頼義、宴に招かれるの事(その二)
平安京は中央を通る朱雀大路を境に「右京」と「左京」に大別される。元は右京区の方が開発が盛んであったが、時代が下るにつれて次第に発展の場は左京区の方へと移りつつあり、今では左京区の方が多くの賑わいを見せている。
その左京区もさらに東西を走る二条通りを境に南北ではまた違う色合いを見せ、左京区の二条通りより北側には摂関家や朝廷の重職たちの邸宅が多く点在する、いわば「高級住宅街」の様相を呈していた。
そんな左京区の東端に、左大臣藤原道長の別邸である「土御門第」があった。かつては先の右大臣である源重信卿の所有物であったものを、義理の甥にあたる道長が譲り受け、十年近い改築工事の末、このたびめでたく完成と相成り、今日はそのためのお披露目と祝いの席が設けられていた。
邸宅の門前には、主人である道長に挨拶を済ませるべく、招待客がすでに長蛇の列をなし、その最後尾は門を抜け遠く土御門大路と東京極大路の辻を越えるほどの長さになっていた。
その列の中に混じって、順番待ちをしている源頼信、頼義親子の姿があった。着慣れぬ衣冠束帯の正装を窮屈に感じながら、頼義はいつ自分たちの番が回って来るやもしれぬ長い待ち時間に欠伸を噛み殺して待機していた。
夏の暑い日差しが並ぶ人々にジリジリと照りつける。頼義は父から譲り受けた鉄扇を広げてあおいだ。扇幅も広く、鋳鉄で組まれた鉄扇は重く、頼義の手には少々手に余る。結局あおいでいる方が余計に汗をかくと気づき、頼義は再び鉄扇を懐にしまいこんだ。
「しかし、なぜこのような時期にこんな催し物など……隣国の丹波では今でも鬼どもが我が物顔で幅を効かせていると言うのに」
という頼義のつぶやきに
「頼義、控えよ。往来であるぞ」と父親は静かにたしなめた。
「しかし父上、このような『大饗の宴』であれば、通常は正月に行うものか、せいぜい大臣就任の折に『任大臣大饗』として執り行われるものでございましょう」
頼義の言う「大饗」とは、この時代に貴族たちが主催する大規模な宴会を指す。「正月大饗」と言えば、朝廷の重職に就く者が毎年正月に行う饗宴であり、半ば宮中の恒例行事と化していて、その日取りも例えば左大臣ならば毎年正月の四日など、実施される日時なども細かく決まっていた。
また「任大臣大饗」と言って、太政大臣などの高級官職に初めて就任する場合にも皇族や各省庁の長などを招待してその就任を祝うと同時にお互いの面識を深め合う意味合いでこのような宴が開催されるものだった。
今回の「大饗」の宴は、そう言った半公式の儀式ではなく、道長の新居落成のお祝いという私的な催し物であった。加えて、道長の長子である「田鶴の君」がめでたく元服し、「藤原頼通」という名を賜り侍従から右近衛少将に任命されたことのお祝いと後継者頼通の初お目見えも兼ねていた。政治的な含みで言えば、跡取りである頼通を諸侯に引き合わせることで後々のコネクションを作ることこそが本日の主だった目的であろう。
「帝こそ伊勢ご行幸のためにご不在ではあるが、皇族より下られ『源氏』の姓を賜った『一世源氏』の方々もお見えになられる。お前も家督を継ぐ気であるのならば隅々にまで挨拶を宜しくし、将来のおつきあいのために確と顔を売っておくが良い」
父にそう言われて頼義はげんなりした。確かに家督を継ぐということはこういった付き合いなども大事な仕事の一つになる。それは後々の出世にも、引いてはお家の繁栄にもかかってくることなのだ。武門の長といえども貴族や政治家の真似事までせねばならない立場に、頼義は改めて一家を背負うということの意味と重さを実感した。
いよいよ頼義たちの順番も近づいてきて、本殿の門前で来客を出迎える左大臣道長と長子の田鶴の君改め藤原頼通卿の姿が見えた。
頼通は齢十二の、まだまだ少年の面影の強い身であったが、日頃の英才教育の賜物か次々と来る来客の挨拶にそつなくしっかりとした受け答えで応じている。その顔にはすでにいささか疲労の色も見えたが、なかなかどうして立派な晴れ姿であった。
ようやく頼義たちの挨拶の段となり、頼義は嫡子頼通と顔を合わせた。
「あっ、すゞ子お姉ちゃん」
頼義の顔を見るなり、頼通は藤原摂関家跡取りとしての顔を忘れ、年相応の少年の顔をして喜びの声を上げた。その表情を見て、頼義もまた複雑な思いでかすかな笑いを見せた。
父頼信が道長の古くからの側近であった関係で、道長家とは幼少の頃より家族ぐるみでの付き合いが深かった。頼通もまた親戚の子も同然に、幼少の頃より良く見知った仲であった。女子である身を捨て、頼信の後継者として武門に身を立てている現在の自分の姿を目の当たりにしても、頼通にとっては大好きな「お姉ちゃん」であることに変わりはないらしい。そのことが嬉しくもあり、その反面とうに捨ててしまった「何か」を思い起こさせるようで、頼義はその複雑な思いのため即座に声を出すことができなかった。
「これ頼通、源氏のご惣領どのに向かって失礼であるぞ」
道長は頼通を叱るが、その顔は左大臣としてではなく、父親としてのそれであるように見える。道長にとっても今日の頼通の晴れ姿は親として誇らしく感じるものであるらしい。
頼通は慌てて
「し、失礼しました。上野介どの、及び左馬助どのにおかれましては久しくご挨拶もかなわずに失礼つかまつりました。本日当宅へおいでの儀、まことに恐悦至極にござりまする」
「頼通様、此度のご元服の儀、並びに右近少将ご就任、祝着至極に存じまする。この頼義、これよりもなお一層、摂関家ご繁栄のために微力ながら尽力いたします」
「もったいなきお言葉、恐れ入ります。どうか今日はごゆるりとおくつろぎくださいませ」
父が左大臣どのと形式通りの挨拶を済ませている横で、親たちになぞるように堅苦しい挨拶を交わして、頼義はその座を辞した。その去り際に、頼通は耳元で
「後でまた一緒に双六やろうね、お姉ちゃん」
と小さく囁き、驚き振り返る頼義に茶目っ気たっぷりに片目をつむった。その姿を見て、頼義はこの少年の天性の「人たらし」ぶりに、つい微笑んでしまった。




