断章・丹波国、沈黙するの事
右衛門少尉、平維敍は呆然としていた。
丹波国桑田郡にあった国府寮は今まさに炎に包まれて倒壊しようとしている。その真っ只中にあって、丹波国司というこの地方の最高責任者の役職に就く維敍は、何一つ手立てを講じることもかなわず、呆然と自らの命運を国府の落城とともにせんとしていた。
「何が、一体何が起こったというのだ……!?」
維敍はただそう繰り返すばかりであった。朝起きた時は、平和で穏やかな、いつもと何一つ変わることのない丹波国であった。
それが、それなのに、山から「アレ」が降りてきた、たったそれだけの事で、この丹波国は滅んだ。国中の男は一人残らず殺された。武官も文官も、老いも若きも、赤子に至るまで殺された。
そして女は、女は……
その時の光景を思い出して維敍は恐怖と驚愕のあまり声をあげて泣き叫んだ。あれはまことにあったことなのか!?これは悪い夢ではないのか、あのような、あのような、あのよよよよよy……!!
その記憶を最後に、維敍は発狂した。
そんな国司を飲み込んだ豪炎とともに音を立てて崩れ落ちる国府寮を間近に眺めながら、その女は言った。
「あれまあ呆気ない。曲がりなりにもあの平新皇に弓引いた常州将軍平国香殿のご嫡男とは思えぬ体たらく。さて、めでたく丹波国は落としましたゆえ、残るは都へ一直線……と言いたいところどすけど、難儀なことにあの憎っくき三柱、住吉、熊野、八幡の加護は今もまだ健在どす。ふふ、晴明め、ちゃあんと我らがことを忘れずにしっかりと備えておりましたみたいどすえ」
女はそう言って真っ赤に紅を引いた唇に小指をなぞらせた。伸びた黒髪は豊かに巻き上がり、肩が露わに見えるほどしどけなく着崩した唐衣を舞うように翻しながら、
「如何致しますえ、主様?」
と唄うようにそこにいる何者かに問うた。
女に「主様」と呼ばれた者は、深々と被った覆いの奥からくぐもった声で答えた。
「マダ、タリヌ……チカラ、コトバ、モ……マダ、ウマ……ク、ハ。オ、オン……」
「はいはい、女ならばいくらでも揃えてご覧にいれます。まずはほれ、当座の腹ごしらえに丹波の女もよろしゅうおすえ」
そう言って女は燃え盛る国府寮をにんまりと眺めながら続けて言った。
「血でも肉でも、いくらでもお召し上がりやぁ」
その言葉に合わせるかのように、丹波国を焼き尽くす炎の向こうから、何百という女の笑い声らしき音が低く響いてきた。




