さとり
相手がサトリである以上、不意打ちやフェイントなんてものは通じない。
袈裟懸けに振り下ろした結界刀はあっさりと躱され、続けざまに放った突きも完全に太刀筋を見切られており身を捩っただけで避けられる。
「くッ!?」
そして伸び切った俺の腕の上を走るように、深海さんの刀が水平に一閃される。
それから半ばのけぞるような態勢で飛び退りながら逃れたが、眼前を横切った切っ先に「当てるつもりがなかった」と分かっていても肝が冷える。
「ふむ。普段の君なら反応できないだろうと加減したけど、必要なさそうだね」
そうどこか楽しそうに言う深海さんの顔は、普段のさわやかさが欠片もない、見たことのない笑みを浮かべていた。
ヤベエよこの人マジでバトルジャンキーかよ。
そもそもさっきの最初は当てるつもりなかったけど、俺が反応したと分かった瞬間当てに来てただろ。
「そこまで分かるなんて。面白い『眼』だね」
「うを!?」
そう言いながら顔面を刀で突いてくるのは何の嫌がらせだろうか。
いや。この人はこの期に及んでまだ余力を残している。
最初から俺を殺す気がない。
だからこのあからさまな顔面狙いは、牽制だと分かっていても過剰に反応してしまう防衛本能を利用した次の攻撃への布石だ。
大袈裟に避けて体勢を崩したら思うつぼ。
恐くても避けるのは最小限の動きに留め、足に力を込めて次に備える。
「うん。いい眼だ。如来眼だったかな。まるで俺の動きを見切っているような回避だけど」
「ッ!?」
そう話しながらも、流れるように俺の手、足、膝等々様々な部位に斬りかかってくる深海さん。
いや。一見無造作に刀を振っているように見えて、狙っているのは俺の意識から外れ守りが疎かになっている所だ。
それこそこの眼で狙いがあらかじめ分かっていなければ避けられず、今頃全身を切り刻まれていたに違いない。
「うん。見切りにしては反応が早い。それこそサトリである俺と同等かそれ以上。おかしいな? 読んでいる? 何を?」
そう俺の動きだけでなく心まで読んで分析をしているらしい深海さんだが、こっちは深海さんの動きを見るのに必死で気にする余裕もない。
そもそも俺の結界刀は霊力で構成されていて、物質として存在するのは媒介となっている短木刀だけというのが問題だ。
要するに鍔迫り合いどころか深海さんの刀を打ち落としてそらすことすらできない。
結界をはってもあっさりと斬り裂かれる。相手の攻撃は受け止めず避けるしかない。
だったらこっちも条件は同じじゃないかって?
深海さんの攻撃が激しすぎて初手以降一回も反撃できてねえよ!?
というか何だその桁外れの霊力垂れ流してる刀は。
これ多分倒せるかどうかは別としておおかみ様すら斬ることができるぞ。
深海さんが本気出すときは付喪神になってもおかしくない古刀を持ち出すと月紫部長が言っていたが、これ付喪神が憑いてるとかそんな可愛いレベルの霊刀じゃないだろ。
「ああ。なるほど。流れか」
「?」
そんなことを考えながら必死に刀の切っ先から逃れている間に、深海さんが何やら納得したように言葉を漏らす。
「体の流れ、気の流れ、霊力の流れ、意志の流れ。そういった流れを視るのかその眼は。流れの先を視ることで疑似的な未来予知を行っている。故に俺の読みよりも早い。
万物は流転する。なるほど真理を見る眼というのも大袈裟な表現ではないらしい」
「とわぁ!?」
そんな俺自身も分かってない眼の能力を説明している間にも、突きが飛んできて避けられたと思ったらそのまま横に薙いで来る。
今のはヤバかった。体を反らして強引に避けたが、髪の毛が何本か散ったぞ。
「うん。徐々に君の視える『範囲』が広くなってる。このままだと『あちら側』に引き込まれそうだし、その前に俗なことを話しておこうか」
「……え?」
そういうと、突然攻撃の手を緩める深海さん。
どういうことだ。あちら側ってなんだよ。
もしかしてこの眼。視えすぎるようになるとどこかに引きずり込まれるのか。
「彼女は死にたがっている。そうさっきも言ったね。もし自分が本気で犬笛に逆らっていれば。もしもっと早く何とかしようと動いていれば。いっそ自殺していれば。そうすればもっと犠牲になる人は少なかったのではという後悔と、そんな自分の弱さ故に犠牲を増やしたことへの罪悪感が彼女を苛んでいる。」
「それは……」
斎藤さんのせいじゃない。
そう俺が思っても斎藤さん自身がそうでないなら彼女にとってそれが真実だ。
いくら他人が否定しても、彼女の罪悪感はなくならないだろう。
「それでも『君のせいじゃない』『生きろ』というのは簡単だ。他ならぬ君の言葉なら、彼女も受け入れて立ち上がるかもしれない。でも君はその後のことを考えているか?」
「……その後?」
その後と言われても。
稀有な力を持つ斎藤さんが今後も狙われるといかそういう話だろうか。
確かにそれを俺一人で守るのは難しい、というか無理かもしれないが。
「うんそこじゃない。本っ当に君その手の話には疎いね」
「ええ……」
なんか凄い呆れられた。
結局一体どういうことだよ。
「君の言葉なら斎藤一二三が聞き入れるっていうのは、彼女が君に惚れてるからだよ。立ち直るって言うのは君の存在に縋りついてのことだ。
君が今知っている以上に斎藤一二三という女性は自主性がないし悲観的だし自尊心もない。何で児童相談所が動かなかったんだと心底不思議になる家庭環境で育った子供だ」
「……ええと。それが?」
「まだ分からないか。もし君が斎藤一二三以外に恋人でも作ろうものなら、彼女は君のそばから姿を消すよ。そういう性格だ。単に身をひくだけでなく恋した相手が他の女に愛情を向けるのを見るのが辛いというのもあるだろう。
でもその後、彼女は縋る対象をなくして一人で生きていけると思うか?」
「……は?」
言われたことが脳に浸透するまで少し時間を要した。
斎藤さんが俺に惚れている。今更それを否定する気はない。
しかし俺に恋人ができたら消えるというのは……いや、間違いなくそういう判断をするだろう。
そんな性格の人だから今の状況に陥っているとも言える。
「分かるかな? この土壇場で既に全てを諦めた彼女に生きる力を与えることができるとしたら、それは君への恋心だけだ。だけどそれを利用することは未来で彼女をさらに傷付けることになる。
だって君には他に好きな人が居るだろう」
「……」
深海さんが囁くように言うその言葉に何も返せない。
心臓の音がやけにうるさく感じる。
「平和な日常の中なら二人の異性の間で揺れ動く心なんて微笑ましい題材だろうけどね。今君が直面している世界はそんなに優しくないんだよ」
じゃあ何か。
この場で俺が斎藤さんを説得し、その後も生き続けてほしいと願うなら――。
「君は斎藤さんにも高加茂さんにも、そして自分の心にも嘘をついて、一人の女性の人生を背負う覚悟はあるか?」
そう、深海さんは重ねて俺の覚悟を問うた。
サトリ の せいしん こうげき(詭弁