呪 その3
命を狙われる。
学生の身ではまず間違いなくありえない出来事であり滅多にできない経験なのだろうが、これほど精神に負担がかかるものだとは思わなかった。
もっとも表面上はいつも通りに行動できているのだから、自分は思った以上に大物だったのかもしれない。あるいは単に鈍感だったのか。
とりあえず間違いないのは、他人から見ても俺はいつも通りだったということだ。
何せ昼休みになり月紫部長に昨夜の出来事を話したら、珍しく呆気にとられて固まる世にも珍しい姿を見ることができたのだから。
「……いやいやいやいや、ちょっと待て。本当に何故それほど落ち着いていられる? 私がここで呪詛への対抗手段がないと言えば、君は今夜にもお陀仏だぞ」
「ないんですか?」
「ある」
あるんかい。
脅すようなことを言った割にはあっさり答える月紫部長に、少し肩の力が抜ける。
そしてその力の抜けた肩に寄り添ったまま、俺の差し出した筍の天ぷらをパクリと食べる斎藤さん。
心なしかいつもより顔が近い気がする。やめて。これ以上俺を惚れさせないで。
「しかしもう少し早く言ってほしかったぞ。こちらにも準備というものがある」
「……すいません」
それはそうだ。むしろ何故俺は呑気に昼休みまで月紫部長との接触を控えていたのだろうか。
いつも通りを心がけすぎたせいで頭が回っていなかったのだろうか。だとしたら俺は自分でも自覚してないうちに結構追い詰められているのかもしれない。
「しかし今回は私の油断もあったか。話を聞いている限り、相手が素人だと侮ったのは私の完全なミスだ。とりあえず放課後になったらすぐに部室に来てくれ。詳しいことはそこで改めて説明する」
「お願いします」
真剣な顔で言う月紫部長に自然と頭が下がった。
さて、俺の命は果たしてつながるのだろうか。
――そう他人事のように思った。
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放課後。
何故か絡んでくる中里を適当にあしらいふしぎ発見部へと向かっていたのだが、二階へ上がり他の生徒が見当たらなくなったところで、意外なものが俺の前に立ちはだかった。
「ひゃっひゃっひゃ」
不気味な笑い声を響かせ、ネジが抜けるみたいに回りながら床から生えてくるおっさんの生首。
うん、ごめん。全然意外じゃなかった。
なのでいい加減にしろよと思いながらおっさんを排除しようと足を踏み出したのだが、瞬間背筋に走った悪寒に踏み出そうとした足が止まった。
「……ひゃっひゃっひゃ」
相変わらず変な笑い声をあげるおっさん。
だがその眼が、今までとは桁違いの悪意をもって俺を射抜いていた。
――本気だ。
今までこのおっさんは俺をからかう程度のことしかしてこなかった。
しかし今この瞬間、明確な害意をもって俺の前に現れている。
「……」
何故ギャグ担当ともいえるこのおっさんが、今更俺の命を取りに来てるのか。
恐らくは俺の状態のせいだろう。以前月紫部長は奴らは人が弱ったところにつけこんでくると言っていた。
命こそ身代わり人形のおかげで助かったものの、呪いのせいで俺の心身は弱っている。
そこを狙ってこのおっさんは現れたのだ。
「ひゃっひゃっひゃ」
「……」
どうする。助けを呼ぶか。
しかし俺が逃げたらおっさんが他の人間を標的にする可能性も……。
そんな風に真面目に考えていたのだが、そんなシリアスは次の瞬間乱入者によって粉砕された。
「にゃーん」
「ひゃっひゃっひゃ……ひゃ?」
不意にかわいらしい鳴き声とともに現れたのは、白い毛皮が美しい猫。
窓からひょういと廊下に降り立ち、おっさんの背後をとる。
いや。ここ二階なのにどうやって来た。
まさかただの猫ではないのか。妖怪すねこすりなのか。
「にゃー!」
「ひゃー!?」
そして何故かご機嫌な猫に前足で蹴り飛ばされ、コロコロと廊下を転がっていくおっさん。
その姿にさらにテンションが上がったのか追撃をかます猫とさらに加速するおっさん。
そのまま転がっていったおっさんは廊下の角に跳ね返ると「ひゃー!?」と悲鳴をあげながら階段の下へと姿を消した。
「……」
「にゃーん?」
一連の動きに付いていけず固まる俺と「あら、わたくし何かしましたの?」とばかりに首をかしげるお猫様。
「……ありがとう」
「にゃーん」
とりあえず礼を言ってみた俺に「よくってよ」とばかりに右手をあげるお猫様。
こいつ絶対ただの猫じゃねえ。そんな確信を得ながらも、何事もなかったように静かな廊下を後にした。
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「来たか」
部室へと入ると、既に月紫部長が居て何やら準備を始めていた。
