惟任、紅蓮隊を鍛えるの事(その一)
惟任上総介の稽古は苛烈を極めた。平地の走り込みに始まって坂道を全力での登り下り、淀川の支流で水練、徒手での組み打ちから仕上げに得物を手にしての実践稽古。惟任一人に対して代わる代わる襲いかかっても、互角に渡り合えるのは貞景一人だけだった。五人とも見る見るうちに青痣や擦り傷だらけになり、汗と泥にまみれた身体を井戸水で洗い流してはすぐさま次の鍛錬に臨むという繰り返しで、始めのうちは悪態や戯言を口にしていた金平たちも、終わり頃には一言も発せなくなるほどだった。
まず最初に頼義が脱落した。次いで季春がいつの間にか姿をくらまし、竹綱が気を失った後、最後まで粘った金平と貞景がついに音を上げた頃にはすでに夕陽が難波津の沖に沈みかけていた。
「鈍っておるな、だらしのない。そのようなザマで鬼たちに立ち向かえるか未熟者どもめが」
惟任に罵倒されても五人は何も言い返せない。実際惟任も彼らと同じ鍛錬をこなしているのに、汗こそかいているもののその呼吸はほとんど乱れることもなく平静そのものだった。
頼義は生まれて初めて運動のしすぎで嘔吐した。昨日住吉で凄惨な遺骸の群れを目撃して吐いたのに続いて二日続けての醜態だった。すっかり恥じ入って自己嫌悪に陥っている頼義をみて惟任は快活に笑った。
「なに、その若さで大したものよ、我が隊に来てくれればさぞかし鍛えがいがあろう。どうだ頼義殿、お前にその気があるなら歓迎いたすぞ」
頼義のことをいたく気に入ったらしく、すっかり砕けた口調になって上総が勧誘する。その向こうで金平たちが彼女に見えない位置から「やめとけやめとけ」という仕草を一斉にする。地べたに這いつくばりながら見上げる惟任の姿は、頼義には眩しく映った。女の身でありながら、この人はそれを言い訳にすることもなく己を厳しく律し、男子と変わらぬ働きができることを身をもって示している。自分も彼女のようにいつかはなれるのだろうか、頼義には彼女が途轍もなく遠い頂に立つ、手の届かない存在に見えた。
「ふむ、夕餉までにはまだ間があるな。国庁の方が気を利かせてくれて湯を炊いてくれたそうだ。頼義殿、一緒にどうだ?」
上総が頼義を湯浴みに誘う。汗と泥と血潮でベタベタになった身としては湯は大歓迎だった。しかし……
「遠慮するな。一刻も早く京へ戻り次善の策を講じたいと逸るのはわかる。が、なに都とて無防備なわけではない。近衛隊もおるし滝口の武者どもも健在だ。それに封印も最後の一つがまだ残っているうちは鬼どもも今すぐには手を出すまい。ここは腰を落ち着けてしっかりと体勢を立て直せ」
そう諭されても気安く「ハイそうですか」という気分にもなれずまごまごしている頼義を気にも止めず彼女の手を引いて惟任はずんずんと歩みを進めながら
「我らは湯浴みに向かう。供をせい」
と、当たり前のように金平たちを顎で使う。金平たちも泥だらけだが、最早反抗する気力もなく唯々として命令に従った。
この時代にも温泉は各所にあり、湯に浸かる楽しみを当時の人々も満喫していたものだが、湯元のない都市部ではそのような贅沢は味わえない。そのため都や集落などでは小さな小屋に湯桶を置き、部屋の中を蒸気で満たしたいわゆる「蒸し風呂」のような形態が定着していた。上総と頼義は衣を湯浴み用の麻の帷子に着替えて湯気の充満した屋内へ入って足を伸ばした。
「しっかりと湯を沸かせよ。それと覗いたら殺す」
「覗かねえよ!!」
惟任の言葉に金平が大声で叫び返す。金平と貞景が湯桶から冷めた焼け石を取り出し、別に用意した焼け石を代わりに湯の中に放り込む。湯面は激しく泡立ち、新しい湯気を小屋の中に生み出した。冷めた石はそばで焚き火をしている竹綱と季春の手で再び温められていく。その作業を四人は頼義たちが目に映らぬような体勢で延々と繰り返す。
「なんの修行だよコレ。ババアの裸なんぞ誰も見ねえっつーの」
石を抱えながらブツクサ言う金平の頭に上総が湯の中の焼け石を全力で投げつけた。
「いてーっ、あちーっ!!何しやがんだババア!!」
「覗くな」
振り向いた金平の顔面にまた焼け石が命中した。容赦がない。普通死ぬ。
「ははははは」
上総が笑いながら余った焼け石を湯に放り込む。
「随分と親しくしておられるのですね、金平どのたちと」
頼義が微笑ましく言う。傍から見ているとまるで姉弟のような近しさだ。その距離感に頼義は同時にちょっとした嫉妬を覚えた。
「まあな。お互い幼少の頃よりの腐れ縁だ。私は半ばあやつのお父上であられる坂田金時様に育てられたようなものだったからな。他の三人もそうだが、金平は特に、まあ弟のようなもんだ。可愛くもないがな」
そう言って彼女は笑い、自らの出自を語りだした。




