頼義、不動将軍の名を拝受するの事(その一)
大内裏の内側、太政官府の一室にて、源頼義は左大臣藤原道長と向かい合っていた。ちょうど自ら道長の元へ赴き、左馬助及び衛士小隊長の役職を辞して父とともに任国の上野へ下る胸であることを願い出ようとしていた所に向こうから先に呼びつけられ、頼義も気勢を削がれた風になって、辞職願いの件についてなかなか切り出せないでいた。
久しぶりに見える左大臣の姿は、この数日で一気に二十は歳をとったような老け込みようだった。解れた鬢には急速に白髪が増え、顔色も血色無く幾重にも苦悩の皺が深く彫り込まれていた。無理もない、先日の応天門の惨劇以来、混乱を取りまとめる重臣は無く、騒乱を収める兵士もいない。大内裏の中央官庁はもはや機能不全に陥っていた。
その惨状は洛中、洛外の様子からも伺えた。貴族や重臣一党は早々に都から離れ、任国の国府や手持ちの領地にそれぞれ退散し、市中の民の間にも「丹波の鬼が攻めてくる」との噂は瞬く間に広がり、我先にと荷物を抱えて畿内の他地方へ逃散し、逃げる当てのない者は戸を固く閉め震えながらひたすら神仏に祈るばかりであった。頂点にいただく帝も伊勢に疎開したまま、都はもはや人も寄り付かぬ魔都に成り果てていた。
その喧騒を耳にしながら、頼義と道長は長い事お互いに話を切り出すこともなく黙り込んでいたが、やがて道長の方からゆっくりと口を開き始めた。
「頼光に、な……」
重々しく道長が叔父の名を出す。
「頼光に書状を送ってな。彼奴を追討使に任じようとしたのよ」
そう口にして道長はさらに重々しい顔つきになった。今現在美濃国受領として赴任している叔父頼光を再び酒呑童子討伐のための将軍に任命しようと図ったものらしい。しかしそれは道長にとっては諸刃の剣も同然という思いだった。
確かに頼光であるならば見事鬼の軍勢を退けることも出来よう。だが頼光はそのために何を犠牲にしようと厭わない。あの男は酒呑童子一人を討伐するために平安京の全てを焦土と化す事も平気でやってのけるだろう。頼光は道長にとって若い時分からの最も頼りにする盟友ではあるが、同時にその内面の読めなさ、不気味さは酒呑童子と比してもさほど変わりはないくらいだった。それでも、この窮状を打破するためには多少の犠牲を覚悟してでも頼光という「劇薬」を服するより他に選択肢はなかったのである。
「ところが、な。その返事がこれよ」
そう言って道長は頼義の膝元にポンと一通の書状を放り投げる。それを頼義はかしこまって拝読すると
「右御申出ノ儀、当方任国ニテノ諸事多忙ニツキ引受ケ能ワザル事御申上ゲ候者也」
と素っ気なく書かれていた。頼義が続く文面に目を遣ると
「斯クナル上ハ、弟上野介ガ嫡子頼義ヲ以テ其任ニ当テラルルガ宜キカト存ジ上ゲ申奉リ候」
とあった。
「……!?」
頼義は目を見開いた。叔父頼光は追討使、征討大将軍の任命を断ると同時に、その代わりとしてこの自分を推挙しているのだ!
「これが今日そなたを呼びつけた理由よ」
そう言って道長は大きなため息をついた。その心情はわからないでもない。最後の手段と頼みにしていた切り札にあっさりと断られ、しかもその代わりの者として推薦するのが成人したばかりの、しかも女人である自分であるなど、正気の沙汰とも思えぬ。当の本人ですら悪い冗談に聞こえる。
「だがな、頼光はどうも大真面目にそなたで十分と判じているものらしい。その証拠を持たせてあると言っておった」
「証拠?」
頼義には何の心当たりもない。そもそも叔父とはここ数年顔を合わせた事すらないのだ。
「そなたの差料、それを見ればわかるそうな」
「え、これですか?」
頼義は脇に置いた自分の太刀を見る。はて、ますますわけがわからない。この太刀は成人した折に父頼信から鉄扇とともに譲り受けた古刀だが、これに何の意味があるものか。
道長は差し出された太刀を手に取って鞘から抜き放ち、その刀身を眺めた。
「ふむ、二尺六寸といったところか。鎬造に庵棟、腰反り高く切先は小さめ。身幅は広いな……」
などとブツブツ言いながら鑑定を始める。立場上このような贈答品やら宝物やらを目にする機会が多いためか、意外にも目利きが様になっている。続いて道長は柄の目釘を器用に外して、中に納まっていた茎に注目した。
「釘目は一つか。や、これは……!!」
道長は茎に刻まれた銘の二文字を見て驚きの声を上げた。きょとんとする頼義に、その銘を見せる。そこには
安 綱
と簡素に刻まれていた。




