頼義、宴に招かれるの事(その一)
京に戻った紅蓮隊一行は、形式通り検非違使庁で事の次第を尋問されただけで無事に釈放された。もう少しゴタゴタするものと覚悟していたところが意外にあっさりと事が済んでしまったので、一行はいささか拍子抜けな思いがした。
聞くところによると、すでに衛門府以下各省庁には惟任上総介の書状を通して左大臣より通達が行き渡っており、焼失現場の検分のための一団が組織され、摂津に向かっているという。昨日の今日でこれだけの手筈を整えている上総介の手腕に頼義は舌を巻いた。と同時に、やはり事前にこうなる事を予見して事前に手を打っていたであろう事が推察され、そこまで手間をかけさせてしまった己の未熟さに歯噛みした。
一行はひとまず詰所がわりに間借りしている陰陽寮の一画に立ち戻り、今後の紅蓮隊の行動方針について協議した。
頼義と金平は一刻も早く丹波へ攻め入る事を主張したが、会議の場は慎重論に押されていた。先だって派兵された追討使の一軍はわずかばかりの生存者を残してほぼ全滅したという。しかも、その数少ない帰還兵の様子があまりにもただ事ではなかったため、兵部省においてもいささかの動揺が見られていた。
「なんでも、な」
話を聞いてきた季春が神妙な顔で報告する。
「うわ言のように『女が、女が』と繰り返すばかりなのだそうな。まるで気が狂っておる様子だと」
「女ァ?女が何だっていうんだよ?」
「他の生き残りに聞いてみるとな、驚け、敵の部隊は全員『女』だったのだそうな」
「はあ?」
全員が小首をかしげた。
「左様、『女が襲ってくる。恐ろしい、恐ろしい』とな。結局、その男も発狂してござったよ」
「鬼が相手ではなく、女が相手だっていうのか?なんだか薄気味悪いな。あの白面って鬼女の幻術とかなんじゃないのか?」
竹綱の意見に季春もうなずく。
「その可能性もありましょうなあ。なにせ敵は変幻自在の外法者ばかり、どのような奇策奇術を擁してくるかわかったものではありませぬからなあ」
「ともあれ、相手の動向も分からぬままむやみに突撃するのも無謀というものよ。殿、焦る気持ちも察しまするが、ここはひとつ辛抱のほどを」
貞景の進言に頼義は仕方なく首肯する。貞景は最近は頼義のことを上司と認めてくれているようで、丁寧に上位の者としての礼を尽くしてくれている。ただし、相変わらず頼義から一番遠いところで逃げるように距離を置いているので、両者の会話は何とも妙な間合いでのやり取りになっている。こればかりは原因たる大元を作った惟任に恨み節の一つも言いたくなった。
「軍団を揃えよう。流石にここから先は僕ら少数でできることは限られてきてしまう。僕らも鬼の軍勢に対抗できるだけの手勢を集めないと」
竹綱の提案にほぼ全員が賛同した。しかし
「とは言ってもどこで兵隊を集めてくるんだ?そもそも私軍の編成は禁じられてるぜ」
金平の意見に竹綱はニヤリと笑みを見せる。
「そこだよ。と、いうわけで僕はもう一度摂津に戻ることにするよ。もともと住吉大社に向かう際にその手筈も整えるつもりだったんだ。あんなことになってしまったから渡辺津まで寄れなかったけど」
「ああ、そういうことか。いよいよ『海賊』の本領発揮ってとこかい」
金平の相槌に竹綱は少しだけ色をなした
「『渡辺党』は海賊じゃない、武装集団ではあるけれどもむやみに商船や遣唐使船を襲うような真似はしないぞ!まあそりゃあ、海の安全を守るためにちょびーっとだけ『通行料』を頂戴することはあるけど」
「やっぱり海賊じゃねえか」
「だからちがうって!」
「金平どの、お控えください、もう。竹綱どの、その『渡辺党』というのは、もしやお父上様の……」
「そう。親父が取り仕切る海運通商集団さ。一声かければ淀川の船渡しから瀬戸内一帯の海ぞ……もとい武士団まで万の大軍を招集できる。親父に借りを作る形になるのは癪だけど、ここは一つうまいこと引っ張ってきてみせるさ」
竹綱はちょっとだけ胸を張ってそう言った。渡辺氏は竹綱の父である嵯峨源氏の棟梁である源綱が一代で築いた新興勢力であるが、その土台となっているのが淀川の河口に位置する渡辺津から瀬戸内海を経て九州に至るまでの海路を一手に取り仕切る海運事業である。
その勢力を支えているのは各地に散らばる土着の豪族たちで、彼らはその土地で独自に海運業を行いながら渡辺氏を中心としたネットワークを通じて「渡辺党」という巨大な海商組織を形成している。
今では瀬戸内ばかりでなく、九州や東国、果ては遠く唐の国にまで足を伸ばして海運、通商、海岸線の防衛といった諸事業を展開する一大勢力にまで成長している。その大軍団を竹綱は動かそうと言うのだ。
「まああの親父のことだから『ハイそうですか』と素直に力を貸してくれるとも思えないけど、何とかやってみるよ」
「と、なると、その手配がつき次第の進軍ってことになるな。じゃあ俺も俺の方で伝手を当たってみるわ。力を持て余してる相撲取りの百人ばかし集めてみりゃあ、それなりの軍勢になるかもしれんしよ」
普段はまるでやる気を見せない金平が珍しく建設的な意見を言ったので、一同が驚愕の眼差しで金平の方を向いた。
「なんだよ、俺が仕事すんのがそんなに珍しいかコラ」
「珍しい」
「珍しいよなあ」
「っていうか初めて見ました金平氏が真面目に仕事の話するの」
全員に大真面目に答えられて、金平はまたいつものように頬を膨らませて顎をしゃくらせた。「相撲司」という役職に就いていた父金時の縁どころから力士をスカウトしようということか。
「ではそれまでに拙者はここでできうる限りの情報を集めておきますぞ。後方支援に情報網の確立は欠かせませんからな」
「俺は竹綱について行こう、何か手伝うこともあるだろう」
言うなり貞景と竹綱はすっくと立ち上がり、早速摂津行きの準備を始める。頼義は自分も同道すると申し出ようとしたが、その時
「御免、上野介頼信様よりご子息頼義様へのお言付けを承っております」
という陰陽寮の使部の声が聞こえた。
「父上から、ですか?」
そう頼義が答えると
「左様でございます。先程お使者の方が参られて、共だって屋敷に帰参いたすようにとのことです」
「はあ、ご用の向きは伺っておりますか」
「さあ、なんでも『宴に行く』と申されておるご様子で」
「はあ?」
父の突然の言い出しに頼義は首を傾げた。




