱と茨木童子の二人だけの決戦の場となった。
「ふん、その太刀、アタシを斬って、その血と肉の味を覚えて『鬼切』となったか。皮肉なもんだねえ。確かにその太刀ならアタシを殺せる、いや、殺してくれるかもだねえ。ではその味、楽しませてもらおうか!」
茨木が鉤爪を振りかざす。竹綱は刃を合わせずに身をかわしてその一撃を避ける。茨木は息もつかずに二度、三度と鉤爪を振り回す。竹綱の方はいずれも太刀で受け止めることはせずに大きく身体を動かしながら逃げ回る。
「どうしたどうした!?刃も受けられぬ臆病者か、お前のお父上はもっと立派だったぞ!」
嘲笑いながら鉤爪を休むことなく振るい続ける。
(冗談言うなよ莫迦野郎、こんなのまともに受けたら死ぬっつーの!!)
竹綱は無様に床を這いつくばりながらも必死で鉤爪をかわす。周囲の鬼たちも竹綱の醜態を見てゲッゲッと汚らしい笑い声をあげる。それでも竹綱は懸命になって鬼の攻撃から逃げ回る。
「逃げることだけは達者だな、お前さんは鼠か?それとも羽虫の生まれ変わりかい?」
鬼たちがさらに笑う。
「あいにく、ものの距離を測ることだけは得意でね」
金平や貞景ほどには武芸の練達者ではない竹綱だが、自分でも言った通り「距離を測る感覚」には天性の才覚があった。その才能はもっぱら練兵や采配の時に効果を発揮したものだったが、今その才能は「逃げる」ことに特化して使われていた。
「甘い甘い、まるでなってないねえこの裏成り瓢箪が!!」
それまでかろうじて攻撃をかわしていた竹綱だったが、疲労困憊の果てに足をもつれさせ、その隙を突いて蹴り飛ばされ、四隅の柱にしたたかに打ち付けられた。
「情けなや、お父上どのはもっと正々堂々と立ち向かってこられたというに、このザマでは音に聞く渡辺党もお前の代で終わりよなあ」
「……ずいぶんと父上にご執心だなあ鬼よ」
荒い息を吐きながら竹綱が言う。茨木はうっとりとした目で竹綱を見下ろす。
「そりゃあそうさ。なんてったって綱様は、アタシの初めての男性だからねえ」
上気した顔を歪ませながら、茨木童子が艶やかに語った。




