呪 その2
剃刀レターといえば一昔前の嫌がらせという印象だが、まさかそんなものを自分が貰うことになるとは思わなかった。
実際の所は手紙など入っておらず上履きの踵のあたりに綺麗に貼り付けてあっただけだが、嫌がらせとしては上出来だろう。
誰だって自分の指先がパックリ割れて肉が見えたら凹む。当然俺だって凹む。
剃刀の切れ味を侮っていた。まあ完全に不意打ちだったから、侮ってなくても怪我はしただろうが。
「まあそういうことがあったわけだ」
「お、おう」
俺の説明に戸惑ったような声で返す半藤。
一体何がそんなに意外なのだろうか。俺だって人間なのだから、いじめられたら凹むのは当たり前だろうに。
「いや俺が戸惑ってるのは、望月がいじめられたことじゃなくて今の状況なんだけど」
「今の状況?」
言われて周囲を見渡せば、他にも戸惑ったような顔の男子たちが何人か。というかクラスの男子全員が放課後だというのに教室に残ってる。
「いじめが起きたら話し合いの場を設けるのは当然の流れだな」
うん。何もおかしくない。
「いやおかしいだろ!? 普通いじめられた本人がいじめの容疑者全員呼び出して集会開いたりしないだろ!?」
しかし何が気に入らないのか、立ち上がって怒涛のつっこみを入れてくる半藤。
まったくやかましいやつだ。
「文句があるなら担任に言って終わらない終わりの会を開催するが?」
「小学生かよ!? というか望月教師受けがいいから実行できそうで嫌だ!」
うん。教師の評価が高いとこういうときに便利だ。
実行したら間違いなく顰蹙を買うからやらないが。
「いや、今も結構買ってると思うよ?」
そんなことを考えていたら、苦笑している新田から至極当然な苦言をいただいた。
「ああ。悪い。五分もしたら解散していいから」
「へ? 犯人探さねえの?」
次に間の抜けた声を漏らしたのは中島。本気で長時間拘束されると思っていたのか、拍子抜けしたような顔をしている。
というか実際そうなったら律儀に付き合うつもりだったのか。意外にいいやつだな。
「目撃証言もないからな。集まってもらったのはポーズというか牽制だ」
「ああ『俺はやられっぱなしじゃ済まないぞ』ってことかい?」
俺の言葉を聞いて察したのか、新田が少し呆れたように言う。
犯人の目的が何であれ、こんな陰湿な手段を使うということは、直接何かを言ったりましてや殴りに来るような度胸はない可能性が高い。
そういう輩は反撃されればへたれる。
もしそういった輩でなくとも、こちらに犯人捜しをする意図と手段があると分かれば自重するだろう。
根本的な解決にはなっていないが、これで収まるようならわざわざ相手を見つけ出す必要もない。
「じゃあもう帰っていい?」
「ああ。ありがとな」
一人の男子生徒が確認したのを皮切りに、教室から出ていくクラスメイトたち。
しかし一人だけ、何かを心配するように不安げな顔で残っているやつが居た。
新田篤士。ああやっぱりこいつはいい奴らしい。
「望月……もしかして犯人は俺の?」
「まあタイミング的にそれを考えるよな」
俺には特にいじめを受ける心当たりはない。いやあると言えばあるのだが、七海先輩のファン連中が犯人ならこのタイミングでくるとは思えない。
逆に言えば、犯人はここ最近で新しく俺に恨みを抱くようになった人間。
そう。新田を呪っていた人間ならこの条件に当てはまる。
「呪いを妨害されて報復に出た。あえて物理的な手段に出たのは、呪詛返しを警戒したのかもしれない。でもそれだとおかしな部分がある」
「何が?」
「おまえを呪った相手がこの学園の人間なら、おまえがもう陸上をやってないのは知ってるはずだ」
「ああ。なるほど」
新田の足を狙ったのは、新田をライバル視あるいは危険視している人間。その前提が崩れる。
最早そんなことがどうでもいいほど新田を憎んでいるのか。あるいはその前提条件が間違っていたのか。
