えげん6
そこは見慣れた、だけど知らない場所だった。
「ここ……は?」
気付けば一人、ふしぎ発見部の部室で椅子に腰かけていた。
呆然としながら辺りを見回し、一体何が起きたのか混乱する頭を何とか落ち着ける。
「いや、ここはまさか」
部室の中には俺が座っている一つしか椅子がなかった。
俺と月紫部長と七海先輩。三人の空間である見慣れた部室じゃない。
ならここは以前も迷い込んだ――。
「あれ?」
急に視界が白く染まり、それを不思議に思う暇もなく俺は別の部屋の中に立っていた。
壁にかけられた絵や並んだイーゼルからして美術室だろうか。あまり普段は来ない部屋だが、それでも俺が知ってる美術室とは細かな物の配置が違う気がする。
「……本当頼むね。先週から音がしたり触ってもないものが動いたり不気味でさあ」
「はい。分かってます」
美術室の中を観察していると、どうやら女子生徒らしき話声が聞こえ、次第に近付いてくる。
そして部屋の前まで来ると片方はその場を離れたらしく、一人だけ扉を開けて中へと入ってきたのだが、その姿を見て俺は息をのんだ。
「……斎藤さん」
思わず漏れた声は彼女には聞こえていないらしく、姿も見えないのか俺の方に視線すら向けなかった。
だがそこに居たのは確かに斎藤さんで、しかしいつも海月みたいに宙を漂っている彼女とは違い、二本の足で床を踏みしめ歩いていた。
なら俺が今見ているこの光景は、斎藤さんが在学していたときのものだろうか。
「……見つけた。どうしたの? 大丈夫?」
しばらく美術室の中を歩き回っていた斎藤さんだったが、部屋の隅に辿り着くとゆっくりと語りかけるように言う。
そこには六歳前後だろうか、幼い少女の霊が座り込んでいて、不安そうに斎藤さんを見上げている。
「そうか。寂しかったんだね。気付いてほしかったんだ」
少女は何も言ってないのに、斎藤さんは心を読んだみたいにそう言ってその小さな体を抱きしめた。
「ああ泣かないで。もう大丈夫だから。貴方は一人じゃないよ」
そう少女の背中を撫でながら、斎藤さんは優しく語りかける。
「――これはこの世のことならず。死出の山路の裾野なる、さいの河原の物語」
そしてゆっくりと、優しい声で、子守歌のようなものを唄い出す。
「――一重組んでは父のため。二重組んでは母のため。三重組んではふるさとの、兄弟我身と回向して」
そしてその歌を聞いた少女は、それまで涙を湛えていた目を閉じると、母親に甘えるように斎藤さんに身を寄せる。
その小さな体が徐々に溶けるように消えていく。
これは浄霊だ。
普段俺たちが霊力に物を言わせて強制的に成仏させてるのとは違う。迷える魂を導く慈悲の唄。
なるほど。これは確かに俺では知識として知っても真似できない。
俺が同じことを同じ相手にやっても拒否されるに違いない。
それに、自分でもどこか冷めたところがあると自覚している俺では、赤の他人のためにここまで真摯にその安寧を願えないだろう。
「――哀れみたまうぞ有難き。南無延命地蔵大菩薩……」
そして斎藤さんが唄え終わるころには、少女の姿は消えていた。
きっと成仏したのだろう。その行先までは俺には分からないが。
「終わったんだ。ありがとう」
「……いえ」
また景色が飛んで、今度はどこかの廊下で斎藤さんと一人の女子生徒が話していた。
先ほどからこの空間は夢みたいに不安定で忙しない。
ここに来る直前に放り込まれた場所から考えてあたりはつけているが、一体俺に何を見せたいのか。
「もう変なことは起きないと思いますから。それでは」
「うん。じゃあね」
斎藤さんが頭を下げてその場を離れていき、その場に残る女子生徒。その女子生徒にもう一人女子生徒が近付いてくる。
「終わったの?」
「うん。もう出ないってさ」
