頼義、摂津にて再び鬼に相見えるの事(その六)
「は、白面、貴様あ……」
「白面」と呼ばれた女の放った凶器はスルスルと形を変え一連の紙片となり、舞い上がるようにして再び彼女の手元に戻った。手元に並べられたそれは見知らぬ真言の刻まれた呪符へと化身していた。
「おお、唐国の道家仙道か、面妖な」
卜部季春が呻くと、白面と呼ばれた女は再び鈴のように笑い、そして
「薔薇、いつまでも遊んどらんと、早よ戻りいやあ。もう御用は済んだやさかいに、あんじょう良う大江山に帰るわえ」
「ふん……では熊野の方も首尾よくいったということか」
あれだけ串刺しにされて苦悶の表情を浮かべていたはずの薔薇童子が、何事もなかったかのようにけろりとして立ち上がった。服は白面の呪符による攻撃の巻き添えを食らって穴だらけだが、体の方はすでに傷もふさがり半ば癒えようとしていた。
「いやいやさすがに畿内随一の聖域、入るのにも骨が折れたわあ、焼き尽くすまではできなんだぁけんど、なんとか『門』だけは破ってきましたわえ。まあそっから後山法師やら天狗やらがしつこく追っかけてきてなあ、ほっといてくれたら何もせんのに、余計なちょっかいかけてくるから結局一人一人しらみつぶしに殺してかなあかんかったわぁ」
世間話でもするかのような気軽さで殺戮の顛末を語る白面の様子に、頼義は再び背筋を凍らせた。
「白面と申したな、その方」
それでも恐怖をねじ伏せて、精一杯の蛮勇を奮い立てて頼義は問うた。
「いかにも。妾は大江山一党左翼大将、白面金毛九尾の狐姫ちゃんどすえ。お目にかかれて光栄にござりまする。えっと、えーっと……どちらはん?」
「上野介源頼信が嫡子、左衛門少尉頼義である、これなるは我が配下たる鬼狩り紅蓮隊、貴様ら鬼どもを狩る武士よ!」
威勢良く名乗りを上げた頼義は、そうすることにより不思議と今までの臆する心が失せ、胸内から懇々と闘志が湧き上がってくるのを感じた。それは、頼義もかつて感じたことのない、源氏の惣領としての熱い「血」の励起であった。
「あらあらまあまあ、あんさん頼信はんとこのお嬢ちゃんかいなあ、ということは頼光はんの姪っ子はんやなあ。こりゃまた奇遇奇遇、ふふふ、それにしても、そないに可愛いのにご惣領どのとはまあ。事情はよう知らんけど、あんさんもまた難儀な星回りに生まれてはるなあ」
「気遣い無用、これは自分の意志で決めたこと故、鬼ごときに同情される筋合いもなし。重ねて問う、貴様らの大将である鬼とは……」
「ああん、みなまで言わずともよろしゅうおすえ、いけずやなぁ。そないに御方様にお会いしたいんなら、このまま丹波までご一緒しはりますぅ?あんさんみたいなぺっぴんさんなら御方様も慰みにお情けの一つでもかけてくれましょうに」
白面童子の挑発に頼義は耳まで赤くして激昂した。
「無礼者!仮にも源氏の棟梁に向かって婢女のごとき言い草、許せぬ!」
そう言い放って抜き打ちに太刀を撃ち付けたが、白面はひらりと宙を舞ってその一撃を交わし、すとんとまた本殿の屋根の上に立った。
「まあ怖い怖い。そのべっぴんさんに免じて許してあげるさかい、ようお聞きや」
それまで人を食ったような調子のいい口調だった女の声色が冷たく変調する。
「決して丹波には入るな。決して御方様に会おうと思うな。我らのことなど忘れて普通の姫君として生を過ごせ、さすれば平穏無事で幸せにいられよう。他ならぬ頼光はんの縁の者じゃ、無下にはできん。せめてもの忠告どすえ」
「な……」
絶句する頼義を尻目に
「ほならな。約束どすえ。もう二度と会わんとええなあ」
そう言って白面童子と薔薇童子が立ち去ろうとした瞬間
「逃すかボケえっ!!」
と吠えて坂田金平が手にした剣鉾でいきなり白面たちが立っている本殿の外柱を一撃で叩き折った。住吉大社の本殿は中央を支える御心柱を持たず、外壁に立った柱だけで支えている独特な造りをしている。そのため、角のひと柱を失った屋根は自重を支えきれずに折れた柱の方向に向かって一気に崩れ落ちた。
さすがの白面童子もこれは予想していなかった。そもそもたかだか人の手で建物を支える大柱を叩き折るなどとは思いもよらなかった。否、その力はまさしく……
「このままノコノコと見過ごすかよ狐野郎!いや女だから女郎か!どっちでもいいや、とにかくくたばりやがれえっ!」
それまで飄々とした態度を崩すことのなかった白面が初めて表情を変えた。チラと横目で見ると、先ほどまで隣にいた薔薇童子は白面を助けることもなくとっくに自前の毒蔓でもって遠くに離脱している。
「ではな白面、お前も早よ御方様のところへ戻れよ。出なければ住吉も熊野もわしが一人でやったと御方様に申し上げるぞ」
白面はあんぐりと口を開け
「こりゃ、薔薇!先程は危ないところを助けてやったに、などてかような仕打ち!この人でなし、鬼!」
「そうは言うてもわしは鬼じゃからなあ」
ゲラゲラと笑いながら薔薇童子は毒蔓を高く伸ばし、
「そこの薙刀使い、今日のところは引いてやるわい。だがこの右目の遺恨、必ずや晴らしてくれる。お前は必ずこの薔薇が殺す」
そう貞景に言い放って悠々とこの場を立ち去って行った。一人取り残された白面に金平たち鬼狩り紅蓮隊が急迫する。
「ああんもう、よう好かんわ!」
白面がそう叫ぶと、何の前触れもなしに彼女の姿が消えた。飛んだわけでも、幻術で姿を隠したわけでもない。金平たちが慌てて周囲を見回すと、彼らは全員、いつの間にか青白く柱の光る迷宮に閉じ込められていた。
「なんと!?女狐めあの一瞬でこの一帯に奇門遁甲の術を仕掛けたというのか!?」
白面童子は金平によって叩き壊された本殿の屋根から転げ落ちるその間に周囲の相を瞬時に見立て、その場にあった瓦礫を利用して即席の「奇門遁甲八陣の図」を引いたのだ。
もはや頼義たちのいる場所は現世から切り離された閉鎖空間と化した。この場から脱出するには八つある門のうちから「開門」と呼ばれる、言わば流動する魔力を開放する排気口を探し出して通り抜けるより方法はない。
季春は大慌てで手持ちの羅盤と秘伝の「浄玻璃鏡」を駆使して方位を測定する。ようやく空間の境目を見つけ、八門の檻から抜け出た頃には、すでに鬼たちの姿はなく、月明かりが住吉大社のあちこちに転がる死体を青く照らしているだけであった。