「まあそれを抜きにしてもやり方が手ぬるい。俺が霊視したときに感じた執念みたいなのは本物だった。その執念が俺に向くとしたらもっと過激な手段で来てもおかしくない。まあ犯人が予想以上に理性的で嫌がらせ程度で満足してくれている可能性もあるが」
「……犯人がそんな常識的な思考を持ってなかったとしたら?」
「今まで考えたことは全部無駄。殴りに来たところを殴り返すしかないな」
まあそれ以前に、今回のコレと新田を呪った犯人が別な可能性も十分あるのだが。
どちらにせよしばらくは相手の出方を探るしかない。
「まあこれ以上何もない可能性もあるわけだし、深く気にするな。それよりさっさと部活行った方がいいんじゃないか?」
「ああ。……気を付けてな望月」
そう言うと教室を出ていく新田。
気を付けて。人に言えた立場じゃないと思うんだが。
「……俺も行くか」
鞄を取り廊下へ出ると、やはり何をしているのか気になったのか何人かの女子が興味深げにこちらを見ていて、そして目を反らした。
さて。噂が流れる下地は十分。あとはどうなるか。
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「トキオくん馬鹿なの? 死ぬの?」
ふしぎ発見部にて。
事情を話したら七海先輩にジト目でこき下ろされた。
え? 何? 俺何かした?
「何で私の所に相談に来ないの!?」
「だからアンタは俺とどうなりたいんですか」
どうやらいじめられても自分に相談せず、自力で解決しちゃいそうなのが気に入らないらしい。
犯人が七海先輩のファンである可能性もある以上その提案にも一理あるのだが、同時にいらん恨みを呼びかねないわけで。
というかこの人はそういうことは考えた上で無視し、純粋に先輩である自分を何故頼らないのかと怒っているのだろう。
部活の先輩が俺を好きすぎる件。
でもその好意が色恋沙汰ではなく親愛のそれに近い上にぐいぐい来るので、本当に距離感に困るこの人。
「だから、そこは素直に甘えてくれてもいいのに何で距離をとるの? ……やはりトキオくんはツンデレ!?」
「なるほど。言われてみれば確かに」
「そこ。納得しないでください」
相変わらず頭の中身が残念な先輩二人に全力で残念なものを見る視線を向けておく。
というか前はツンデレじゃなくてデレツン認定だったのに、いつの間に反転した。
「まあこれ以上何もない可能性もあるのには同意だ。万が一続くようなら、日向の人脈もそうだが、私が生徒会長として望月を援護することもできる」
「そういえば月紫部長って生徒会長でしたね。信じられないことに」
「君は遠慮がなくなると口が悪くなるな」
「やはりデレツンだったのね」
「やかましい」
それに口が悪いも何も、俺の言っていることは正論だ。
この学園以外の何処に生徒会長が終始コスプレしている学校があるというのか。
「失敬な。この学帽とマントは、この岩城学園の生徒会長が代々受け継いできた伝統の衣装だぞ」
そう胸を張って言う月紫部長だが、本来その衣装を着るのは基本的に文化祭やら体育祭などの行事限定のはずだ。
つまり月紫部長が常時大正チックなのはただの趣味であり、紛うことなきコスプレである。
この生徒会長ちゃんと他の生徒会役員の信頼得られているのだろうか。割と真面目に。
「ああ、それと今回の件がなくとも、君自身に何か厄が降りかかるかもしれないので、これを渡しておこう」
「……? 何ですかこれ?」
何やら月紫部長がマントの下をごそごそと漁って取り出したのは、木製の人形だった。
頭と手足はあるものの指まではなく、陰陽師とかが使う人型の符をそのまま人形にしたみたいなシンプルな形だ。
「そういった人型の形代には色々な使い方があるが、それには君の身代わりとしての性格を与えてある。つまりそれがいつの間にかパックリ割れでもしたら君は一度死んだということだ。注意しろ」
「いつの間にか死ぬような事態にどう注意しろと」
ともあれ、もらっておいて損はなさそうなので素直に受け取っておく。