机の上に置かれた何枚かの紙と鉛筆。
お札や魔除けの類が準備されていたのを予想していただけに、何だかひどく場違いな気がしてくる。
「鉛筆と画用紙でお札を作るんですか?」
「違う。説明するよりも見せた方が早いのだが……ああ、来たな」
月紫部長の言葉通り、誰か来たのかコンコンと扉をノックする音が響いた。
一体誰が。そう思いながら扉を見ていると、入ってきたのは見覚えのある男子生徒だった。
「失礼します」
短く、低い声で言いながら入室する眼鏡をかけた男子生徒。
街風尚也。生徒会の書記が何故かそこに居た。
「よく来てくれた街風」
「いえ。会長にはお世話になりましたから」
月紫部長の声に応えながら部室の中央へとやってくる街風。
どうやら生徒会の用事で来たというわけではないらしい。ならば何をしに来たというのか。
「状況は連絡した通りだ。呼び水に使えそうなのはこの釘だけだが、行けるか?」
「さて。結果がどうなるかは俺にも分かりませんから。ですが――」
月紫部長から件の五寸釘を受け取りながら、机の前に腰掛ける街風。そして部室に入ってから初めて俺の方を見ると――
「望月には借りがあります。やるだけやってみましょう」
そんなことを言って鉛筆を手に取った。
「……え?」
意味が分からず戸惑っている俺を置き去りに、鉛筆を手に持ったまま目を閉じる街風。
一体何をしようとしているのか。そう視線で問う俺に、月紫部長はにやりと笑って言う。
「説明は少し待ってくれ。街風が『入る』までは集中する必要があるのでな」
要は喋るなということだろう。そう判断した俺は黙って街風を見る。
一方の街風は、鉛筆を手に取ったまま目を閉じて身動き一つしない。
一体何が始まるのか。その疑問に答えるように、街風は突然瞼を開けると画用紙に鉛筆で何かを描きはじめた。
「始まったな。もう喋っていいぞ」
「……いや。何をしてるんですかあれ?」
絵を描いている。それは分かるが、その様子は異様ですらあった。
視線こそ画用紙に向いているが、その目は焦点があっておらずどこを見ているのかはっきりしない。
目を開けたまま気絶しているのではないか。そんな印象をうける姿だ。
そんな街風に戸惑う俺に月紫部長は再び笑みを浮かべると、この状況について説明を始めた。
「まず最初に言っておくと、街風は君と同じくこの学園に来てから異能に目覚めた口だ」
「え?」
意外な言葉に知らず間の抜けた声が漏れた。
しかしそんなことも気にせずに、街風はひたすら画用紙に何かを描き続けている。
次第に形を成していくそれは何か古い建物のようで、しかしまだ全容ははっきりとしない。
「街風は君に比べると酷く限定的な異能者でな。故に危険も少ないため、ふしぎ発見部には勧誘しなかった。まあ生徒会に入ったおかげではからずも私とは繋がりができたわけだが」
「限定的?」
「今やっているのがそうだ」
そう言われて再び目を向ければ、徐々に絵が形を成していた。
影に至るまで再現されたそれは素人目に見ても見事なもので、遠目から見れば白黒の写真としか思えないほどだ。
しかしそれが街風の能力だと言われても、いまいち要領を得ない。
「街風の能力は……はっきりとは説明がしづらいし、私もその全容を把握しているわけではない。まあ未来予知、あるいは遠見に近いものだと思われる。そして見たものを半ばトランス状態で絵に残す」
「念写みたいなものですか?」
「念写はあくまで心に念じたものを写すとされるから、厳密には異なるな。見ての通り街風には絵を描いている間の意識はない。描いている本人にもその絵が何を指しているのか正確には分からない。今回のように予め描くものを指定してなければ、出来上がった絵にどのような意味があるのか分からないという不便な能力でもある」
「指定できるんですか?」
「ああ。今回は君と新田にかけられた呪いの根源。要するに呪詛が行われた現場を描いてもらっている。どうにも今回のそれは純粋な呪詛とは言えないもののようでな。私の方では元をたどれなかったから、こうして街風のある意味反則的な能力に頼ったわけだ」
月紫部長の言葉を受けてもう一度街風の描いている絵へと目を向ける。
徐々に浮かび上がるのは立ち並ぶ樹木と、古びた木製の建物。そしてその建物のそばには対になった像のようなものが佇んでいる。
「これは山際の神社か?」
「分かるんですか?」
「この学園の山から下りたすぐそばにある神社だ。祭神は大山祇神……特に呪いの類の言われがある神ではないはずだが」
「……う」
月紫部長がそこまで言うと、街風の口から微かに声が漏れて鉛筆が紙の上に転がった。
「終わったようだな。大丈夫か街風?」
「……はい。相変わらずこの感覚には慣れませんが」
