さとり4
この場に居ないはずの人の登場に、一瞬頭が真っ白になり思考が止まる。
いや。考えてみればカルト連中の検挙は警察に任せたが、万が一に備えて深退組の退魔師たちも後詰に控えていたのだ。
恐らくは月紫部長も高加茂家の退魔師として参加していたのだろう。
巫女服っぽい格好なのは一応まだ見習いなせいだろうか。
そもそも修験道で巫女がいるのかすら知らないが。
「どうした二人とも。鳩が豆鉄砲でもくらったような顔をして」
「豆鉄砲撃った人が何言ってんですか」
しかし深退組が控えていたにせよ、ここに真っ先に月紫部長がくるのはおかしいだろう。
既に一人前の腕前らしいが、それでも未成年者を一人で突撃させるか?
なら考えられるのは、月紫部長を行かせるのが良いと深退組側も判断する何かがあったということ。
加えて先ほど深海さんと戦っていた時に俺が聞いた月紫部長の声。
……もしかして斎藤さんどころか月紫部長含むこの辺一帯に居る人間に心を繋いでいたのでは。
「事情は大体深海さんから聞いた。というかいきなり思念が飛んできて聞かされた」
「マジかよ」
正解っぽい。
何やってんだあの野郎。
まさか悟りに繋がるイメージまで無差別にばら撒いてないだろうな。
……いや、その方が結果的に俺のぶっとんだ価値が相対的に下がるのでむしろいいのか?
「それで望月が私のことを好きだという話だが」
「何の情緒もなく斬り込んできやがった!?」
普通もっと雰囲気とか出さないか?
もしかして出す必要がない……断るつもり満々なのか。
そう心臓が握りしめられて縮むような錯覚を覚えながら次の言葉を待っていたのだが。
「……そうだね。確かに貴女も無関係じゃないし、丁度いいのかもしれない」
斎藤さんのさっきまでより温度が低い声で浮き上がり始めた気力がまた萎んだ。
見れば先ほどまでの取り繕った微笑みは既になく、睨みつけるように、でも泣きそうな顔で月紫部長を見ている。
うん。月紫部長が来てくれたことに少しほっとしたけど、これ明らかに斎藤さんさらに頑なになってるじゃん。
「高加茂さん。あなたは望月くんのことが好きなんでしょう。だから馬鹿なことをする前に止めに来たんだよね」
「馬鹿て」
一応は斎藤さんのことを思ってのことなのに本人から馬鹿と言われた。
いや斎藤さんからすれば余計なお世話であり馬鹿の所業かもしれないが。
「確かに私は望月のことは好きだが……」
そして対する月紫部長も腕組みをしたまま何やら考え込むように目を閉じている。
どうしよう。下手な事言われる前に止めるべきだろうか。
しかしそう俺が悩んでいる隙に、月紫部長は開眼し言い放った。
「この好意が色恋なのか正直よく分からん!」
「そんな胸張って言われても!?」
いや、マジで何ら恥じ入ることはないとばかりに腕組み仁王立ちで堂々と言い放った。
それを聞いた俺はどう反応すればいいんだ。
「分からないのもは分からないのだから仕方がないだろう。確かに望月のことはそこらの男よりは好意に値すると思っているが、これは恋か? 親愛と恋との違いは何処にある?」
「いやだから聞かれても……」
本気で分からないらしく、あごに手を当てながら首を傾げる月紫部長。
普段が中二病だし姉がアレだから恋をしたら同じく暴走するのかと思いきや、思いっきり論理的に考えて感情がさっぱりついて来ていない。
……いやこれ単に本当に月紫部長が俺のこと好きじゃないだけでは?
「しかし望月。そういう君は私が好きだという自覚はあるのか」
「……分かりません」
「ええ……」
少し考えたけど今まで散々考えても分からなかったことが今更分かるはずもなく、素直にそう言ったら斎藤さんから呆れたような戸惑う声が漏れた。
「正直なところ私は日向の願望混じりの推測に乗せられているだけなのではとすら思っている」
「あーそういえば俺も最初に言われたの七海先輩だったような」
「……」
全ては七海先輩の恋愛脳が生み出した誤解だったのでは?
