頼義、紅蓮隊を去るの事
二条通りの左京中程にある藤原道長別邸にてようやく愛娘と再開した平能登守直方は、無事に戻ったその姿を見て大いに泣いた。他の公卿たちとその姫君たちの陰惨たる結末を知る身としては、貴族の重臣が人目もはばからずに大泣きする姿もさもありなんという思いに至る。重ねて、直方は上の子を幼くして次々と亡くしており、この穂多流の君が唯一残された実子であるという。後継者という政治的な事情もあろうが、それ以上に人の親として我が子が無事に帰還したことはこの上ない喜びであったことだろう。
「誠に、誠に感謝申し上げまする。能登守、此度のご恩義生涯忘れませぬ、誠、まっこと……おおおお」
そう言ってまた直方は我が子を抱きしめて大泣きした。つられて季春も涙を見せる。金平は退屈そうにあくびを我慢するようにしながら顔を背ける。本当に退屈なのか季春同様もらい涙を流しているのかはうかがい知れない。
酒呑童子の邪眼に魅入られた頼義は未だ目も覚めることなく、別室にて寝かしつけられている。直方親子の無事な再会を見届けると、金平はすっくと立ち上がりズカズカと音を立てて頼義の眠る別室に向かって歩いて行った。
金平が乱暴に御簾を上げると、目覚めたばかりの頼義が半身を起こして虚ろな目で金平を見た。金平はその襟首を掴んで力まかせに抱き起こし、容赦なく殴りつけた。頼義の小さな身体は鞠のように吹き飛び、廊下の板の間の柱に叩きつけられた。
「きき、金平氏!?流石にそれは乱暴すぎ……」
金平の不穏な態度にその後を追ってきた季春が慌てて取りなそうとしたが、その言葉も聴き終わらぬうちに
「その目はなんだ!その面は、そのザマはなんだ!?それでも一軍の将か!!」
金平の怒声に、頼義は俯いたまま瞬きもせず目を見開いている。
「なにが鬼狩り紅蓮隊だ、あれだけ息巻いて格好つけて、いざ向かってみりゃああっさり敵の術中にハマりやがって、情けねえ」
金平のあまりの剣幕に、邸にいた女房や小姓たちが恐れをなして遠巻きに身を震わせている。季春はそうした連中に「すみませんすみません」と頭を下げながら必死に金平をなだめようとする。
「金平氏、あまり殿をお叱りめさるるな。今回の件に関しては不可抗力に過ぎる」
「なんだとお?」
金平にギロリと睨まれて季春も震え上がったが、それでも負けずに説明を続ける。
「酒呑童子のあの邪眼、『邪魅の瞳』はその瞳に映った女を無条件に征服下に置く、抵抗不可能の邪術でござる。いかな修行を積んだ徳者といえども女性であれば必ず術中に陥らせる、言わば『レジスト不可の魅了スキル』でござる。サイコロでゾロ目が出ても抵抗できない反則技でござるよ、あんなのルール違反だっつーの」
途中から金平にはよくわからない解説になったが、要は「女にだけ通じる、抵抗不可能な魔術」という事らしい。
「だから、決して頼義どのの落ち度ではないというか、なんですな……」
「それがどうした」
「は?」
「術がどうたら、邪眼がどうたらなんざ知ったこっちゃねえ。要は敵の大将と一対一で立ち向かって、コイツは遅れを取ったって事だろう」
「いやだから、わからんヤツだわねえアンタぁ!」
季春がまたおネエ口調になっている。
「お前は負けた。負けて敵の親玉に犬っころみてえに這いつくばって腹見せたって事だ、そうだろう」
頼義は何も反論できず、うつむいたまま唇を噛み締めている。
「おい、ガキんちょ」
金平はさらに容赦なく続ける。
「今度親父さんが上野に国帰りする時、お前も一緒に上野まで逃げろ」
「!?」
頼義が始めて顔を上げて金平を睨みつけた。
「私に、職務を捨てて逃げろと……?」
金平は無表情に答える。
「そうだ、お前がいたら足手まといだ。またぞろアイツに操られて後ろから寝首を掻かれちゃたまんねえ」
「金平氏、そのような言い方……!」
季春も流石に金平の物言いに腹を据えかねたのか、珍しく声を荒げて金平を咎めるが、金平は意にも介さない。
「俺の一族はな、遠い昔からアイツらみてえな鬼と、いやアイツと戦ってきた。大陸を渡り、この島国に来て土着の民となりながら時を越え場所を変え、何度も何度もアイツと血で血を洗う戦いを繰り広げて来た。それは俺の代でも変わらん、俺の代で必ずアイツを殺す、今度こそ何百年と続いた血みどろの歴史に決着をつけなくちゃならん」
「……」
「それを、お前に邪魔されたくねえ」
「それ、は……」
頼義が目に涙を浮かべて必死の形相で問う。
「わたし……が、女だから……ですか」
「……」
「私が、女だからという、ただそれだけの理由で……」
「……そうだ」
金平は部屋を後にした。そのすれ違いざま、金平はうつむいたままの頼義に
「国へ帰って、元のように普通の姫として普通に人生を送れ。俺たちの事は……もう忘れろ」
とだけ言った。
一人取り残された頼義は広い部屋の真ん中で、灯りもつけずに俯いていた。
「女だから、私が、女だから……」
ただその言葉だけを呪詛のように繰り返しながら頼義が思い浮かべていたのは、久しく会うことのなかった母親の姿だった。
「はは、うえ……私は、貴女のようには……」




