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心の中の風邪  作者: 龍之介
1/5

私の入院日記 その1

この作品は、半自伝的なものです。だからといって、全て事実ではありません。どうかその点をご理解頂き、お読みくだされば幸いです。

この作品は、言ってみれば、私の体験談みたいなものです。

三十代の終わり頃、私は俗にいう『精神病院』に入院したことがあります。

 そこで見聞きしたことを記させて頂きます。

 したがって、ここに書かれていることは大筋に於いて事実に基づいています。

 しかし固有名詞その他につきましては、全て架空のものでありますので、その点ご承知おき下さい。

1

『うつ病ですな』初老の医師は私の顔とカルテを交互に見ながら、さほど表情を変えずにそういった。

 僕は東海地方の割と大きな都市に住んでいる、20代半ばの男性である。

 大学を卒業して、ある大手食品会社に勤めたのだが、そこでの仕事の忙しさや、家庭内内のちょっとした問題などが重なって、体調がおかしくなってきていたのだ。

 具体的な症状としては、

・夜、なかなか眠れない。

・食欲がない。

・それまで楽しいと思えていたことが、何一つ楽しいと思えなくなる。

・だからといって、ゴロゴロしているだけでも苦しい。

 そんな症状がしばらく続き、たまりかねて私は近くにあった心療内科クリニックの診察を受けた。

 病名を告げられた時、僕は正直言って、それほどショックは受けなかった。

 これでも本を読むのが好きで、

『おかしいな』と思い始めてから、書店に行って、健康関係のコーナーに置いてある本を買い求めたり、ネットで調べたりしていたから、何となく、

『ひょっとしたら』とは思っていたからだ。

 しかし、だからといって、どうしたらいいか分からない。

『治る病気だ』というのも、何となく分かっている。

 しかし今現在の自分の状態では、家にいても気が休まることはないだろう。

 それを正直に医師に打ち明けると、

『ふむ・・・・もしそうなら一度、入院をしてみますか?』という答えが返ってきた。

『入院ですか?』

『本来なら、うつ病は入院する必要はあまりないんですけどね。でも、落ち着いた環境で心を休めてみるのも悪くはないでしょう』

 医師の答えに、私は『それも悪くはないな』と思った。

 私の会社は人間関係はお世辞にもいいとは言えなかったけれど、幸いなことに直属の上司という人が出来た人間だったので、前々から何かと相談に乗ってくれていたりした。

 会社の方へは、医師が診断書を出し、手近な良い病院を紹介してくれるということになり、とりあえず二か月『休職』ということにして貰い、二日後、病院に向かった。

 その病院は、私の家から、意外なほど近かった。

 確かに、そういう病院があるというのは何となく知っていたが、まさかこんなに近いとは、思っても見なかったのだ。

 病院の周りは、昔からの住宅がぽつん、ぽつんとあるくらいで、後は畑と田んぼと雑木林という、郊外にありがちの風景が囲んでいる。

 母親に連れられて行った時は土曜日の午後で、外来の診察は既に終わっていた。

 がらんとした病院の中は、時々看護師や病院の職員らしき人達が行き交っているだけで、にぎやかさはまったくなかった。

 受付で案内を乞うと、

『カウンセリング室』というところに行くように指示された。

 場所を聞き、母と二人でその部屋に入って、しばらく待っていると、やがて白衣姿でネクタイを締めた五十がらみの男性が入って来た。

 名前は林といい、この人がどうやらこの病院での私の主治医になるようだ。

 母が前のクリニックで貰って来た紹介状を渡すと、林医師は一通り目を通してから、

『分かりました。五階の東病棟に入って貰います。今、担当のナースがきますんで。まあうつ病ですから、そんなに長い間の入院は必要ないでしょう』

 何だか妙に事務的な口調だった。

 大きな病院ってのは、こんなものなのかな?