そう月紫部長と本気で思いかけていたが、斎藤さんが「マジかよこいつら」みたいな顔してるので違うっぽい。
「何かこう。恋ってもっと相手のことばかり考えて他事に目が入らなくなるもんじゃないんですか?」
「私もそう聞いている。やはり私たちのこれは親愛の類であり恋ではないのでは?」
「……」
そう俺と月紫部長が結論付けると、斎藤さんの顔が「ダメだこいつら」みたいになった。
「さて。斎藤も死ぬのが馬鹿らしくなってきたようだし、改めて望月に聞くが」
「え?」
驚きの声をあげたのは俺ではなく斎藤さん。
いや俺も驚いたが、今のもしかして斎藤さんの気を削ぐためにやったのか。
……いや、言い方からして間違いなく本心だな。
「君はどうしたい? 深海さんの思惑がどうだとか、斎藤が何を望んでいるかとか、私の事とかはどうでもいい。君は何を望んでいる?」
そう俺の隣に進み出ながら言う月紫部長。
俺の望むこと。でもそれは……。
「繰り返すが他人のことは一旦置け。君がどうしたいかと私は聞いているんだ」
「俺は……」
確かに斎藤さんにこれ以上傷付いてほしくない。
深海さんは後で一発殴る。
でもそれ以上に望んでいるのは。
「斎藤さんに生きてほしい。斎藤さんはそんなこと望んでなくて、俺の我儘だと分かってて、どんな未来が待っていても。……ここで終わりにはしたくない」
「よく言った。ならば――喝ッ!」
俺の言葉を聞き届けた月紫部長が、気合を入れながら発声すると同時に柏手を打つ。
すると柏手の音が鳴り響くのを追いかけるように、月紫部長の清廉な霊気が広がっていき周囲を覆っていた黒い霧が晴れていく。
しかしそれも一瞬。
神にまで成り果てたものをたった一人の人間が祓いきれるはずがない。
すぐさま寄り集まってきた怨念が周囲を満たしていく。
しかしその一瞬でよかった。
霧のはれた今なら、斎藤さんに縋りつく人々の念がよく視える。
「君の手で断ち切れ! 全ての元凶を!」
月紫部長の声に押されるように、結界刀を展開しながら斎藤さんのもとへ駆ける。
「だめ……私は!」
斎藤さんが俺を拒むように身をよじる。
ああ、きっとこれは斎藤さんにとっては不本意で、深海さんの言うように最悪の結果を招くかもしれない。
でも。それでも。
馬鹿だと自覚している俺が望むのは。
「生きろ!」
生きてほしい。
そう願いながら、斎藤さんを縛るおおかみ様の念を斬り捨てた。
・
・
・
「……うまくいきそうかな」
おおかみ様の本体がある穴から離れた壁際で、深海は息をつきながら呟いた。
視線の先には黒い霧に向かって祝詞や真言を唱え穢れを祓い、結界で封じる術者たちの姿。
見るからに坊主やら神職やら多種多様な集団でありそれで術の親和性は大丈夫なのかと疑問も浮かぶが、何か手間取っている様子もないし問題はないのだろうと楽観視する。
そもそも門外漢である深海にできることはもう何もない。
「全ては貴方の計画通りということですか?」
流石に今回は無茶をしすぎたと思いながら体を休めていると、この場の責任者であり深退組の長である宮間椿月が話しかけてくる。
一見すると組織人として冷静に対処しているように見えるが、その内心が自分の重傷ぶりを見て愉快なことになっているのは見て見ぬふりをしておく。
「買い被りすぎだよ。いくら俺がサトリでも、望月くんが悟りに通じる目に目覚めるなんて事前に分かるわけがないだろう」
「ではどこまで?」
「今のこの場の状況まで。深山の退魔師は優秀だ。邪魔な羅門さえ倒してしまえば犬笛はどうとでもなるし、犬笛が居ないならおおかみ様にも対処できる。他はおまけと予想外だよ」
「本当ですか?」
そう疑いの目を向けてくる宮間に、深海はやれやれと首を横に振る。
サトリなせいで全てを見透かしていると思われるのにも慣れた。
否定しても証拠がなければ人は疑い続けるものだし、証拠などないのだからいっそ利用した方がいいと諦めてもいる。
「まあ望月くんを追い詰めたのは後で本気で謝らないとね。興味があったものだから」
「興味?」
「小埜さんって居ただろう。羅門と違って真っ当な僧侶の」
「ああ。先代の」
「あの人の説法を聞いたことがあってね。悟りというのは全てを『あきらめる』ことから始まるって。そしてその『あきらめる』というのは諦める――断念することではなく、全てをあるがままに受け入れることだと。そして俺にはその素質があるって」
「深海様に?」
深海自身はそう思わなかった。
自分は諦めが悪い。全てを受け入れることなどできるはずがないと。
だけど。
「そして全てをあきらめた上でそれでも人を救うために生きられるなら、それは菩薩の生き方だと。そういう生き方ができたらと、俺もかつては思っていた。そういう未練だよ。望月くんにつっかかったのは」
「……」
そしてやはり六角堂狸が望月時男に接触した際の忠告は、己に向けたものでもあるのだと自覚した。
今の深海慧の生き方は菩薩の生き方ではない。似ているようでいて決定的に違う残酷なものだと。
同時に、そんな生き方は彼らには早いとも。
「望月くんにはまだ早い。もっと自分勝手に我儘に、生きてもいいと思う。だから寸前で引き戻したし、我儘を言える状況を急ごしらえで整えた」
「……あ」
その深海の言葉に応えるように、黒い霧に覆われた穴から人影が出てくる。
弾けるような笑みを浮かべる少女と、呆れたような顔をした少年。
そしてその二人に神輿のように担がれて、戸惑い恥ずかしがる一人の女性。
ああきっと、ああいう強引な二人だから斎藤一二三も案外なんとかなるんじゃないかと思った。
高加茂月紫もそうだが、望月時男という少年も大人相手には謙虚で控えめだが、遠慮がいらないと判断した相手には押しが強い。
あの二人に振り回されていれば斎藤一二三もネガティブなことを考える時間は減るし変わっていくだろう。
そう楽観することにした。
かつての自分とは違い、救うことができた少年を少し羨ましく思いながら。
思ってたほど修羅場にならなかった。
ダメだこいつら(斎藤さん談