「よかった。本当不気味だったもんね」
不気味。その言葉に少し反発を覚えたが、あの少女の姿が見えない一般人からすれば当たり前の感情だろう。
そう思いながら、さて今度はどのタイミングで景色が変わるのかと考えていたのだが――。
「でも不気味と言えば、斎藤もだよね」
「言えてるー」
聞こえて来た女子生徒たちの言葉に、自分の耳を疑った。
・
・
・
「これが私の日常」
気付けば場面は再びふしぎ発見部に戻っていて、しかしそれはかつてのそれでも、俺が知る今のそれでもなかった。
「……斎藤さん」
「ええ。こうして面と向かって落ち着いて話すのは初めてになるのかな」
部屋の中には二つの椅子。
俺の対面に少女……いや女性が、赤い袴姿の上に千早を羽織った格好で座っていた。
見慣れた少女より少し大人びた様子の、知っているけれど知らない女性。
「この学校に似た空間はおおかみ様の大元に蓋をするためのモノだと傘差し狸は推測していた」
「うん。私が知る中で最も霊的防御の高い場所。それをモデルに、信頼する彼らの分身を守人にして、私はアレを抑えようとした」
ヤンキーさんたちのことか。
斎藤さんはあまり友人の類がおらず、ついついヤンキーさんたちも世話を焼いてしまったと言っていた。
しかし先ほどの光景を信じるなら斎藤さんには友人が居なかったどころか……。
「私が居た頃は目覚める人は他に居なかったんだ。勘のいい人も少なくて、霊やオカルトなんて信じないって人も大勢いた」
それはきっと今の岩城学園とは比べ物にならない状態だったのだろう。
だから斎藤さんは孤立して、ああやって「不気味」だと忌避された。
いやもしかすれば、日々起こる不自然な「不気味」なことへの感情が全て、目に見えて存在する斎藤さんに向かってしまったのかもしれない。
「最初は貴方たちが羨ましかった。どうして私と同じなのに同じじゃないんだろうって。でもずっと見ていたら、貴方たちは私と同じなんかじゃないって気付いた」
「え?」
斎藤さんと俺たちは違う?
月紫部長はともかく、俺と七海先輩は元々霊感も何もない一般人だが。
「きっと貴方達が私と同じ環境でも『それがどうした』って周りのことなんて気にしないでしょう。いえ、きっとそういう貴方達だから理解者ができた。貴方達には周りの人たちを引きずり込む力があるから」
「引きずり込むて」
もっと他に言い方はなかったのか。影響を与えるとか。
いや確かに状況を考えたら引きずり込むが正しい気もしてくるが。
「嫉妬は憧れに変わって、ああ私も貴方達と一緒に学園に入学していたらもっと何か変わったのかなって。そうやって他力本願だから何も変えられなかったのにね」
そう言って斎藤さんは自嘲するように笑う。
斎藤さんは悪くないのに、内罰的なのは性分なのだろうか。
「そう。だから私は貴方を巻き込んでしまった」
「それは違う」
半ば反射的にその言葉を否定すると、斎藤さんは驚いたように目を丸くする。
だがそれは俺の本心だ。俺がここに来たのは決して犬笛の野郎の企みだけが理由じゃない。
「斎藤さんのことを抜きにしても、俺はおおかみ様と接点ができてた。だから巻き込まれたのは斎藤さんが理由じゃない。それに……」
例え嵌められたのだとしても。
「俺が貴女を助けに来たのは俺の意思だ。他の誰かの思惑なんて関係ない」
決めたのは自分だから、その結果と責任を背負うのも自分であるべきだ。
そう告げる俺に、斎藤さんは今にも泣きそうな顔で笑った。
「うん。そういう貴方だから私も憧れた。だけどもういいの」
「何故?」
「そんな貴方達を見て変わろうと思ったから、私は最後に意地をはれるの。そう。これは私が決めたこと。だから――」
――貴方はもう帰りなさい。
そう言って、斎藤さんは俺の胸を軽く手で押して、その世界から追い出した。