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鬼切り姫、元服するの事(その一)

左大臣、藤原道長は驚き呆れていた。


四十を前にしていささかケンのある所ものぞかせるが、まず眉目秀麗とい言っていいこの若き宰相は、その人好きのする柔和な美貌を曇らせたり険しく皺寄せたり、くるくると表情を変えて考え込んでいた。


一見華やかに見える宮中もその中身はドロドロの欲望渦巻く権力闘争の、血と陰謀にまみれた屍山血河であった。その真っ只中にあってなお一歩も引くことなく勝ち上がり、甥に当たる政敵の正三位(しょうさんみ)(ごんの)大納言(だいなごん)伊周(これちか)卿を追い落とすことに成功し、ついには娘彰子を今上(きんじょう)帝の中宮(妻)に祭り上げ、天皇の外祖父として自身も左大臣という実質的な最高権力者の座に駆け上がった人物である、優男な外見とは裏腹に生半なことでは驚きも動揺も見せぬ心胆も持ち備えていた。


その道長が、眼前にいる少女によって、ひどく狼狽(うろた)えさせられているのだ。少女は瞬き一つすることもなく、じっと左大臣の顔を見つめ返している。


娘の名は「すゞ子」といった。左兵衛(さひょうえ)少尉(のしょうじょう)源上野介頼信卿の長女であり、道長もこの古くからの盟友の娘を幼少の頃より己が家族同様に可愛がっていたものだった。


そのすゞ子が久方ぶりに屋敷を訪ねて参ったというので懐かしさに顔を綻ばせて会いに行ってみると、すゞ子の出で立ちに思わず息を飲んでしまった。別段にすゞ子が奇妙奇天烈な姿をしているわけではない、質素ながらも身綺麗に仕立て上げられた狩衣(かりぎぬ)差袴(さしばかま)、太刀こそ帯びてはいないものの平緒をきつく結び、長く伸ばしていたであろう髪は肩口の高さほどで切り落とされ、髻として高く結い上げられている。


そう、どこからどう見ても立派な「男装束」であった。



「えっと、その、なんだ。どしたの?」



動揺のあまりか、素っ頓狂な口の聞き方をしてることにも道長は気づかない。すゞ子は少しも臆することなく、静かに口を開いた。



「まずは、此度の内覧ご就任の儀、祝着至極にござりまする」


「え?ああ、うん、ありがと」



内覧とは帝へ奏上する公式文書を帝より先に閲覧し、その内容を吟味し、それが帝へお送りするに相応しいか否かを裁量する役職である。つまり、その気になれば自分の都合の良いものだけを選び、不都合な情報があればそれを握り潰すことも可能という、言わば行政府における情報統制官のような役職である。つまり、今後帝へお送りする情報は全てこの道長が押さえることになる、それがために便宜を図ってもらおうと多くの利権が道長のもとに群がるであろうことは想像に難くない。それは、この先さらに道長とその一族郎党を繁栄させる礎となるであろう。



「いや、そんなことはどうでもいいんだけどー、すずちゃん、どしたのその格好?」



道長の口調は改まらない、どうやらこれが地のようである。



「つきましては、僭越ながら道長様に申し上げたき儀がござります」


「なな、なあに?」


「すゞ子はこの四月で十四になりました。そこで、私も一人前の成人として正式に元服の儀を済まし、名を(みなもとの)頼義(よりよし)と改め、これよりは男子として帝に忠勤を尽くす所存でございます」


「……」


「……」


「な、なんだってええええええ!!!!!!!!!」


「道長様、すゞ子は、いえ頼義は本気でございます、どうか私を河内源氏の次期棟梁としてお認めください」



すゞ子の祖父にあたる鎮守府将軍源満仲はその死に際して長兄頼光に所領である摂津国を、弟である頼信に河内国を分け与えた。以来頼光の一族は摂津国に根を張り「摂津源氏」を名乗り、頼信はまた別に「河内源氏」を名乗ってそれぞれ独立した一族として共に勢力を伸ばしていた。


すゞ子は、女の身である自分をその河内源氏の次期棟梁と認めるよう、左大臣である道長に願い出たのだ。



「いやいやいやいや待って待って!無理無理無理、むーりー!」


「お願いします!この頼義、幼き日よりいずれは父頼信、そして我が叔父美濃守頼光公に負けぬ立派な武門の子となるべく修行を積み重ねてまいりました。父は武家の習いとしていつ果ててもおかしくない身、しかし弟たちはまだ年端も行かぬ赤子でござりまする。もし弟たちが成人する前に父の身に万が一何かありましたら、清和帝より続く源氏の血筋の一流を私の代で絶やす不忠をいたす次第になりまする。どうかこのわがまま、頼義を跡取りとしてお認め下さい!」


「ししし、しかし、そうだ、そなたのお父上は、頼信殿は何と申しておる!?」


「言った途端寝込んでしまいました」


「ですよねー!!」


「お願いします、道長様!」


「ダメ!ムリ!絶対ムリー!!」


「お願いします!」



すゞ子は道長に向かって真っ直ぐに目を合わせながら力強く懇願した。


すると、目が合った瞬間、道長は身体を石のように固くこわばらせ、虚ろに目を泳がせた。そして



「いいよー」



とだけつぶやいた。

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