しかし今更だがこの500mlペットボトル並みのでかさの人形をどっから出した。月紫部長のマントの下は四次元にでも通じているのか。
「乙女の秘密だ」
「乙女は学帽かぶってマント羽織ったりしません」
俺のつっこみに「解せぬ」と顔をしかめる月紫部長。
何が解せないんですか。むしろ俺が解せないよ。
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今日は特に何もないまま下校時間になり、部室の鍵を返しに行く月紫部長や、友人と待ち合わせしているらしい七海先輩と別れて靴箱へと向かう。
一応表の活動の報告としてレポートなどを作成する必要もある。しかしふしぎ発見部の存在理由については教師の間でも周知されているため、その辺りに深くつっこまれることはないらしい。
というか未だにふしぎ発見部の顧問を見かけたことがないのだが、果たして実在するのだろうか。
名ばかりの顧問で異能者ではないのか、はたまた月紫部長の手に負えないような案件の場合だけ出張って来るのか。
伝奇物のお約束なら教師の中に学園創立時代から生きてる人外とか混じってるのだろうが、さすがにそれはないだろう。
……ないよな? いや、でも妖怪とか普通に存在してるわけだしありえない話では。
「あ、もっちーだ!」
「ん? 中里?」
階段を降り一階へとたどり着いたところで、どうやら居残っていたらしい中里と遭遇した。
「あひゃひゃひゃひゃ!」
そして何処か嬉しそうに歩み寄って来る中里の後ろで、笑いながら転がりまわってるおっさんの生首。
またおまえか。今日はえらくアグレッシブだな。そんなに動き回れるなら何で猫やらハンドさんに捕まるんだおまえ。
「ひゃひゃひゃひゃッ……ひゃ?」
とりあえず放置するのもあれなので、途轍もなくうざいそのおっさんの頭を鷲掴んでもちあげ――。
「ひゃーーーー!?」
窓を開け放ち全力で投げとばした。
「え? 何? 何か居たのもっちー!?」
「気にするな」
何故か目を輝かせている中里をあしらいながら窓を閉める。
あ。おっさんが学園の守護者ヤンキーさんの原付にはねとばされた。
凄く嫌そうな顔でおっさんが当たった場所を見てるヤンキーさん。お詫びに今度飲みたがってたイチゴオレを事故現場にお供えしておこう。
「しかし何で中里が居るんだ? 部活には入ってなかっただろう」
「あー、ちょっとね。生物のテストの点が悪くて補習を……」
「……」
「なんか言ってよ!? 無言で残念なものを見るような顔しないでよ!?」
いや、そう言われても。
何故一年の最初の中間考査で補習が必要なレベルの点数をとっているのか。
受験で燃え尽きたのか。
「ならもっちーが勉強教えてよ。成績いいんでしょ?」
「何で俺が」
「え? 友達でしょ?」
「……え?」
「……え?」
衝撃。俺と中里は友達だった。
いやちょっと真面目に友達ってなんだろうと考えた。そしてどう考えても俺は中里と友達になった覚えがない。
「酷いよもっちー! 私とは遊びだったの!?」
「いや友達ならそれは遊びだろう」
「やっぱり友達じゃん!」
「あー、はいはい。そうですねー」
何この子めんどい。
うん、もう友達でいいよ。だから俺に安らぎをください。
「じゃあ。俺自転車だから」
「うん。校門で待ってるから一緒に帰ろうね」
何でだよ。
何か見鬼に目覚めてから変な人にばかり絡まれてる気がする。
類は友を呼ぶ。そんな言葉が頭に浮かんだが、深く気にしないことにした。
・
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・
――鬼だと。そう思った。
明日の準備も終わり布団の中に入ったはずの俺は、いつの間にか見知らぬ場所にいた。
周囲には背の高い木々が立ち並び、生い茂り重なり合う葉のせいで光は遮られ不安に苛まれるほどに暗い。
ああ夢か。そんな風に理解しながらも四肢には力が入らなくて、俺はただ風に流され枝葉のように揺らめいていた。
そんな闇の中で、蠢く白い影があった。