頭でも痛むのか、眼鏡を外し額を押さえながら言う街風。
しかし何度か頭を振ると、目頭を押さえたまま手を振った。
「急ぐのでしょう。僕は大丈夫ですから、早くその呪いとやらをどうにかしてください」
「分かった。行くぞ望月!」
「はい!」
颯爽と部室を出ていく月紫部長に続き、足を踏み出す。
しかし部室から出る直前にどうしても気になり、背後を振り返る。
「……」
頭痛を堪えるように天を仰ぐ街風。本当に辛いのか、こちらに気を向ける様子もない。
「……」
その姿が「早く行け」と言っているような気がして、俺は踵を返した。
街風の言った「借り」という意味が何だったのか気にしながら。
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月紫部長に案内された神社は、本当に学園のすぐそばにあった。
敷地こそ広いようだが神社そのものは小屋程度の大きさであり、参拝者もあまり来ないのか寂れたような印象を受ける。
だからだろうか。神聖な場所であるはずなのに、どこか言い知れぬ不安を感じるのは。
「まあ放置された神社というのはよくないものも寄って来るからな。君の感覚も間違いではない」
「聖域なのによくないものが来るんですか?」
「放置された場合はな。そもそも神社というのは聖域というよりは、神を降ろすための舞台装置のようなものに近い。故に人に見放され穢れれば、その舞台には魔が入り込む。最近では経営不振や後継者などに恵まれず宮司不在の神社も増えていて問題になっていてな。中々に世知辛い」
そう言いながら神社の奥の雑木林へと向かう月紫部長。
俺も後を追いながら木々を見てみるが、藁人形の類が打ち付けられているような様子はない。
本当にここで丑の刻参りが行われたのだろうか。
「でも犯人と鉢合わせしたら危なくないですか?」
「大丈夫だろう。私の予測が正しければ、犯人は女だ。まあ丑の刻参り自体が女がやるものだしな」
確かに。丑の刻参りと言われて想像するのは、長い髪を垂らした女が釘を打つ姿だ。
しかしそれは偏見というか先入観というものではないだろうか。
「確かにそうだが。そもそも丑の刻参りの原形は宇治の橋姫の祈願だからな」
「橋姫?」
確か橋の守り神とされる女神だっただろうか。大変嫉妬深い神だと聞いたことがあるが。
「宇治の橋姫は、嫉妬した憎い女を殺すために自らを鬼にしてくれと神に願った。その願いは成就し橋姫は鬼となり次々と人を殺していき、最後には鬼退治で有名な渡辺綱に腕を切られ、これまた有名な安倍清明に封じられたそうだ」
「それ呪いというより直接手を下してませんか?」
「そうだな。そもそも丑の刻参りが人形を使う呪いとなったのが割と最近のことであり、本来は祈願成就の呪いであり、憎いものを殺すために自らを鬼とする儀式だったんだ。呪いといえば丑の刻参りだが、今のような藁人形を使うスタイルは実はそれほど古いものではない」
「……鬼」
夢の中で見た女の姿を思い出す。
なるほど。確かに他者を呪い恨むあの姿は鬼としか言いようのない、まさに鬼気迫る姿だった。
ならば余計に、自らを鬼とするような相手と直接対峙するのは危険ではないだろうか。
「いや。私の予想通りなら、そもそもの発端に誤解があるというかすれ違いがあるというか……あったぞ」
「え?」
言われて月紫部長の視線を追えば、確かにそこには気に打ち付けられた藁人形があった。
本当にあったのにも驚いたが、さらに驚いたのはその藁人形の隣にあるもの。
薄汚れた靴。恐らくはランニングシューズのようなものが木に打ち付けられていた。
「これは……」
「新田の靴だろう。発端はこれということだな」
藁人形には釘が一本しか打たれていないのに対し、靴には重なり合うようにびっしりと釘が打ち付けられていた。
その執念に背筋に冷たいものが走る。一体どれほどの憎しみがあればこれほどの念を打ち込めるのか。
「いや、まあ執念といえば執念だが。そもそもそれ自体が誤解というか……」
しかし戦慄している俺をよそに、月紫部長は何故か微妙な表情をしていた。
何というか。呆れてモノが言えんといった感じで。
「うん。まあとりあえず犯人がここに来るのを待つか。多分それで終わる」
そして緊張感の欠片もない様子でぽてぽてと神社の外へ向かう月紫部長。
……え? 俺の命狙われてたのはどうなったの?
「ああ、まあ馬に蹴られたとでも思っておけ」
「どういうこと!?」
混乱する俺に月紫部長は苦笑を浮かべるばかりで、結局そのまま夜を待つこととなった。
まあ確かに、後から聞けば呆れるような事件だったのだ。
そんな呆れる事情で命を狙われた俺は、中々に運がなかったのかもしれない。
とりあえず新田爆発しろ。