 少し不安になった。

 ほどなくして、ドアをノックする音がし、丸顔で背の低いナース服姿の女性が入って来た。

『小田です。よろしく』そう言って、私ににっこりと笑ってみせた。

『じゃ、よろしく・・・』林医師はそういうと、すっと立ち上がって、そのまま部屋を出て行ってしまった。

『それじゃ、病棟までご案内しますから』

  バッグを持ってついてこい、という。

 私は、身の回りの品だけを詰めたバッグを持って、小田ナースの後をついて歩いて行った。

 エレベーターに乗っている間、彼女は、

『ここの病院は静かで落ち着きますよ』とか、

『分からないことがあったら、何でも聞いて下さいね』だのと、色々とこっちの気分をほぐすように話しかけてきた。

(この人は信用できるかな?)私はぼんやりとそう思った。

 私が入院することになったのは、その病院の五階西病棟(通称5W)と言われているところだった。

 何でもそこはこうした病院でも、比較的症状の軽い患者さんが入院するところだそうである。

 幾ら色々な本を読んでいる私でも、流石に入院したことがなければ、そうした病院の中身までは分からない。

 私、いや、それは私だけに限らない、一般の人が持っているメンタル系の病院のイメージといえば、

・鉄格子が嵌っている。

・奇矯な叫び声をあげる患者。

・怖い看護人。

 まあ、そんなところだろう。

 しかし、一目見て、そのイメージは少しばかり違っていた。

 確かにその5W病棟は、閉鎖病棟といって、入り口の前に分厚い硝子の扉があって、無暗に出入りは出来ない。

 私が着いた時も、まず小田さんがポケットから取り出した長い鎖のついたキーで、入り口のロックを解除しないと、中に入れない仕組みになっているくらいだった。

 病棟の内部はガラス窓が多く、日が沢山入るように設計されている。

 中に入ると、そこはホール兼食堂といった感じで、いくつものテーブルや椅子が並べられていて、そこかしこに患者さんが座って、テレビを見たり、何かゲームのようなことをしたりして過ごしていた。

 驚いたのは、病院なのに、寝間着を着ている人が一人もいないということだった。

 みんな街中で普通に見かけるような、普段着を着ていたのである。

 また、女性の患者さんが多いのも意外だった。

(この病棟は『男女混合病棟』といって、女性と男性が一緒に暮らしている)

 私が入ってきても、誰も振り向きもしない。

 みんな黙って、自分のやるべきことに熱中している。

 まず私は『診察室』とプレートの出た部屋に案内された。

 そこで何枚かの紙を渡される。

 一枚目の紙は赤い色で、黒のゴシック体で大きく『貴方は任意入院です。従って基本的には貴方自身の意志で、自由に退院することが可能です』と書かれてあった。

 そうそう、言うのを忘れていた。

 この手の病院には、入院の形態は基本的に三つある。

・任意入院。

・医療保護入院。

・措置入院。

 である。

まず『任意入院』だが、これが私である。

紙に書かれているように『基本的には』患者自身の意志で入院したのだから、退院も患者自身の意志で決められることになっている。

しかし、本当は主治医が『いいでしょう』と言わない限り無理なのであるが・・・・。

次は『医療保護入院』だが、これは患者の意志はあまり考慮されない。

要するに何らかの理由で自分自身の決定が出来ない人が、その人の親族(大抵は親か配偶者)の意向で入院が決められるのだ。

だから、退院もその親族の了解がなければできない。

しかし、これらは意外と軽い方である。

一番厄介なのは『措置入院』だ。

これは患者や家族の意志ではなく、行政命令による入院である。

従って退院も、主治医の他、行政が指定した特別の資格を持った医師が二人で検討した上、知事若しくは市長や町長の判断でしかできない。

もっともこういう入院は社会に迷惑をかける恐れがある場合に限られるから、私が入院したようなW5病棟のようなところにはいない。

 それはさておき、

 私は『診察室』という、事務机と椅子が二脚だけ置いてある部屋に入れられると、まず持ってきた荷物を開けるように言われた。

 そして中にあるものを、後からやって来た男女の看護師が二人で点検し始めた。

 のちになってわかったこと(最初に渡された紙に記してあるのを詳しく見て気づいた)のだが、こうした病院の病棟には持ち込めない品物がいくつもあるのだ。

 紐のついたもの、例えばジャージやスエットなんかでも、紐でキュッと締める形式になっている者はダメで、紐を外してからようやく許可される。

 マッチ、ライター、かみそり(電気カミソリ以外のもの)は全部不可。

 イヤホーンラジオやポータブルCDプレーヤーなど、音が漏れないようにしてあるものは可。

 本は制限はないけれど、あまり刺激的なものはダメだそうだ。

 ただ、安全カミソリでどうしても髭を剃りたいという場合は、全部ナースステーションに預けておいて、週に二回、髭を剃るときだけに渡すという。

 勿論パソコンも、携帯もダメである。

 何故ここまで細かく規定が決まっているのかというと、全ては、

『ここは静かに過ごす病棟だから』という答えが返ってきた。

 しかし一番の理由は『自殺が怖いから』ということらしい。

 私は当時煙草を吸っていたから、ライターも取り上げられてしまった。煙草は介護士(看護師の他に介護を担当している女性が二人いる)に頼んでおくと、売店で購入してきてくれる。

 そこまで説明を受けると、母親に『お母様はもうお帰りになってよろしいですから』と看護師が告げた。

『じゃ、行くからね』母は心配そうな顔をして私に言うと、そのまま帰ってしまった。

 分厚い硝子のドアが閉まってしまうと、私は『一人ぼっちになった』という実感が急に強くなった。

 

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