えげん5
よし。殺そう。
そんな物騒なことを考えてしまった俺は悪くないと思う。
それくらい犬笛という男のやってきたことは悪辣であり外道のそれだった。
「……」
無言で結界刀を構え、一気に踏み込む。
見たところ犬笛は武器らしいものは持っていない。立ち姿からして武道の心得があるようにも見えない。
なら恐らくは術を用いた中遠距離での戦いを得意としているはず。
そうでなくても俺の結界刀の特性上、接近戦で一撃入れてしまえば一気に形勢は傾く。
なので多少の怪我は覚悟の上で一気に間合いの内へ踏み込もうとしたのだが――。
「思い切りがいいのは結構ですが、私が何の対策もなしに出てくると思いますか?」
「ぶっ!?」
当然そんなに都合よく事は運ばず、前のめり気味に走っていた俺は突如現れたそれに顔面から突っ込んだ。
「ッ!? 鉄格子だとッ」
勢いよく地面から生えてきたのは等間隔に並んだ鉄の棒。
しかも突っ込んだ時の感触からして素手でどうこうできる強度ではなく、腕一本が辛うじて入る程度の隙間しかない。
「君のその刀は確かに強力ですが、あくまで斬ることができるのは霊や概念的なもの。ならば物理的な方法で止めてやればいい」
確かにこれを突破するのは無理だ。
穴の方から回り込むか? いやあんな高密度の穢れが噴出してる穴の上を通れるわけがない。
結界刀で穢れそのものを切り開けばイケるか?
というか別に犬笛と戦う必要ないんだし、この鉄格子のせいであちらもからも接近してこれないのだから、無視して斎藤さんを助けに行けばいいのでは。
「行かせませんよ」
「おわ!?」
しかしそう判断して踵をかえそうとした瞬間、犬笛が懐から取り出しこちらへ向けてきた物を見て反射的に頭を下げた。
パンッと乾いた破裂音が鳴り響き、頭上を黒い何かが高速でかすめていく。
「どうせ術をかけても斬り捨てられるのは目に見えてますからね。攻撃も物理でいかせてもらいましょう」
そう口角を上げいやらしい笑みを浮かべる犬笛の手には、鈍く銀色に輝く鉄の塊……拳銃が握られていた。
マジかよこいつそこまでするか。
というかさっきから対応が物理ばっかりじゃねえか。それでもオカルト研究畑の人間か。
「さて。君の人生最後の花舞台ですよ。派手に踊ってください」
「クソがッ!」
俺の内心の文句に応えるように、穴に満ちた穢れからおおかみ様たちが這い出して来るのを見て、思わず悪態が漏れた。
そのおおかみ様たちが這い出している間にも犬笛は発砲してきて、足元近くの地面が弾けてえぐれる。
「んー、やはりうまく当たりませんね。惜しい」
「ッ!?」
眼前を弾丸が通り過ぎていき思わず動きが止まるが、その間にもおおかみ様が襲いかかってくるので、気合で体を動かし結界刀で突き、払い、斬り伏せる。
しかしここはおおかみ様の根源、親とも言える穢れの押し込められた場所だ。
次々と出てくるそれに限りなど在って無いようなものだろうし、先ほどから銃弾が俺の体に当たってないのは完全に運だ。
発砲音がしてから避けるなんて反射神経や速さなんて俺にはないし、おおかみ様と戦いながら犬笛が狙っている場所を予想するなんて真似ができるはずがない。
「おっと、結構邪魔ですねコレ」
再び続けて何度か発砲音がして、金属がこすれるような耳障りな音がする。
どうやら鉄格子に銃弾が弾かれたらしい。
そして発した言葉通り邪魔に思ったのか、犬笛が鉄格子へと近付き隙間から腕を突き出すようにして銃を構え直す。
これは……チャンスか?
確かに俺の結界刀は物理的に物を斬ることはできないが、逆に言えば物理的な障害を無視して向こう側に居る相手を斬ることができる。
それに犬笛が持っている拳銃はリボルバー式だ。
弾は六発までしか入らないはずだし、込め直すのにも時間がかかるはず。
犬笛が今までに撃った数は五。
なら次が外れたら一気に接近して斬る。
賭けになるが、このまま的にされ続けるよりはよっぽど良いはずだ。
「つうっ!?」
「おお。やっと当たりだ」
乾いた音がして、避けようとも思わないうちに左腕を抉るように鉛玉がかすめていった。
引き裂かれたみたいに服が破れ、焼き鏝でもあてられてみたいに熱を持った傷口から血が舞い散る。
「……ハッ!」
なんだ。思ったより痛くないじゃないか。
何より賭けに勝った。利き腕が無事なら結界刀を振るのに問題はない。
そう判断した俺は右手で短木刀を握り直し、一気に犬笛目がけて走り出す。
だがそんな俺を嘲笑うように、再びパンッと乾いた音が鳴り響いた。
「……え?」
胸を殴られたみたいな衝撃を受けて、思わず立ち止まる。
「……」
何が起きたか分からず視線を下げた先、左胸のあたりの服に穴が開いていた。
そして少し遅れて、インクを零したみたいに赤い色が溢れて広がっていく。
「なん……」
疑問の言葉は最後まで言えず、胸元を染めるのと同じ赤い色が代わりのように喉からせり上がってきて口から漏れた。
押さえつけても止まらない。
体から熱が逃げていく。
俺という命が体から零れて落ちて消えていく。
「随分と勢いよく突っ込んできましたが、もしかして銃には詳しくなかったんですかねえ」
そう犬笛が笑いながら言う。
無知な子供の浅はかな行動とその滑稽さを嘲笑うように、ゆっくりと語りかける。
「リボルバー式の拳銃にはね、七発や八発まで装填できるものもあるんですよ。いや、興味がなければ高校生がそんなことを知っているはずもありませんでしたね。そう考えればリボルバーは一般的に六発だと知っていただけでも偉い偉い」
犬笛が笑う。
偉い偉いと皮肉を込めて。
中途半端な知識でおまえは判断を間違えたのだと嗤う。
「あ……が……」
力が抜ける。
立っていられない。
そうして崩れ落ちた俺の体におおかみ様たちが群がり、爪を立てながら引きずり始める。
「もしかすればもう一度あの空間跳躍を見せてくれるのではとも思っていましたが、楽に終わるならそれに越したことはない」
引きずられ続けて穴の前まで連れて来られた。
穢れに満たされ、黒く染まった暗い暗い穴の前に。
「さて。では御達者で望月時男くん。せいぜい長く苦しんでください。貴方を愛した娘が深い絶望に沈むように」
そして俺はあっさりと敗北し、おおかみ様たちによって塵のように穴の中へと捨てられた。
落ちる。
落ちる。
落ちる。
暗い闇の中へと体と意識が落ちていく。
そして意識が完全に消える直前、俺は光を見た。