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生き残りし姫君、凶事を語るの事(その一)

陰陽寮の端、少し奥まった広い部屋に薬師(くすし)場があった。陰陽師たちが祈祷や卜占(ぼくせん)を行う際に使用する薬剤などを調合したり保管したりするための場所であるが、それだけのためにしてはいささか規模が大きく、陳列されている薬箱にも「取扱注意」とか「不可(そしゅにて)触素手(ふれるべからず)」などと物騒な文言が記されていたり、果たして一体何をここで行なっているのか甚だ疑問ではあるが、とりあえず頼義はそれについては聞かないでおく事にした。


羽目板の上に急ごしらえの畳が上げられ、そこに敷かれた布団に、青白い顔をして臥せっている少女らしき姿があった。傍らには木綿の白衣を着た卜部季春が付き添っていた。



「おう、お越しになられたか頼義どの」



季春は頼義と金平の姿を認めると、例のカワウソのような顔を伸ばしてニンマリと微笑んだ。本人は優しげな笑顔につもりらしいが、口元のどじょう髭と相まってなんとも締まりのない面構えになっている。どうやら鴨川で発見された彼女を今までつきっきりで看病してくれていたものらしい。



「季春どの、その方が、例の?」


「左様。ようやく今落ち着いて寝入ったところでござる。詳しくは聞き取れませなんだが、どうやら(たいらの)能登守(のとのかみ)様のごし……ゴホン、ご息女でおられるようでござる」



能登守という名に頼義は聞き覚えがあった。確か宴席で最初に頼信親子に声をかけてきた、相模国鎌倉に所領を持つ方だったと聞いた。そういえば娘御と一緒に都へ登って来たというふうな話もしていた記憶がある。少女は年の頃は十ばかりであろうか、まだ多少顔色が悪いものの、取り立てて外傷も無く化粧も落とした素顔は眉毛も剃っておらず凛々しく、むしろ健康そうな印象さえ受ける。



「おいガキ、起きろ。聞きたいことがある」



そう言って金平は無造作に布団を引き剥がそうとした。それを見て吃驚(びっくり)した頼義と季春は同時に金平の頭をどついた。



「いてっ、何すんだお前ら!!」


「それはこっちのセリフです!!何やってるんですか女の子相手に!?」


「金平(うじ)、今の時代それやったらOUTでござるよ!!あちこちの団体から抗議のメールが殺到するでござるよ!!」


「何言ってんだお前、聞きてえ事があるんだから起こさなきゃしょうがねえだろ」


「だ・か・ら!もうちょっとデリカシーというものをわきまえやがれでござるよこの朴念仁(ぼくねんじん)!!」


「誰が朴念仁だテメこのやろ!?」



枕元でドタドタわやわやと騒ぎ立てる無法者たちのせいで、少女はせっかく寝入ったところを再び叩き起こされ、苦しげにうっすらと目を開けた。



「静かに……!静かにしなさいってばこのうすらデカちん!!」


「だからデカちんってなんだよお前なあ!」



まだ騒ぎ立てようとする金平に頼義は人生最大級の気迫でもって睨みつけた。流石に金平も気配を察してそれ以上騒ぐ事なく口をつぐんだ。


少女はぼうっとしたまま、周囲で騒がしくしている大人たちを見回した。



「騒ぎ立ててしまってごめんなさい、ここはもう安全です。お気を楽に。あなたは能登守平直方様のご息女で相違ありませんか?」



そう言われて、少女はようやく少し意識がはっきりしてきたようで



「はい。ボク、私は……はい、そうです、鎌倉の屋敷から父に連れられてやって来ました。直方の娘……です」


「おい、自己紹介はいいから何があったのか早く言えコラ」



金平に凄まれて、能登守の娘は「ひっ」と言って反射的に布団の中に潜ってしまった。頼義は金平を懐から出した鉄扇でどついて



「大丈夫よ、焦らず、ゆっくりと思い出して、落ち着いたら少しずつお話ししてください。あなたが、鬼たちに(さら)われてから、鴨川まで逃げ果せるまで、何があったのかを」



頼義に鉄扇で鼻っ柱を引っ叩かれた金平はなおも何かを叫ぼうと口をパクパクとしていたが、それを季春に後ろから取り押さえられて無理やり大人しくさせられていた。


初めは怯えて布団にこもってしまっていた姫も、頼義の優しい態度と言葉にようやく心を落ち着かせたようで、布団から目元が見えるぐらいまで顔を出し、あまり思い出したくない様子で、当時の様子をポツリポツリと話し始めた。



「その……良く覚えていないのですが、攫われてからはずっとどこかの牢屋の中に閉じ込められていて……みんな長い事泣いていたんです。そうしたら、男の人が来て……」


「男が来て、それで?」


「みんな、その男の人に助けてくれって叫んでお願いしていたの。狂ったように。もちろん私も同じように。男の人は初めは困ったように一人一人にお話ししていたんですけど、そのうちその男の人がゆっくり後ろに下がって、土牢の中の私たちをじいっと見つめたんです。そうしたら、みんな急に何も言わなくなって、その後声を合わせて『御方様、全ては御方様の御心のままに』って叫び出したんです」



「!?」



姫の言葉に、三人は驚きのあまり声を飲んだ。それは、一体何を意味するのか……?



「私……その時たぶん前の人の影に隠れてて、男の人の目をよく見えなかったから何が起こったのかよくわからなかったんだけど、みんなが一斉にその男の人に向かって平伏しだしたので、みんなに合わせて私も平伏していたの。そうしたらその男の人が一人一人に『私のために事を成せ。私のために父を刺せ。私のために夫を刺せ』って言いながら、小さな刀を渡していったんです。みんなはそれを受け取りながら『はい、全ては御方様の御心のままに』って言いながら受け取って、その刀を宝物のように大事そうにして頬ずりなんかしてる人もいて、それまであんなに怖がって泣いていたのに、急にみんなその男の人がご主人様であるみたいにかしこまっちゃって。私、怖くなって……みんなの真似をして同じように刀を受け取って、目立たないように隅っこに逃げ込んだの。そうしたら、出口の方から別の女の人が来て『(ぬし)さま、朝廷の追討使(ついとうし)のお方が来はりましたえ』って言いに来て、その追討使の頭目が女の人だって言って、例の男の人と二人で笑い合ってたの」



頼義は「追討使」と聞いて、惟任上総介の後ろ姿が頭をよぎった。



「そして、たぶん、次の朝だったと、思う。私たち、外に出されて、『都へ返す』って言われたの。そうしたら、鎧を着た女の人たちが馬に乗って、私たちを都まで送る、その後そなたらはなすべき事を成せって言って。どの人もみんな鎧が付いたばかりの血で濡れていて……」


「ふむ、その時にはもう惟任どのは()()()、か。なんという事だ……」



季春が何やら独り言を繰り返す。何か思い当たる節があるようだ。



「私、すぐにわかったの。ああ、()()()()()()()()()。この鎧の人たちも、あの男の人の目を『見た』んだって……」



少女は、その時の光景を思い出したのか、恐怖で瞳を潤ませ、再び布団の中に頭を隠してしまった。

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