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道長憔悴し、頼義懊悩するの事

太政官府(だいじょうかんふ)、普段は政務を執り行う庁舎の中、左大臣藤原道長は未だ昨夜起こった虐殺劇の衝撃から立ち戻ることができずにただただ呆然としていた。


なぜ(さら)われた姫君たちは突然愛する家族や夫を殺すという凶行に及んだのか、下手人たる姫たちもその場で皆易々と自害してしまったため、真相は全くわからない。


此度の惨劇によって朝廷、と言うか道長政権の受けた痛手は大きかった。中務(なかつかさ)卿、兵部卿、左兵衛長官など中央官庁の長官や、大和守、信濃守などの国府長官が数名、皆ことごとく一晩のうちに死亡してしまった。閣僚級の部下を一時に一斉に失い、もはや事態は道長政権の危機どころか朝廷の存続さえ危ぶまれるほどの大打撃となってしまっている。ここから省庁人事を再編成し、再び国体を平穏無事に戻すまでにかかる時間と損失は計り知れぬものがある。


しかも、その手立てが遅れれば遅れるほど地方行政の統制は行き届かなくなり、東北や九州の「まつろわぬ民」を抑えきれずに再び承平・天慶の大乱の時代に逆戻りしてしまう恐れがある。さらに兵庫寮襲撃により軍備の大半を消失してしまった現在、大江山に向かって討伐軍を派遣するどころか、都を守る事でせいいっぱいなまでに朝廷の軍事力は低下してしまっている。ここまで順調に出世街道を歩んできた藤原道長は、ここに来て人生最大の危機を迎えて頭を抱えていた。


源頼義もまた、右京区に位置する本宅で座しながら昨夜の出来事を振り返って懊悩(おうのう)していた。


惟任(これとう)上総介(かずさのすけ)、謀叛」


頼義にはこの事が事実として到底受け入れられないでいた。金平は御陵(ごりょう)衛士(えじ)隊の巴紋に託した「決して裏返る事無き忠節」を語った。その彼女らがなぜこうもあっさりと帝を裏切って反旗を振りかざす?


兵部省の生き残りから聞いた証言によると、姫たちを大内裏まで護送した上総介らはその足で兵部省の役宅へ赴き、長官へ事後報告をするという名目で兵部卿に面会し、その場で何も言わずにいきなりその首を斬り飛ばしたという。突然の凶行に周囲の人間が慌てて取り押さえようとしたものの、彼らも他の御陵衛士たちの手によって次々と斬り殺され、庁内にいた上級職員のほとんどが彼女らによって瞬く間に皆殺しにされた。


上総介たちはそのまま大内裏の北面に接する兵庫寮を襲撃し、そこでも容赦のない殺戮行為を繰り返した後、土蔵に火を放ってそのまま行方をくらましてしまった。その事実を耳にしても、頼義にはその襲撃犯と彼女とを結びつけられないでいた。頼義が惟任上総介と会ったのはたった二回だけである。それだけで彼女の内面の全てを見知っていると語るには到底及ぶまい。しかしそれでも、そのわずかな時間の中で垣間見た上総介の高潔さ、清廉さは疑いようもなかった。



「あるいは、上総どのたちに化けた偽物……?」



頼義はその可能性を捨てきれないでいた。仮にも敵は変幻自在の魔性の者どもである。ましてや敵方には白面童子という、人をたぶらかすのに長けた方術、仙術の達人がいる。しかし、朱雀大路でわずかに見遣った馬上の姿は紛れもなく惟任上総介本人であったように見受けられる。


もう一つ、ありえそうな可能性に頼義は思い当たったが、なぜか頼義はその可能性についてはあえて()()()()()にした。


その日の夕刻になって、邸宅に坂田金平が訪ねて来た。金平は頼義に会うや有無を言わさず連れ出してどこかへ向かおうとしていた。



「金平どの、どこへ行こうというのです?」



金平は答えない。



「また私を笑いに来たのですか?お前がついていながらなんてザマだと。私だって、私だって……!」


「いや、肝心な時についていてやれなかった。すまねえ」



突然発せられたいつもの金平らしからぬ素直な言葉に、逆に頼義は言葉を詰まらせた。



「まだ連中が都を襲撃する頃合いとは思っていなかった。俺の油断だ」


「い、いえ、その……」



頼義はなんと言っていいのかわからなくなって口をモゴモゴとさせた。辛辣に胸を刺すような悪態を吐くかと思えば、一転してこのような人を気遣った言葉を投げかけたりもする。頼義にはいつまでたってもこの大男がただの粗暴な野蛮人なのか、心根の深い情人であるのか、その距離感を掴めないでいた。



「惟任の事は、わからん。俺もにわかには信じがたい。少なくとも俺の知っている玉櫛(たまぐし)の姐御……惟任上総介という女は簡単に人を裏切るような人間じゃねえ」



まっすぐに前を見つめながら金平は無表情に語る。自分とは違い、金平は彼女とは幼少の頃から付き合いの深い幼馴染だ。その彼から見てもやはり上総たちの今回の凶行は信じがたいもののようだった。



「はい、私もそう思います。だから何としても事の真偽を……」


「生き残りがいた」


「は?」



金平が唐突に話題を変えたので頼義は思わず間抜けな返事をしてしまった。やはりコイツとはどうにも会話が成り立たない。



「攫われた姫君たちの中にな、一人群れから離れて逃げ出した娘がいたらしい。先程鴨川の川辺で倒れていたところを発見されて、今陰陽寮(おんみょうりょう)で介抱を受けている」


「生存者が!?」


「おう、だからそいつを取っ捕まえてこれから尋問する。手段は選ばん」



金平は無造作に物騒なことを言い放った。

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