カンカンと金属音を響かせるその手元には木槌。そして立ち並ぶ木々の中でも一際大きい幹には藁人形が磔にされていた。
その藁人形を打ち付けているのは、小柄な女だった。
目を見開き、口元を歪め、笑っているとも怒っているともとれる凄絶な表情をして、怨念を藁人形へと叩きつけている。
人を呪わば穴二つ。
呪いを戒める有名な言葉だが、この言葉にはよく似た別のものがある。
人を呪わば身を呪う。
この女はその強すぎる怨嗟のために己自身の在り方すら歪めてしまっている。
人を呪いて鬼となる。
だからその時、俺がそれに気づかなかったのはあまりにも油断が過ぎていた。
自分は見鬼だから見えるが、相手には見えていない。
そんな都合のいいことがあるはずないのだと何故予想できなかったのか。
「……また……おまえかああああぁぁぁぁっ!!」
突如藁人形から手を離し、振り返る女。
振りかざした手の指の間には釘が握られており、爪のように伸びている。
そして女は最初からその機会を待っていたかのように、夢現の中ただ海月のようにたゆとっていた俺目がけてその爪を振り下ろす。
「――ダメッ!」
そしてそれとほぼ同時に、俺でも女でもない第三者の声が入り込んだ。
・
・
・
「ッ!?」
左頬に鈍痛を感じて、俺は反射的に身を起こしていた。
暗がりの中でも分かるその場所は紛れもなく自分の部屋の中であり、先ほどまでの光景がやはり夢のような何かだと悟る。
「……痛」
ようやく夢から覚めて脳に血の巡り始めたのか、現状もろくに把握できないながらもすぐさま立ち上がり、部屋の電気をつける。
痛む左頬から手を離し手鏡の中を覗いてみるが、そこに傷はない。だが確かに傷ついているのが視えたのは、外ではなく内が傷ついているということだろうか。
ともあれ、傷をつけられたのが目ではなかっただけよかったというべきか。
「……ん?」
しばらくそうして鏡を眺めていたが、ふと視界の端に何かがちらついているのに気付く。
「……」
振り返れば、そこには何故か涙目の斎藤さんが居た。
心配そうに俺の顔を覗き込んでは、何かに怯えたように震えている。
「もしかして俺を引っ張り戻してくれたのは斎藤さん?」
「……(コクコク)」
半ば確信をもって聞いてみれば、無言のまま何度も頷く斎藤さん。
なるほど。あの時点では未だ夢現だった俺があの場から離脱できたのは、斎藤さんが助けてくれたかららしい。
何で俺の部屋に居るんだよとつっこみたくもあるが、助けられたのだから野暮なことは言いっこなしということにしておこう。
「ありがとう。助かった」
「……」
俺が礼を言うと少し驚いたように目を見開き、そしてすぐに目を細めて猫のように笑う斎藤さん。
何この可愛い生物。いや死んでるけど。
むしろ何で生きててくれなかったのか斎藤さん。先輩でもクラスメイトでもいいから学園に居てくれれば、間違いなく癒されすぎて仕舞いには惚れてたのに。
「……ゲ」
そんな斎藤さんと五分ほど意味もなく微笑みあっていたのだが、ふと視線を向けた先にあったそれに嫌な声が漏れた。
月紫部長からもらった身代わり人形。それなりに頑丈な木製のそれが、まき割りでもされたかのように縦に真っ二つになっていた。
つまりこの身代わり人形は俺の代わりにお亡くなりになったということで。
月紫部長の身代わり人形と斎藤さんの助け。そのどちらかが欠けていたら俺は今夜死んでいたということらしい。
「マジか」
少なくとも先ほどの夢で見た呪いの作法は丑の刻参りだったのに、七日かけて成就するというお約束は何処へ行ったのか。
釘使って霊体に直接攻撃してきたようなやつだし、もはや何でもありな気もするが。
「……月紫部長身代わり人形幾つくらいもってるかな」
ともあれ、どうやら身代わり人形の数がリアルに俺の命のストックとなることが決定したらしい。
どこのRPGだよ。そんなことを思いながら頭を抱える俺を心配そうに見てくる斎藤さん。
異能に目覚めてから初の深刻な事態に、本気で頭痛がしてくる夜だった。