頼義、遭遇するの事
攫われた姫の父親である能登守平直方は、凶事が起こって以来任国へも所領のある相模国へも戻らず、道長の計らいで二条北にある道長の別宅の一室を間借りして娘の帰りを待ちわびていた。
すわ御陵衛士が姫たちを奪い返して帰参したとの一報を聞くや、欣喜雀躍して応天門前まで駆けつけたのだが、そこには愛娘の姿は無く、聞けばただ一人途中で逸れて行方がわからなくなってしまったという事で、それを聞いた時の直方の嘆きは激しく、かつその後応天門前で起こった凶事を聞きつけ、もはや娘は死んだものと京内唯一の寺院である東寺に籠り、その菩提を弔うため日がな読経三昧の日々を過ごしているという。
ひとまず季春が東寺に使者を送って直方に娘御のご無事をお知らせするとともに、頼義と金平の二人で姫君を二条北の別邸までお送りする事にした。
季春が「吻っ!」と護符に向かって印を唱えると、護符はひとりでにパタパタと折り曲がって行き、人の形をなしたかと思うと、その姿はたちまち前髪を切りそろえた童子へと変身し、季春から受け取った書状を受け取ると何も聞かずに真っ直ぐ二条通りに向かって走って行った。
まだ少し元気のなかった姫も、方術師の不思議な術を始めて目の当たりにして興味深げに目を輝かせた。そうこうしているうちに出発の用意ができたらしく、頼義が鞍を履かせた馬を引き連れて戻って来た。
「お待たせいたしました。馬には乗れますか?」
「あ、はい、大丈夫です。でも若殿様に轡を取らせるなど畏れ多い……」
「なに、姫君をお守りし付き従うのも武士のお役目。むしろかように可憐な姫君を護衛できるとあれば光栄の至りにござりまする」
そう言って莞爾と笑みを浮かべる頼義に、姫は真っ赤になった顔を慌てて袖の中に隠した。
「ああ、そう言えばまだお名前をお伺いしていなかった。これは失礼を」
「あの、えっと……『穂多流』と申します。あの、『稲穂の多く流れる』と書いて……秋の生まれで、その、父が稲穂の多く実り育つように健やかにと……」
「穂多流の君か、良くお似合いのお名だ。お父上は実に風雅なお人であられますな。では参りましょう」
そう言われて、穂多流の君はますます顔を赤くし、口元もしどろもどろになってしまった。
「むう、我が殿のなんという完璧なエスコートぶり。こりゃいずれは天然たらしのイケメンとして大いに名を馳せそうでござるなあ金平氏」
楽しげな季春の言葉に、金平はなんとも言えぬ表情で先行する二人を見遣った。
日が落ちる前にと早めに出立したものの、この季節らしからぬ急な冷え込みのせいか昼過ぎだというのに朝靄のような濃い霧が立ち込めていた。往来を行き交う人も互いに静かに馬を進めていた頼義たちだったが、大内裏を出て左京区のまだ開発中である広々とした草地を通る頃には自分の鼻先もわからぬほどに霧が濃くなっていた。
「なんでえこりゃ。俺も長い事都に住んでるがこんな霧見た事ねえぞ」
金平が毒づく。確かに頼義もこの都の生まれだが、今までこのような濃い霧を見た事は無かった。
「何か、良く無い事の先触れでしょうか……」
頼義がそう言うと、どこからともなく声が聞こえて来た。
「先触れとは呑気なことをお言いだねえ。これが良く無い事そのものだとは思わないのかえ?」
「!?その声は……!」
声を聞くや途端に頼義と金平は殺気を露わにして、馬上の姫を囲いつつ守るように背中を向かい合わせた。突然の急変に、それまでのんびりと物見遊山のような心地でいた穂多流の君も緊張に身を固くした。
「八幡さんに最後の封印があるよってに、そいつをぶち壊しとこ思て丹波からわざわざ来てみりゃ、石清水のお宮にはそんなもんどこにも見つからんかったわあ。社の人間どもブチ殺してもまだまだ腹立つさかいに土産がわりに道長はんの首でももらっとこ思て遊びに来たんやけんど、それより面白いもんに出会ったわあ」
唐衣をしどけなく着崩した白面童子がさも面白げと言った表情でこちらを見据えていた。
「あんさんたちならどこに隠してあるか知ってるかもしれへんなあ。なあ、教えてたも、うちらぁをいじめてる悪ぅい封印は何処にあるのん?」
「この霧は、貴様の仕業か白面童子」
頼義は白面の質問には答えず逆に聞き返した。
「あらあら、こちらが聞いてるのに質問で返すとは、まあ育ちの悪いお嬢ちゃまだこと。いかにも、一寸先も見通せぬ『五里霧』の術なり。後漢の道士張楷の編み出せし道家仙道の秘術よ。運気呼来中位合、五気朝元入太空ってね」
「道家仙道!?やはり貴様、異国より渡りし方術師か。『後漢書』に曰く、『張楷、性、道術を好み、能く五里霧を作る』とあるが……」
「よくご存知で。あんさんらぁ陰陽師どもが使てる方術のいくつかも、妾らぁが開発したモンよぅ」
季春の言葉に白面がケラケラと笑う。
「鬼狩り紅蓮隊のお歴々、中々に侮れないかもねぇ。確かに、惟任のお姉さまの忠告通りかしらぁ」
「!?貴様……!!」
惟任の名を出されて、頼義の怒りに火がついた。
「そうよう、人間なんていけ好かんけど、惟任ちゃんも御陵衛士のみんなも、もうすっかりこちらの下僕よぅ。犬みたいに這いつくばって、よう付き従ってくれはるわあ。御方様がお望みになれば尻の穴までむき出しにして差し出すわよぅ」
白面の挑発に、頼義は激昂を抑えきれず抜き打ちに白面童子を袈裟斬りにした。白面の姿は手応えなく搔き消え、また別の所にその姿が浮かび上がった。
「あらあら怖い怖い。あんまり怖いから妾、殺してしまおうかしらん」
白面の顔が邪悪な歓喜に染まる。細く長く伸びた牙をむき出しにして今にも襲いかからんと殺気をむき出しにしてこちらにぶつけてくる。
「だめだよう愛しい人。その娘は僕が遊ぶんだから」
今にも頼義に食ってかからんとする白面童子を宥めるようにそう言いながら、何者かが霧の向こうから姿を現した。




